2012年03月14日

情報の絆

愚行以外なにものでもない「消費税増税」

野田首相は12日から始まった参議院の予算審議でも消費税増税の実現に決意を示し、年度内の提出を目指して全力を尽くすと語っています。
消費税増税法案になぜそれほど固辞するのでしょうか。

出口が見えない長引くデフレ不況の中での増税案、しかも消費税増税は愚行・愚策以外のなにものでもなく、景気はさらに冷え込み、税収は逆に減ってしまうことになるのは明白です。

私は長期的には消費税率は上げるべきではあるとは思っていますが、もちろんそれには「時期」というものがあります。

増税というものは好景気の時期、消費支出と意欲が上がっている時期にやるべきものです。

デフレは言うまでもなく、需要に対して供給過多となっている状況です。つまり買い手市場な訳であり、供給側は、いわば価格競争を強いられている状況といえます。

デフレ不況の時期は、当然デフレなのですから商品の値段が高ければ消費者に買ってもらえません。

この状況で増税、特に消費税増税となれば、その増税の分の負担は企業側が負担することになります。
このデフレの時期に増税の分を価格に反映すれば、消費者が商品を買ってくれないからです。

そうなると、そのぶん企業の利益は減ることとなり、国の税収も減ることとなります。
さらに、必然的に余力のない零細企業・個人事業主等は、余力のある企業や大手企業のような真似はとても出来ず、その負担に対応できなくなります。

その行き先は、不況で喘ぐ零細企業の倒産の連鎖です。そうなれば、さらに税収は減ることとなります。


また、買い手側ももちろん消費税増税の負担感がつのり、消費支出と消費意欲は下がります。
企業が儲からなくなれば、サラリーマンの給料も上がりませんし、下手をしたら給料が減りボーナスカットとなります。さらに消費意欲は減退して行くことになります。

そうなれば、企業の収入と利益はますます減ることとなり、さらに税収も当然減ることとなります。

そう、デフレスパイラルにさらに拍車をかけることになるだけですね。つまり、まったく意味がありません。それどころか、さらに悪化させてしまいます。何のための増税なのでしょうか。




また、以前にも話をしたことがあると思いますが、企業・商売人が確定申告のときに一括で払わなければならない「消費税」「地方消費税」は、直接税の意味合いが濃い。

消費税は商売人にとっては「直接税」と言えるものであり、一般消費者が物を買ったときに商品の価格の中に含まれていて、何時の間にかに払っている感覚の「間接税」とはいえない部分があります。
消費税に関しては、供給側と供給を受ける(消費する)側とでは、明確な違いが現れるのです。

「消費税」「地方消費税」は、単純に言えば、その性質から商品の価格に対して掛かってくる、つまり、売り上げに対して掛かってくるものです。これは儲かっていない企業にはとてつもなく厳しいはず。
所得税のように、利益に対して掛かってくるものではありませんから。

この大きな違いは説明するまでもありませんね。所得税ならば、たとえ利益があまりなかろうが、それに応じた税金を納めれば済む話です。
(それでも、給料を受け取る前に引かれ払った意識も薄いサラリーマンより、所得税の納税も商売をしている人にはけっこうきついものだと思います。)

理論上は価格には消費税が含まれているとはいえ、「後で」一辺にそれを払いなさいと言われても、不況であえぐ業者にそれはあまりに難儀な注文でしょう。

集金形態がすべて「掛商売」での商売をしている企業は特に厳しいかもしれません。
企業間・業者間同士の取引きで、特にその企業間で弱い立場にある企業等は消費税分はサービスしている、あるいはサービスしている事となんら変わりのない低価格での取引きの場合が多いからです。

また、現金商売と違い、掛商売はさらに収入と支出のバランスを取るのが難しい。集金は数ヶ月後になるからです。
(なお、商売が立ち行かなくなった場合の債権の取立て、あるいは裁判・弁護士費用等の捻出等は、掛商売の方が多少の費用を引き出しやすいです。)


デフレ不況の時期というのは、商品の価格を上げられないどころか、逆に大幅に下げているのです。
つまり、消費税分を価格に反映せず企業側が渋々呑んで負担しているどころか、それ以上の値下げをしている状況です。それが「デフレ不況」なのです。
(わざわざあらためて言うまでもない話ですが)

その状況で、直接税的に税金を一括でまとめて払えとなると、不況で喘ぐ零細企業や個人事業主のなかには払えない人が出てきます。
さらにそれが増税されたら、そのような企業はひとたまりもありません。
この時期での消費税増税は、零細企業・個人事業主の倒産の連鎖を招くのは必至となります。



