2010年05月23日

婚約指輪のネット販売開始 「カリタス」

今回のお話しは、コメントに投稿していただいた「カリタス株式会社」様のご紹介です。

ブライダルジュエリーにおいて、オンライン販売に特化し様々な経費を最大限削減することによって、高品質のダイヤモンドジュエリーを誰もが利用できる価格で提供しています。

サイトを実際に拝見して、個人的にとてもよいお品だと思いましたので、今回ご紹介させていただきました。


詳しい説明・プレスリリースはこちら↓
「カリタス・プレスリリース」


また、ダイヤに関して非常に詳しい「PDF小冊子」「カリタスサイト内からダウンロード」できるようになっています。

「ダイヤについてのオリジナルE-ブック電子書籍」


正直な感想として、この高品質のグレードとしては大変良心的な価格だと思います!(少し驚きました)
他のお店のブライダルジュエリーと比べてみてください。通常の店舗のブライダルジュエリーのグレードで、このお値段はまず見ないです。
全国送料無料で、30日以内の返品保証もあるそうですよ。

「カリタス」ホームページ

是非のぞいて見て下さい! (byマーキス)
ラベル:ダイヤ 婚約指輪
posted by マーキス at 18:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月29日

CHINA as No.1 中国の勢いが止まらない

《閑話休題》
堕ちてゆく日本 自信を持ち発展しつづける中華帝国

中国の勢いが止まらない!日本のGDPは2009年は2位の座を保っていましたが、中国は2010年日本を抜いて2位へなる見込みです。

サブプライム問題をキッカケに端を発した金融危機はあっという間に日本を含めた先進国、そして世界を飲み込みました。

唯一動じなかった中国は、特に自動車産業で生産・販売ともにトップに躍り出ました。欧米各国の企業が不況であえいでいる事を尻目に、青色吐息の大手部品メーカーを次々と買収しています。


差がかなり縮まったとはいえ日本の技術力はNo.1です。しかし、日本の企業のプラズマや液晶パネルの技術指導を伴った買収や日本が群を抜く省エネ機器のテクノロジーの提供など、不況であえぐ企業から技術の根本となるものを「底値買い」しているのです。

一人当たりのGDPは日本を含めた先進国が今でも中国よりはるかに上です。つまり、実質的な「質」では負けていない。

しかし、大国であるその大きさと「量」そして勢いを武器に、日本を含めた先進国の企業を「技術ごと」飲み込もうとしています。

日本が持つ、液晶パネルの大型化を効率よくする技術も中国は持っていない。
自国の技術革新だけでは日本を含めた先進国に追いつかないでしょうが、企業の買収等で効率よく高い技術を取り入れ育成することが出来る。

今まで安い労働賃金・労働力を提供し、他の国が営む「工場での量産の作業」のみ行っていたのが、大陸の利点を生かし、質が悪くとも安い製品を「量」でカバーし徐々に力をつけてきたのでしょうか?

ある意味日本を含めた先進国は、いわば「下請労働者」の「圧倒的な数・巨大な人口」から来る逆襲にあったと言えるのかも知れませんし、企業や製品の質の悪さから追いつけないだろうと高を括って舐めていたツケが周ってきたのかも知れません。

元々器用さのあるアジアの国ですから、次々と技術が裸になってくれば勢いづくのは当然でしょうし止まらないでしょう。

「アメリカに唯一媚びない国」でもありますから、下手な抑制を受けず自由なやり方で力を溜めてきた部分もあるのだと思います。

現在、「米国債保有高」「粗鋼生産量」「デジカメ生産台数」「ノートパソコン生産台数」「インターネット利用者数」「携帯電話加入者数」等、世界のトップに君臨しています。


中国では結婚・婚約以外でのジュエリー製品の伸びはまだまだですが、裕福層も増えてきたでしょうし、そのキャパシティーを考えると今後ますます需要が高まってくるでしょう。

