2010年05月03日

「カリナン」 デビアスが恐れていた新たな発見

カリナン アフリカの偉大な星!

1902年、トーマス・カリナンという人物が、南アフリカの「プレミア鉱山(現カリナン鉱山)」を発見しました。

そのキンバーライトのパイプは大変大きなもので、世界有数のダイヤモンド鉱山であるケープタウンの「キンバリー」にある最大パイプの約3倍の大きさを誇るものでした。

プレミア鉱山で操業が開始されてから、多くのタイヤモンドが採掘され、その量はキンバリーで「デビアス」が採掘する総採掘量の3分の1に相当するほどで、さらに1905年にこの「カリナン」がプレミア鉱山で発見されることになります。

「カリナン」が発見された年から産出量は増加し、最初の10年で「デビアス」が占める世界のダイヤ産出量のシェアは40パーセントに急落しました。

それまで、90パーセントのシェアを誇っていた「デビアス」が常に恐れていることは、自分達の支配の及ばない新たな鉱山・鉱区が発見されることです。

当然の如く、「プレミア鉱山」が発見された時、デビアスはトーマス・カリナンに交渉を申し入れたそうですが、壮大な権力と資本力を持つデビアスに金額のコントロールをされることを疑っていて、その申し入れを断りました。
また、自分達でやっていけると踏んだのでしょう。


「カリナン」は先の記事で記述した通り、その原石は3106カラット!約620グラムもありました。
(※先の記事の数字が打ち間違えをしていたので直しました。〔誤り3016→正3106〕)

starofafrica-1.jpg「カリナンT」

その中で9個の大きな石が磨き上げられましたが(残りの石で他にも沢山のダイヤが磨き上げられました)、その中の「カリナンT」と呼ばれるものは、「530.20カラット!」で、74のファセットを持つ「ペアシェイプ」です。



cullinanII.jpg「カリナンU」

研磨された大きなダイヤの9個の総重量は1055.89カラットで、大きなダイヤを作るため、約2000カラット以上が無駄になった事になります。

勿論その中からも小さなダイヤが沢山作られた訳ですが・・・・・。
(その残りのダイヤの内訳は知りませんが、たぶん庶民の私達から見たらその残りのダイヤも素晴らしいのでしょうね!)

だが、1914年に第一次世界大戦が勃発すると、プレミア鉱山の株価は下落し、再び「デビアス」という帝国が支配権を持ったのです。
(しかし、この事実は、「デビアスの皇帝の地位」を、抜け目のないドイツ系ユダヤ人の「アーネスト・オッペンハイマー」に譲るきっかけとなるのです)


ちなみに、「カリナン」を発見した当時、鉱山の現場監督の一人が、大きなダイヤの原石とは思わずに馬鹿にして窓から放り投げたといいます。
それを信じていたもう一人別の監督の「ウェルズ」という人が、放り投げられた石を外に出て大事に拾ってきたそうです。

プレミア鉱山は、2003年に「カリナン鉱山」と名称変更しました。

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2010年05月04日

最も美しいダイヤ 「センテナリー」

「センテナリー・ダイヤモンド」 最も大きく美しいダイヤ

centenarydiamond-2.jpg「センテナリー・ダイヤモンド」提供デビアス
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「最も美しい世界最大のダイヤ」と呼ばれるのが、「センテナリー・ダイヤモンド」です。
「273.85カラットで、Dカラー、フローレス!!」と云われています。


1986年、プレミア鉱山で類稀なるダイヤモンドの原石が採掘されました。
それは、599カラットのトップカラーのダイヤモンドの原石でした。

「デビアス」はキンバリーで行われた「創立100周年」の祝賀会で、当時の会長トンプソンが最も大きなトップカラーのダイヤモンドを発見した旨を伝え、そのダイヤモンドに「センテナリー」の名前を付けたと発表しました。