また、所得の多い人が高い税金を払う所得税などと違い、消費税は間接税として、裕福な者もそうでない者も平等な支出(納税)であるかのようですが、厳密には低所得者の負担が大きくなります。

食費や衣類等の生活に欠かせない物の消費は、裕福な者もそうでない者も同じように必要となります。
そうであるならば、全体の収入に対するその支出の割合が所得の低い者の方がはるかに大きいという事になりますので、消費税増税となれば所得が低い人が不利となり、負担感が増すことになります。

配当や利子等のいわゆる不労所得には消費税がかからず、そのようなものを沢山甘受できる裕福な人にくらべ、そのようなシステムを作り生み出す余裕のない所得の低い人から見て、消費税増税はより不平等感を生むことになります。




自民党政権下での消費税導入は遅すぎたのです。また、もっと消費税率を上げなかったのは失策だった。

竹下内閣で消費税の導入がありましたが、もう少し前にやっておくべきでしたし、バブル経済の兆候が訪れ、景気がうなぎのぼりになりつつあったときには(あるいはその少し前に)、あのような狂ったバブルにならぬよう、10%(あるいはそれ以上?)に上げておくべきだったのです。

そして、デフレ不況となった時期に、ここまで長引く前に、中途半端ではない思い切った「減税」をするべきだったのです。

増税と減税を行う時期が、まったくの的外れです。

そもそも、もしかしたら、適切な時期に適切な増税を行っていれば、あそこまで狂ったバブルは起きなかったかもしれませんし、そのバブルの反動からくる長引くデフレ不況もここまで酷くなかったかもしれません。

(もちろん、経済は生きものですので、あの時代の流れは抑えきれなかったかも知れませんが、抑えられた可能性もゼロではなかったはずです。)





その存在の重要度を幾度となく?言っていますが、公共工事等の公共事業はデフレ経済にも必要不可欠な存在です。
この長引くデフレ不況の中で公共工事の削減を行うなどということは、大きな火事の現場で、せっかく来た消防車を退去させるようなものです。

また、単に事業の拡大から来る日本経済への影響のみならず、公共工事は安全にも寄与するものです。

スーパー堤防や耐震改修工事事業は、明らかに国民の安全に係わってくるものです。
実情を知らない素人のパフォーマンスでしかなかった各種の事業仕分けで、公共工事も大幅に削減されました。

耐震事業が遅々として進んでいないのは当然ですね。特に一般住宅の耐震事業は各自治体も補助金等を出していますが、当初の思惑と違いまったく進んでいません。

また、予算を小出しにしかできないからだと思いますが、公共建築物の耐震工事に関する入札でも、ひとつの建築物に対し、一部分のみの耐震改修工事を幾度となく「分けて」行っていたりします。

これでは非能率的なだけでなく、その度に(入札の度に)請け負う業者も変わり、企業の経済状況の回復に対してもまったく効果が得られていません。

(現在のような、ほぼ最低落札価格の低価格で落札せざるを得ない公共工事において、建物全体に対して請け負うのならいざ知らず、一部分の小工事ずつを請け負ってもほとんど利益が出ません。また、当然のことですが、工事の度にコロコロ業者が変わるのは非能率的であり、無駄が増えることになります。)


また、現在の最低価格ばかりの落札金額での工事では、工事全体の質が落ちてしまうかもしれない懸念は否定できません。

政府も国民もよかれと思ってやった公共工事の削減は、自らの安全と生活を脅かしているのです。

公共的な物事の遂行には無駄やロス、並びに一部の者への私的権益は避けられない現実があります。しかし、小さな物事に捉えられていては大局的な見地を見失ってしまいます。
(もちろん、日々常々の監視とチェック、間違った行いの摘発、指摘を行いながら、事業を適切な規模と内容で進めて行かなければなりません。)

なお、この超低価格競争の中でも想像以上に工事の質はそれほど落ちてはいません。日本人の仕事に対する気高さと職人気質は素晴らしいものであると思います。
(しかし、その気質が仇となった?のか、公共工事にたずさわっていた中小・零細企業の倒産件数は増え続けていると思います。)


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もしこのまま消費税増税に突き進めば、確実に経済は失速します。眠ったまま国内にお金が回らなくなる。

インフレなど恐れずに日銀は金融緩和を突き進め、政府はくだらないバラまきをやめ、思い切った減税を行い、公共事業を大幅に拡大する。
政府と省庁は、中小・零細企業向けの金融円滑化をデフレ脱却まで断続、さらに最大限の支援と猶予、及び出口支援を行う。そして国民は恐れずに必要な消費ならば迷わず出費する。