中国で昔から人気のある「翡翠」は今でも人気の宝石ですが、中国は石そのものに思い入れがあるようです。

翡翠の鉱山の産出量もだんだんと枯渇してきていますから、これからも中国でさらに人気が高まる可能性が高い宝石です。



開発途上国の経済発展に貢献する事を目的とし、歴代総裁がすべて日本人であったADBアジア開発銀行の総裁の座も中国人に取って代わるかも知れません。

確かに現在は中国抜きで政治経済は語られませんが、日本人の勤勉さと誠実さは類稀なるものであり、他のアジアの国が発言権と権限を持ちすぎることに個人的には非常に危機感を持っています。

中国は世界一の経営黒字を誇る貯蓄大国であるにも拘らず、先進国のルールに協調する姿勢を見せていません。

一人当たりのGDPの低さを強調し、「まだまだ全体的には貧しい途上国」の姿勢をある部分では貫いています。
つまり、大国・先進国としてのリーダーシップと責任を持つことを、ある意味曖昧にしている訳です。

今や経済大国となった利点と途上国の利点を「美味しい所取り」しようと考えているのが、新しい「ビッグ2」の世界戦略と言えるのかも知れません。

では、このまま中国の躍進を手をこまねて見ているだけなのでしょうか?

中国にも大きな問題点があります。

一人っ子政策のため、今後は日本もそうですが中国も高齢化社会に突入します。
巨大すぎる中国は生活格差が日本などの比ではないでしょうし、中国人自身が認めているまだ成熟していない部分から来る社会保証等も整備が進んでいません。

今後の政策次第では、若者の労働力の激減は経済的な命取りになりかねません。

また、中国は環境問題に関する政策と根本的な思想が明らかに他の先進国より劣っています。
付け焼刃な対策だけでは、いずれ大きな問題となり国際社会から大きなしっぺ返しを喰らうのではないでしょうか?

石油が安く、また企業と役人の癒着も激しい中国では、環境問題の対策はなかなか進まないはずです。

ですが、軍事力を含め、国際社会にとって大変な力を持った中国の重要さは今後も変わらないでしょう。


経済的競争力はいつの時代も逆転は可能ですし、日本はそれだけの能力は備えています。

しかし、人偽的か社会環境から来るものかの違いはあるとはいえ、同じように少子化・高齢化が進む日本も他国のことは言えません。

社会は溢れるエネルギーと可能性を秘めた頭脳を持っている「若者」が支えるものです。
子供・若者の将来を考えない国は、取り返しのつかない大きなしっぺ返しを喰らうように思います。

イスラエルの創成期の首相「ベングリオン」は、何か重要な作戦があるごとに、責任者に最初に質問する言葉が、「若者はその作戦で何人亡くなる可能性があるのか」「どれくらいの尊い若者が犠牲になるのか」でした。

そのような指導者がいたからこそ、敵に囲まれ、攻撃を受け続けた小国が生き残ってきたのです。

政治家や官僚、及び優秀な人だけでは国は成り立ちません。
将来があり、そして国の発展を足元から支え誰よりも働き、社会にとって重要な役割を果たす「若者」を軽く見ている国は、いずれは衰退して行くでしょう。
posted by マーキス at 14:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月31日

砂上の楼閣 「中国株式会社」崩壊のシナリオ

再び《閑話休題》です。・・・あしからず

「未曾有の不動産バブルの行方」


「孔子も時に遇わず」 時代はこの国に好機と機会を与えるのでしょうか?

速すぎる成長は産業振興、人材育成等に対する投資・教育よりも、マネーゲームの資産バブルに陥り易い懸念があります。

将来の少子化・高齢化及び環境問題等と並んで、あらゆるエコノミストや経済評論家達が懸念しているのは、「第二のドバイか」と揶揄される不動産バブルです。

4月の主要70都市の不動産販売価格は、前年同月比12.8%上昇と11ヶ月連続でプラスとなり、不動産価格は上昇し続けています。

ニューヨーク・タイムズによると、その規模は昨年11月に信用不安を引き起こしたアラブ首長国連邦のドバイの「1000倍かそれ以上だ」といいます。

もちろん、中国側はこの概論に真っ向から反対し、中国政府の経済・金融調整能力を過小評価し、深い理解と客観的な分析を欠いていると反論しています。

不健全な不動産価格の高騰の仕方に懸念があるのは当然として、中国政府が発する経済指標に対する情報操作や虚偽の疑いも欧米諸国は持ち続けているようです。


民主主義国家ではない中国ですが、経済的形態で言えば資本主義社会に突入していますし、完全な自由主義といえないのかも知れませんが、市場を開放した自由主義の社会主義国家であるわけです。