「センテナリー」とは100年祭の意味です。

その原石のカットをまかされたのが、「ガブリエル・トルコフスキー」という有名な研磨・カット師です。名前から分かる通り、ロシア系の研磨・カット師です。

数学者でカット師であった大叔父の「マーセル・トルコフスキー」は、「ブリリアントカット」を考案した人です。その世界では名門の出ですね。


そのカット・研磨作業をするにあたり、デビアスの技術者と共に特別な冷却装置を作ったといいます。

その冷却装置を試すために使われた原石が、後に世界最大の研磨済みダイヤとされ、「名もない褐色の石」と呼ばれた「ゴールデン・ジュビリー」です。


「ガブ・トルコフスキー」は長い日時を掛け、その石を研究し、プラスチック製の模型を沢山造って試作品としたそうです。

3年余りを掛け完成させたダイヤは、独自のファセットを持ったダイヤでした。

クラウンに75面、ガードルに83面、パヴィリオンに89面、合計247面のファセット!を持った眩いばかりの美しいダイヤです。

デビアスは「ガブ・トルコフスキー」の仕事を補佐するため、エンジニア・電気技師を含めた特別チームを編成したそうですが、トルコフスキー自身も店を閉め、研究所のあるヨハネスバーグへ引っ越したそうです。

それにしても「デビアス」は、「ガブ・トルコフスキー」へどれくらいの報酬を支払ったのでしょうか?
下衆な興味ですが、ちょっと知りたいです。

原石が発見されてからの発表の経緯を考えれば、トルコフスキーにとってもデビアスにとっても、その石の研磨の失敗はあってはならないことだったはずです。
そのプレッシャーは相当なものだったことでしょう。


その完成された美しい石が発表された時、「ニコラス・オッペンハイマー」が、 「誰がこのような石に値段をつけることができますか?」と言ったのは有名な話です。
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2010年05月06日

「ゴールデン・ジュビリー」 醜いアヒルの子

「名もない褐色の石」と呼ばれた 世界最大の研磨済みダイヤ

goldenjubileediamond-2.jpg「ゴールデン・ジュビリー」 (another image) 
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最も大きな研磨済みダイヤが「ゴールデン・ジュビリー」(ザ・ゴールデン・ジュビリー)です。

「ガブリエル・トルコフスキー」「センテナリー・ダイヤモンド」を研磨する際、特別な冷却装置を開発し、用いましたが、その装置を使った効力と出来具合、性能を実験するため、その頃採掘された石でその実験に相応しい大きな石がみつかっていました。

約755カラットもあったその石は、色が茶色であったため「センテナリー」よりは価値が低いものとみなされ、また、ヒビの具合からカットが難しいとされていたので、格好の実験材料だったのです。

トルコフスキーは、実験で丸い形に整えた「名もない褐色の石」を「プレシ」というカット師にたくし、約1年をかけてクッションシェイプの宝石に磨き上げました。

完成したそのダイヤは黄金色の閃光を放ち、 「545.67カラット!!」もあるダイヤとなり、「偉大なアフリカの星」、「カリナンT」を抜いて、世界最大の研磨済みダイヤとなったのです。

世界最大となったそのダイヤを「名無し」のままにしておくことは出来ません。

そこで「デビアス」は、黄金色の閃光を放つ、その「名もない褐色の石」に「ゴールデン・ジュビリー」と名前を付けたのです。
「The Golden Jubilee 」とは「50周年記念日」のことです。
(1997年、タイ国王の50回目の即位式の記念日に献上されました)


「ガブリエル・トルコフスキー」はまだ名前が決っていないその石を、愛情を込めて「醜いアヒルの子」と呼んでいましたが、彼が手掛けた「センテナリー」と並んで、その愛すべき「醜いアヒルの子」は世界に轟く偉大なダイヤの仲間入りを果たしたのです。
 
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2010年07月09日

盗まれた伝説のダイヤ 「ホープ・ダイヤモンド」

「数々のエピソードと噂を生んだ宝石」

「ホープ・ダイヤモンド」と呼ばれる有名なディープブルーのダイヤモンドがあります。

現在は「スミソニアン博物館」に納められているその有名なダイヤは、「不運をもたらす石」として有名です。

「ロシアの王子がその宝石を与えた女優を撃ち殺した」だとか、「アメリカの富豪、マクレーン夫人のご主人・息子・娘が次々に亡くなった」、「ホープ一族は破産した」など等。
様々な噂が立ちましたが、これはカルティエの売り込みのためのでっち上げだという説もあります。