これが最善、且つ、至極当たり前の「デフレ脱却へのシナリオ」です。




「震災から1年」

東日本大震災から1年が経過しました。あらためて亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された方々には、一日でも早い復興をお祈り申し上げます。


1年が経ちましたが、まだまだ様々な問題と課題が残されており、原発も収束の方向に向ってはいるものの事態の完全収束には全く至っていません。


被災地内で処理しきれない瓦礫の受け入れも呼びかけていますが、各自治体の受け入れ態勢も様々であり、思ったように進んでいないようです。

受け入れを拒んでいる各自治体の心配は、もちろん放射線量等の安全に関してです。

放射線量、偽りのない根拠のある許容量、瓦礫の量、処分費用、それにかかる手間・日数等の、明確な情報開示と透明化なしでは、受け入れる側も「はいそうですか」とは行かないでしょう。


また、被災現地でのさらなる処分の遂行、並びに大規模な現地での処分場施設の新設等は行わないのか。

そのことを遂行するのであれば、仕事の確保に困った人々を対象とした多くの雇用を生むはずだが、それを行わないとするならば、それはどのような理由からなのか。

現地で処分するより、地理的に離れ、運送経費と手間がかかりロスが大きい他地方での瓦礫受け入れの方が、雇用等の問題を差し引いても経済的且つ、効率的な理由はいかなるものなのか。

瓦礫があまりに多すぎることによる現地の切実な弊害と困難の詳しい状況と説明等の、各都道府県の自治体への要請をしなければならない緊急を要することからくる明確な理由と数値等。

たとえ大規模な処分場を新設したとしても、被災地の瓦礫の量が現地だけではとても処分しきれないほどの莫大な量であるのかもしれませんが、具体的な情報開示と説明が必要となるはずです。


そのような情報共有と提供をせず、首相が会見で述べたような、「日本人の絆」に訴えるような発言からの要請は、素直で純粋な日本人の性格を利用した体のよい誤魔化しであって筋違いであり、一般庶民の安全を守らなければならない重責を担う各自治体の責任者達が納得するはずはありません。

各自治体も庶民に対して説明と説得もできませんし、不確かなまま責任を負うこともできません。個人的思惑で責任のある立場の人が行動に移すわけには行きません。立場が違うのです。

感情的には受け入れたくても、庶民の安全を考え皆を束ねる責任ある立場にいる人が、解らないまま無責任に受け入れはできません。情報の透明化がなされていなければ議論すらできないでしょう。
(もちろん、根拠のない受け入れ拒否理由や根拠のない風評は論外ですが)

また、各地域へのやみくもな受け入れは対外的に見てまずいという意見もあるでしょうし、マスコミの報道や政治家からは現地の声も聞こえてこない。(現地の声の中でも、情報操作した一部の声のみではダメですが…)

今必要なのは、情報の大切さを皆が認識し、放射線に関することや現地の状況や原発の真の情報等を共有し、皆が嘘偽りのない情報の絆を結ぶことが、軽々しい感情論からの訴えよりも大事なことのはずです。




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※ :朝日新聞がランダムに選んだ電話での世論調査で、原発の再稼動を容認している人は、男性で41%ほどもいるそうです。(反対は47%ほど。残りは無回答か、わからないの回答)
女性の回答は男性よりはるかに反対の人の割合が多かったのですが、仮にこの調査は信憑性があると仮定してみた場合、この調査結果の男性の回答は意外でした。

明確な回答をしなかった人を除いて回答した人のみでの割合を考えれた場合、容認する意見の人は46%を超えます。
女性の回答は、ほぼ想像に近い回答でしたが、男性の回答には驚愕しました。条件付きの容認が含まれているとはいえ、これほどの高い数字が出るとは…

調査の信憑性はわかりませんが、考えてみれば頷ける部分もあります。
私が原発に関する話を誰かに向けても、確固たるその人なりの意見があまりかえってこない場合も多いのです。テレビで見た情報のみからくる漠然とした答えしか返ってこない場合も多い。

これは、悲しいかな学歴や学力の低い人ほど顕著です。知性が高い思われる人との会話では、様々なその人なりの意見がかえってきます。

つまり、この調査の結果は、知識不足、情報収集不足等からくるものも多分にあるのではないかと推測していますが、間違っているでしょうか?
女性は危険に関することや子供に影響を及ぼすものに敏感ですから、私が想像していたのとそれほど違わない結果となったのだと思います。
(元々女性のほうが生存本能が強い)