ある意味それが中国の強さの一部でもあるのかも知れませんし、事の成り行きを見定める意味で不確かで難しい部分でもあります。


米フォーブスの長者番付で、他国が数を減らしているのを横目に、中国の大富豪の数はアメリカに次いで2位となりましたが、その4分の1は不動産長者です。

不動産価格の行き過ぎる高騰は、更なる経済格差・生活格差を生み、特権とツテ・人脈を持った一部の人間だけが巨万の利益を手にし、そうではない人々はさらに生活苦が増し、消費意欲が衰えることは必至です。

このようなバブルでは、行き過ぎたキャピタルゲイン(購入・売却の差益。例えば家賃などの不動産の有効活用運営による収益はインカムゲイン。)による収益が目的となる場合が常であり、収益還元法(注)の考えからくる値をはるかに超えた高騰はかならずや崩壊するであろうことは歴史が証明しています。


(注)(不動産の利益からくる、その不動産の適正な投資価格。賃料等の純利益を還元利回りで割り、収益価格を出す運用目安。
日本では周辺の土地を比較勘案することを基とし、その不動産の適正価格を決める「取引事例比較法」で価格・価値等が決められている場合が多いですが、その方法では投機目的等で外的要因が含まれた場合、その折々の価格は示せるが本来その不動産が持ちえる適正価格、及び将来的な投資・運用に関する適正な判断と適正な数値は示せない。)



不動産バブル、あるいは経済バブルはどのような事をキッカケとして崩壊するのか判りません。

何かをキッカケとして、中国の中流層及び貧困層からの暴動、中国を代表する企業の行き詰まりや国の大規模事業の頓挫等が絡み、不動産バブル崩壊を起爆剤に一大ケイオスに陥る可能性もないとはいえないでしょう。

今直ぐには起こらないとしても、これに少子化・高齢化問題からくる労働条件の悪化や環境破壊問題、南北朝鮮問題、あるいは政治不信等、なにが絡んでくるか判りません。

(ただ、話が長くなるので割愛しますが、民族紛争などは別として、大きな経済格差・生活格差自体は意外に問題にはならないような気がします。)


バブル崩壊は、それこそ泡がはじける如く国全体に瞬間的に起こるものでもありません。
どこかにその兆候が見え始め、それに対する対策等を怠り楽観視していると、いつの間にかに全体を飲み込んで行く事になります。

中国はその舵取りが出来るのか?

不況にあえいでいる他の国々も中国の早々の落ち込みなどは望んではいないでしょう。

今は中国頼みの部分も多いはずですし、中国の急速な落ち込みはダンピングによる更なる落ち込み、株価の暴落を招き世界経済に及ぼす影響は計り知れません。
たぶん実際にもすぐにこの勢いが衰える可能性は低いと思いますが・・・。


他の先進国とは違い、自国の自主ブランドを持っていない中国は、この勢いの中で自主ブランドを確立しようと国を挙げて企業を支援していて、今現在の機運は意気揚々と盛り上がっています。
「世界の工場」からの脱却はあるのでしょうか?

この「世界の工場」であることは、他の先進国にとっての大きなメリットを中国は与えてきました。

いつまでも貧乏くじを引くわけにも行かないという思いはあるでしょうが、個人的には「世界の工場」からの早急すぎる脱却を狙うと、舵取りを間違えれば自らの首を絞めることになりかねないのではないかと考えています。

中国が真の意味での先進国になろうとするならば、「下請」のままでいることなどできないのは当然の理屈なのだとは思いますが、急ぎすぎることは決してメリットにはならないでしょう。

中国のインテリ層は、「日本はアメリカの属国、付属国でしかない(その通りですが・・)」「中日関係は中米関係の一部でしかない」と言い放ち、現在ポジティブで自信満々の中国ですが、今後の動向は神のみぞ知ることでしょう。
アメリカもこのまま手をこまねているだけのはずもありません。

どちらにしろ、今後どのような動きになるのか世界中が注目しているのは間違いのないことです。

「平家を滅ぼすは平家」 敵はこの国自身にあるような気もします・・・
ラベル:中国 バブル 崩壊
posted by マーキス at 20:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月11日

揺れ動く重い1票 「日本の選択」

《閑話休題》
「試される国民の判断」

歴史的政権交代後の国政選挙。国民は発足して短い「菅政権」にどんな審判を下すのでしょうか?