このダイヤモンドは、フランスのルイ14世が持っていましたが、最初は110カラットを超えていたそうです。

それをリカットし、誰もが見惚れる美しいハートシェイプのダイヤモンドに磨き上げました。

The French Blue.jpg「ザ・フレンチ・ブルー」
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そのダイヤは通称「フレンチ・ブルー」と呼ばれていましたが、治安が悪化していたある日、他の素晴らしいダイヤ・他の国王の財宝と共に「フレンチ・ブルー」は姿を消したそうです。

長い年月を掛けロンドンに渡っていた「フレンチ・ブルー」は、ロンドンの商人によってその出所を誤魔化すため再び研磨され、ハートシェイプの「フレンチ・ブルー」は消滅することとなります。

それ以来、様々な経路をたどり、「ヘンリー・ホープ卿」に渡り、宝石の専門家達は、「ホープ卿」に渡ったダイヤモンドこそが、失われた「フレンチ・ブルー」だと判断しました。
後に「ホープ・ダイヤモンド」と呼ばれるようになった美しいブルーダイヤは、財政難により売却。

hope diamond.jpg「ホープ・ダイヤモンド」
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その後カルティエから鉱山会社の相続人の富豪マクレーン夫人、ハリー・ウィンストンと渡り、最終的にスミソニアン博物館に寄贈されたのです。
(ちなみに、ホープ・ダイヤモンドのペンダントの周りを囲っているダイヤは、16個のペアシェイプとクッションカットのダイヤです。)

ロンドンで再研磨されてから、「約45.52カラット」になったフレンチ・ブルー。
人々を魅了し、数々のエピソードを生んだ美しいブルーのダイヤモンドは、今でも多くの来館者が訪れるのでしょう。


posted by マーキス at 16:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界に轟いた有名なダイヤ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月27日

「権力の石」 コイヌール

「ダイヤはインドから始まる」

紀元前からダイヤモンドを産出していた「インド」
あまり歴史的な文献を残さないインドの、古い時代のダイヤモンドの産出の詳細は定かではありませんが、現在のような鉱山を掘っての産出ではなく、鉱山から流れ出たものを掻き集めたものだと言われています。

ダイヤを研磨する技術も産地であるインドで生まれました。

ダイヤのカットが一定の規模で行われているところは、「インド」「ベルギー」「イスラエル」及び「ニューヨーク」などです。

特に「ベルギーのアントワープ」のカッティング技術は素晴らしいものがあると云われています。


さて、インドから採れた大変古いダイヤで有名なダイヤモンドがあります。
そのひとつが「コイヌール」と呼ばれるダイヤモンドです。
(以前紹介したホープ・ダイヤモンドも産地はインド産といわれています)

インドを征服してムガール帝国を創設したバーブルが、打ち負かした軍勢の諸侯のラージャ(インド貴族の称号)からの献上物の中に含まれていたのが、「コイヌール」でした。

様々な征服者の手を転々と渡り、ペルシャに移っていたコイヌールを取り返した「ランジート・シン」からパンジャブを併合したイギリスに譲り渡されました。

イギリス女王に渡ったその有名なダイヤは、催した大博覧会で群集が殺到したそうです。

しかし、古代にインドで大きさを損なわないように研磨されたコイヌールは、想像ほどの輝きが見られなかったため、再カット・研磨がされ「186カラット」から「108.93カラット」となりました。

重量が減った(当然なのですが)そのダイヤをカットした人々には不運がふりかかったと噂も広まりました。
また、「コイヌール」を持つ者は世界の支配者になれるとも云われました。

伝説的な有名なダイヤには、常に様々な噂やエピソードが語られ、それがさらに誇張されたりして民衆の間に広がったりもします。

ダイヤモンドは、歴史の上でも常に「権力の象徴」「成功のシンボル」として神秘性をまとい、その存在感を示してきたようですね。


今日、「コイヌール」はロンドン塔の英国王室が集めた諸々の宝石と共にあります。
そこには、「カリナンT〜W」や「ブラックプリンス・ルビー(黒太子のルビー)」なども陳列されています。
(ロンドン塔もかつて監獄だったことから、様々な逸話があるようです。また、世界遺産の登録もされています。)

「コイヌール」は、1937年にエリザベス皇太后のために造られた王冠の、マルタ十字架の中央に埋め込まれています。
posted by マーキス at 14:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界に轟いた有名なダイヤ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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