とても憂う状況です。私も人のことは言えませんが、知識を得ない者は、知識・知恵・知性を持ち、要領のいい悪知恵の働く者に体よくコントロールされてしまいます…
それに立ち向かうためには、こちらも知識を得る努力をし、理論武装する必要性があると思うのですが…

この回答結果が、そのような知識不足、知的好奇心の欠如、無知等からくるものではないのであれば、逆に恐ろしい結果であると言えます。

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「FLASH IN JAPAN」

以前記事にした題名です。他の記事の題名は自分で適当に考えたものですが、この記事の題名に限っては、最初アメリカのみで発売された(後に日本でも発売)、「矢沢永吉さん」のアルバムから拝借させていただいたものです。


矢沢永吉さんのことはあまりよく知らなかったのですが(失礼)、このアルバムはモータースポーツドキュメンタリー映画「グッバイヒーロー(1986年?)」の主題歌にこのアルバムの中の曲が起用されていたので、知ることが出来ました。
(私はモータースポーツファンなので)

とても気に入ったので、映画を観た当時、お店にすぐに探しに走りました。

「広島の原爆」をテーマにした曲です。どうぞ、聞いてみてください。



     矢沢永吉「FLASH IN JAPAN」

画面上側のタイトル名をクリックすれば、ニコニコ動画で大きな画面で観ることができると思います。(ニコニコ動画でのログインが必要です)

posted by マーキス at 19:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月21日

「核の申し子」の果て

「金正日総書記死去」

北朝鮮メディアは19日に金正日総書記が17日に死去したと伝えました。
先月から一部では死亡説?が流れていましたが、この発表によってアジア諸国、欧米の各国々が緊迫。政府、各主要機関等は早急の対応・対策に迫られます。


「核の連鎖」

金正日の権力の歴史は核の力による歴史でもあります。


アメリカに続き、ソ連が1949年に核実験に成功し、アメリカに対する抑止力を備えることができた後、金日成をけしかけて南進したのが、朝鮮戦争のはじまりです。
その後、ソ連との関係が悪化しだした中国は、ソ連に対抗できるよう核開発に血眼になることとなります。

J・F・ケネディ大統領暗殺でベトナム撤退の計画が頓挫。その後、アメリカが北ベトナムに北爆を開始するまでの間に中国は最初の核実験に成功。
(この後、ベトナム戦争は泥沼化し、アメリカは大きな傷を残すことになります)

中国はインドとも衝突していましたが、この核実験の成功によりその国境の紛争は下火となると同時に、インドはこの中国の核の脅威を思い知ることとなり、自国の核開発に躍起になることとなりました。

そのインドはパキスタンと長らく戦争を行っていましたが、今度はインドの核実験成功の脅威から、パキスタンも核開発を行うこととなります。

そして、そのパキスタンからの技術と、意図していた・していないは別にして日本からの高性能な精密機械が流れ、その恩恵により開発されたのが北朝鮮の核兵器なのです。
(もちろん、ソ連・崩壊後のロシアからの技術が、北朝鮮の核開発の発展に大きく寄与したのはいうまでもありません)


金日成時代に核開発に関する機関の権力を握りつつあったのが「金正日国防委員長」です。
アメリカとの会談で核の開発を諦める意向に傾いていた当時の金日成主席を余所目に、核の力が国家間のパワーバランスにどれほどの影響力を持つのか、また、自らの権力掌握のためにも核の存在が大きな力を持つことを理解していた金正日は、核の開発を止めずに遂にすべての権力を手中におさめることになります。

金正日が金日成を強制排除したという説もあながち事実なのかもしれません。

なお、北朝鮮が核開発のための莫大な資金調達に成功したのは、「太陽政策」で韓国から莫大な資金が流れた他に、日本の朝鮮総連等から送られた資金も潤沢なものだったはずです。
(もちろん、麻薬も外資獲得に大きく貢献?したのはいうまでもありません…)



「拉致問題の行方」

北朝鮮が核を保有したことは、事実アメリカを交渉の場に引きずり出すことに成功しています。
この事実は、拉致問題に対しアメリカは関知せず、アメリカの顔色を窺ってばかりいる日本の政府も本腰を入れることはまずないであろうことを意味しています。

金正日が死去したことにより、今後、拉致問題を含め対北朝鮮政策がどう変わって行くのか。
後継者の権力掌握力は如何ほどなのか。
その後継者と目される金正恩氏はどのような人物なのか。
その能力と側近の発言力はどれほどの力と影響力を持つのか。
権力闘争の行方と側近の中国とのパイプの太さ、その中国の支持・意向は?
北朝鮮内に大きな混乱が起きた場合はどのようなことが考えられるのか。
新体制は軍を掌握しきれているのか。軍が暴走した場合やクーデターの可能性は?