厳しい財政状況と膨らむ長期債務のなかで、菅首相が消費税増税を掲げたのは当然でしょう。

しかし、その使い道となるはずの社会保障に対する議論は深まることはありませんでしたし、時間もありませんでした。

特に、高すぎる法人税率。そして間接税は増税するにしても、直接税ともいえる確定申告時の「消費税・地方消費税」に対する緩和がなければ、デフレに苦しむ企業、特に零細企業はひとたまりもありません。

国民の理解を得るためには、日本経済を牽引する企業の成長戦略、社会保障、超高齢化社会に突入するに当たっての国民への具体的且つ丁寧な説明が必要です。

具体的な戦略・政策なしでは、歴史的政権交代で多くの期待を持っていた民主党への更なる期待と理解は国民から得られないでしょう。


「消費税増税」。それはあまりに遅すぎた提案と政策であり、自民党が棚上げし続けていたものです。

現在の経済状況を作ってきたのは、長い間政権を握っていた自民党です。
その責任はあまりに大きい。そして、その言葉では済まされないほど罪は深い。
財政・少子化・高齢化。全てを棚上げにし、次世代にツケを廻して来たのです。

政権の長い経験のある自民党は、他の政党より長けている部分は当然あるでしょうが、その利を生かし、且つ大きく変わる・変える意思を持たなければ、この政党も国民の理解は得られないはずです。


海外の各国々は、基本的には政権の変動は望んではいません。不安定なままの政権基盤では、日本への不安感・失望感が増すだけでしょう。
今、国民が一体とならなければ、G20で屈辱的な扱いを受けた以上の日本に対する信用と期待が薄れることは必至。

日本に対する投資の停滞がさらに増し、企業も失速しかねない。

日本に多大な影響を与えるアメリカの経済界は、旧政治システム及び旧KGBの影が色濃く残るプーチンよりもロシアのメドベージェフ大統領政権への積極的な関与と支持。
また、オバマ大統領は50億ドルの減税措置の要請を明らかにしています。

苦しい深刻な経済危機のなかでも、アメリカには何か希望がありますし、ダイナミズムがあります。


参院選に関してはあまり偏った意見とならぬよう、多くの記述は避けます。

ただ、政治家と政治を見れば国民のレベルが分かるし、国民を見れば政治・政治家のレベルが分かる。
これは真理です。

今の政治を創ったのは日本国民自身なのです。風潮に惑わされない熟慮した1票が必要です。
posted by マーキス at 15:02| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月12日

かつての「ライジング・サン」はどこに進むのか

《閑話休題》

「試される国民の判断A」「国民が下した審判」


参院選で与党の議席数が過半数割れが確実となる模様です。
29ある1人区で民主党は8議席しか取れず、参院選は事実上与党の敗北に終わったようです。

その資質を疑わざるを得ない多くのタレント議員も当選したようで、国民の姿を映す鏡として民意が反映されています。


衆院も再可決に必要な3分の2の勢力を持たず、ねじれ国会となることは必至です。

公約違反、小沢氏の政治資金規正法違反問題、普天間飛行場移設問題等、様々な国民離れとなる起因はあるでしょうが、一番の問題はリーダーシップのなさが国民の不満と不信感を招いたのではないでしょうか。

鳩山前首相は理由を並べるまでもなく、明らかに国のトップとしてのリーダーシップに欠けていましたし、菅首相も自分の発言に自信を持ち、確固たる信念で国民に説明すべきでした。

批判を浴びた後のブレに、国のトップとしての信頼を見出せなかった。
必要性をきちんと説明し、低所得者対策に対する説明もぶれることなく言明すべきでした。

国民は鳩山政権の頼りなさにも辟易していたのではないでしょうか。小沢氏・国民・マスメディアに媚びることのない、強いリーダーが必要だったはずです。

もちろん、それには国・国民の将来を真剣に考え、具体性と英知を伴った明確なビジョンを持った本物のリーダーでなければなりません。

同じ消費税10%を掲げた自民党に敗退したのは、単純な選挙直前の消費税引き上げの発言だけが原因ではなかったはずです。

また、相変わらずの壊し屋ぶりを発揮した小沢氏の選挙前での党執行部批判も、有権者の不信感を更に招き、敗退した一因でもあるかも知れません。


今我が国に各党が主張を堅持し合う余裕はありません。
「・・・まずは、われわれの提案を受けるかどうかが民主党側に問われている。まず、答えをいただきたい」と述べた公明党及び、消費税10%を公約に盛り込み、「・・・今のばらまきを整理すれば協議に応じたい」と述べた自民党ら各党は、まずは出来る話し合いから超党派議論に応じるべきでしょう。

今まで、国民ではなく特定の業界だけにばらまいて来た自民党に民主党のばらまきを批判する資格があるようには思えませんし、協議に応じるべきです。

ユーロ発の財政建て直しが各主要国々に求められている時に、国が一体となって建て直しを図らなければ、いっきに日本の信頼がぐらつく事のもなりかねません。

また、民主党党内での不調和音が高まり、現体制が大幅に崩れることがあろうものなら、海外の国々からの信用は確実に失ってしまいます。

財政赤字を半減させることで合意したG20で、唯一屈辱的な例外扱いをされた日本。
今後、ねじれ国会による非常に困難な国会運営が予測されますが、今は争っている場合ではありません。

民主党も自民党も、今回躍進したみんなの党も、様々な意見を出しながらも建設的な議論をし、国が一体となり方向性を決めて行く対応が望まれます。


また、消費税は特に「掛け商売」をしている企業にとって「直接税」の色合いが濃く、その中でも零細企業及び個人事業主の立場が弱い会社ほど、それで受ける打撃は半端ではありません。

下手すると貰っていないのに消費税分を計上しなければならない仕事もあり、当然弱い立場の会社ほど立ち行かなくなってしまいます。

競争力のない会社・企業は淘汰されるのは資本主義社会の掟でもありますが、日本の経済を足元から支える企業が軒並み倒産の憂き目に会えば、確実に経済は失速します。
消費税増税の必要性は疑うべきものではないですが、何らかの緩和・対策は必要でしょう。


国民が下した審判。民主党・自民党に限らず、選挙の結果如何に関わらず、日本の政治がこれ以上迷走を続ければ信頼の回復は遠のくばかりかも知れません。

日本への投資を控える動きが加速するかもしれない懸念の中で、はたして財政再建の鍵は見つけられるのでしょうか。
posted by マーキス at 12:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月16日

残された勝機 「日の丸」逆転のシナリオ @

またまた少しお堅い?話しですが、日々の日記として御了承下さい。

「必要とされる技術力のさらなる研磨と資源確保」

省エネ機器等をはじめとした電子分野のテクノロジーは日本が群を抜きます。
キメ細かな技術は、依然日本がナンバーワンです。

自動車・航空機・パソコン・制御機器等から半導体まで、重要な機械の中の部品には、日本の製品があらゆる所で使われ、日本製の電子機器なしではすべての産業機械・ハイテク機器の稼動の実現はあり得ません。

このアドバンテージを最大限に生かし、更にその技術力の発展を促すことが日本の使命でしょうし、そのことによる産業全体の底上げが原動力となり、資源の安定確保の取り組みの要となるものです。

不純物が多く含まれている鉱石が増えてきた事による、難処理の技術的アドバンテージを築くことも、資源の安定確保につながります。

日本の優秀な技術力の更なるステージアップと緻密な外交戦略が求められます。



現在の国際化された産業界では、外国語を駆使した国際交流が活発に行われており、かつての英国・米国の植民地の各アジアの国の人々は英語や中国語を巧みに操り、想像以上に国際化されています。