日本はこの大事なときに、危機管理体制がまったく築かれていません。
安全保障会議を欠席した山岡国家公安委員長を含め、連絡の伝達・情報の共有等ができておらず、そもそも事前に重要な発表「特別放送」があるとの報告を受けているにもかかわらず、「情報」というものの重要さ・大切さをまったく理解していない。

また、野田首相は総書記死去放送の可能性が十分にあることを伝えられながら街頭演説に行ったことが分かっています。

福島の教訓はまったく活かされていない。
一部の議員の中にはうなずける発言をしている人もいますが、そのような意見が取り上げられ議題・議論の対象にされ、実際に行動に移すシステムがなんら確立されておらず機能していないようです。

韓国の国家情報院ですら金正日総書記の死去を公式発表まで把握していなかったとされ、各メディアから一斉に批判・糾弾されているのです。

外事部門を有し、潜在的能力の高さをもつ公安警察は存在するものの、確固たる諜報機関が存在せず、ましてや知的ヒューミントを最大限に利用した対外諜報部門はなきに等しい日本は、なおさら悠長なことはしていられないはずです。

正直な話、この国に拉致問題等を解決できる能力などは存在しないと思います。北の政権が変わることによって各国々の情勢や政策にドラスティックな変化が起こり、何らかの幸運な出来事が訪れない限りは解決は難しい…



日本政府は長い間(今もですが)拉致問題解決よりも、日朝国交正常化・日朝交渉を優先してきました。それは政府が日本人の拉致が行われていることを認めた後も続きました。
主権国家が自国民や自国民の子供達を他国に拉致されたのにもかかわらず…

自分の家族を誘拐して返さない犯人に、莫大な額や量のお金やコメを送り続けているのです。異常だとしかいいようがありません。


当時の国家公安委員長、梶山静六氏が、北朝鮮による日本人拉致を認める政府初の公式答弁を行った後、この拉致問題はしばらく忘れ去られたような状況となっていました。

しかし、この問題のシンボリックな人物ともいえる「横田めぐみさん」の問題が取り上げられたことが非常に重要な意味を持っていました。
そのことによって、多くの国民に拉致問題の事実が知られるようになったのです。

これは、北朝鮮の元拉致工作員である、安明進(アン・ミョンジン)氏が、横田めぐみさんの存在を語ったことが大きかったのですが、それに加えて、めぐみさんの父親である「横田滋さんの存在」も大きかったように思います。

横田滋さんは元日銀の職員でした。このことは拉致問題に関する取り上げられ方に大きく影響を与えたのではないかと推測されます。

横田滋さんの日銀時代の同僚・後輩等には政治家・議員もいました。たぶん、元工作員の証言があるとはいえ、他の被害者だけでは現在のように取り上げられることはなく、被害者並びに被害者家族を舐めきっていた当時の政府・官僚、及びマスコミの意向によって、一般国民の多くが知らぬ間に闇に葬られていた可能性も少なからずあったのではないでしょうか。

仮にもしそうだとすれば、日本に帰ってくることができた5人の拉致被害者とその家族も帰ってこれなかった可能性もあったということにもなります。


ご両親たちの苦悩は計り知れないものです。我が身を振り返り、もし自分の子供が他の国に拉致されたならと考えただけで身震いしてしまいます。

拉致被害者家族が政府に必死に訴えているさなか、1999年当時の外務省アジア大洋州局長は「たった数人のことで日朝交渉に支障が出では困る」などと言い放っていたそうです。

自分達が国を動かしているんだという、驕り過ぎたエリートのプライドは、人の心も簡単に踏みにじることができるものであるようです。


他の国、欧米諸国ならば、他国にここまで舐められて黙ってはいません。
イスラエルならば、モサドが地の果てまで追いかけるでしょう。
(兵役に行った我が子が、前線でいつ死ぬかもしれない犠牲心をもたなければならないこの国の親とその犠牲に応え報いるイスラエル政府と平和な日本とでは、そもそもすべてにおいて「覚悟」が違いすぎますが…)


国を支え、その国をどの国の人よりも愛しているのはその国の人々です。その国の将来を担うのはその国の子供達です。

人間は最後はだれもが死を迎えますが、たとえその時期が来ようとも、必ずや母国の地で永眠することができる安心を国民に与えることができるよう、国は最大限の努力と保障と覚悟をするべきです。
それが、真の独立した主権国家であるはずです。この問題は絶対に風化させてはなりません。
posted by マーキス at 21:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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