日本と違い、幼少期から英語教育を活発に行っており、個別では対処しきれないこの問題は、日本も地域・国全体で国際化を睨んだ教育が必要となるはずです。

このことは、かなり以前からその必要性が叫ばれていたことですが、多少必修年齢が下がっただけで重い腰は上がらなかったようです。

英語を筆頭とした外国語が話せなければ、人的ネットワークの構築、国境を越えたプロジェクトの推進、多種多様な知識の吸収と情報の交換、世界経済の流れの中での各国々から伝わる情報から鑑みるグローバルな思考と判断、などなど、今後日本が生き抜く上で必ず必要になってくるであろう「人的な国際競争力」を身につけることは出来ません。

外国からの優秀な人材取り入れに対しもっと門を開くべきであり、未だに鎖国状態が続く日本の在り方では、他国が国際化し多様な知識を取り入れ、様々な方法で自国の発展のために心血を注いでいる中で取り残されて行くのは間違いなく、これ以上の経済発展は望めず衰退して行く他はありません。


その昔、他の国々と同様、日本は移民を受け入れていなかった訳ではなかったですし、移民を送り出してもいたのですが、高度成長期は外国人労働者をほとんど受け入れずに自国の労働者だけで賄っていました。

農業にたずさわる人の数が多く、その余剰労働力を使い工業産業界で不足する人員を賄い、女性労働者やパートタイマーもその手助けをし、サービス業は学生アルバイトなどを使って労働者不足を補ったのです。

日本人が本来持つ勤勉さと何でもやる生真面目さ、無駄を少しでもなくそうとする能率性の意識の高さから来ていたものなのかもしれませんが、このことは、外国人労働者の受け入れをなくしたのは当然として、賃金の高騰を招き、外国人との関わりの不慣れを助長し、さらに、3kと呼ばれる仕事に就く日本人労働者の数の多さを「常態化」させました。

このことは、一長一短ともいえますが、今後は変化が求められてくるでしょう。

また、日本の大学からの意識改革は真っ先に視野に入れておかなければならないことのひとつです。

「大学側の教授陣のさらなる国際化」、「高等教育機関の外国語教育の促進」、「留学生の受け入れ」、「留学生受け入れによる住居その他の受け入れ態勢の整備」、「帰国後のフォローアップ体制」、「国の財政措置」等、積極的に実施し成果を上げて行く必要性に迫られています。


また、日本は途上国の自然破壊・環境破壊を抑止し、環境保全及び再生を促すことで積極的にアフリカ諸国や東南アジア、中近東に関与し、つながりを深くすることが出来るのではないでしょうか?

今はODAを含め全てにおいて、特にアフリカ諸国などはつながりが足りない。
日本がその気になれば、世界一の省エネ技術も含め多大な貢献ができます。
(もちろん、言葉で言うような簡単なものではないのですが・・・)

もしやるならば本気で。
世界中のどの国も真似できないほどの規模と関与の仕方でなければなりません。

中途半端では劇的な変化は望めないでしょうし、いくら貢献してようが尊敬も得られない。それが人間の心理です。

日本が今まで途上国にしてきた貢献は少ないものではありませんし、素晴らしいものです。しかし、それは国益にも勿論なってはいますが、少し中途半端だといったら言い過ぎでしょうか?
支援と必要性及び、その事に対する受け入れ側の評価が高まることにより、更なる国益として跳ね返って来るものです。

そのやり方の是非はまだしも、中国は「本気」です。

日本も日本にしか出来ないやり方がどこかに必ずあるはずですし、いつかはそれをやるべきなのかも知れません。

やるならば、全世界が驚愕するほどの圧倒的な関与で・・・


「エネルギー開発と研究、資源の安定確保」

今後は「排他的経済水域(EEZ)の海底資源のエネルギー確保」も重要な課題となってくるのではないでしょうか。

「排他的経済水域」とは基準となる内水の基線から「200海里」までの水域で、その中で領土に近い領海と接続水域を除く部分の水域のことをいい、国によって主張が異なっていた、主権が及ぶ「領海」の基準を経済的主権を認める代わりに公海としての自由航行が出来るよう定めた基準水域のことです。

日本は領土は狭く小さいですが、このEEZと領海を合わせた面積は一気に「世界第6位」の広大な広さとなります。

これから大規模な海底資源探査が行われる事になっており、中国と互いが主張しあい領有問題となっている「東シナ海ガス田の領域」も探査の対象となっており、中国との衝突は必至でしょう。

ただ、日本の経済水域に眠っているレアメタル等の資源の開発は、資源貧国の日本にとって重要な課題であるのは間違いありませんが、環境破壊に十分考慮しなければならない計画なのは当然です。


新エネルギーといわれる「メタンハイドレート」も日本の海域にも大量に存在すると目され、まだよく分かっていないそのエネルギーは、魅力的な資源の可能性と環境破壊の諸刃の剣を持っている懸念もあり、研究者・技術者のさらなる研究と解明が必要なようです。

また、資源貧国の日本は、「リサイクル(再資源化)」「リデュース(節約)」「リユース(再使用)」「3R」を徹底させることが必要です。

「都市鉱山」と呼ばれる、世界最大級のレアメタルの潜在的保有量を有している利点を最大限に生かすべきであり、他国への流出を防がなければなりませんし、それは重要な外交戦略でもあります。


今後は進境著しい新興国とのつながりの強化も、積極的に進めてゆく価値があるように思います。
将来の原子炉燃料としても注目されている「トリウム」の世界一の埋蔵量を誇る「インド」は、トリウム原子力発電の研究・開発を進めており注目されています。

様々な分野で躍進し、国全体にバイタリティーを感じる親日のインドとの関係強化も将来の国益につながるような気がします。


また、やはり注目は「中国」です。
その人口の多さ、国土の巨大さ、登り続ける経済発展は他国の脅威であると共に、中国自身が自国で必要とされるエネルギー資源その他の需要が膨らむ一方であり、それは近い将来、中国が大きな問題を抱えるだろうという事でもあります。

それに平行して、国の発展と先進国が持ち合わせていなければならない責任に連動されていない、劣悪な環境問題も中国に大きく圧し掛かる問題となるはずです。

その時、中国にとって一番の頼りになる国はどこなのでしょうか?
それはロシアでも韓国でも、ましてや北朝鮮でも、そしてもちろん、中国の脅威をプロパガンダし続けて来たアメリカでもありません。

「過去の出来事」は置いといて、中国が心の片隅では信頼し頼れる国、それは我が国、日本なのではないでしょうか?

その時、日本はどのような対応が中国政府に対して出来るのか。

その舵の取り方を間違うと日本は決定的なダメージを受けることにもなりますし、逆に飛躍のチャンスでもあり、世界に日本の重要さを示せる機会でもあります。

はたして、今の日本にその絶妙な舵取りが出来るのでしょうか。
posted by マーキス at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月17日

教育がすべての源 「日の丸」逆転のシナリオA

《追い詰められた 「不思議の国」日本》

「学びと精神」

開かれた国際社会の中で、日本も国を開いたものにして多様性を高め、異なる価値観を持つ人が様々な議論する場を作るべきです。
そうでないと、世界の動きと各国々の考えは見えてきません。

また、国全体の資源の重要度の認識と明確且つ計画的な資源戦略、そして若者の労働力と全体を底上げした高度な教育が必要です。

日本が復活の狼煙を上げるためには、底からのレベルアップしかありません。
平和ボケから脱却し危機感を持ち次のステージに上がるためには、どの色にも染まっていない子供達から変えて行くしか方法はない。

それにはやはり教育しかありません。
先進国と途上国の最も大きな違いは教育レベルです。

物質的な資源や食料、国のインフラ整備等はもちろん大切ですが、低い教育レベルの国にも発展はあり得ない。

他の国々は教育レベルを上げようと血眼になっているのです。ゆとり教育など正気の沙汰ではない。

そのゆとり教育は見直されることになりましたが、その弊害は地域により色濃く残っています。

住む地域にもよりますが、私の住む地域の複数の塾の先生の証言では、ゆとり教育の世代の子達よりさらに今の子供達の学力の方が明らかに落ちているそうです。

あまり教育に力を入れていない地域では、ゆとり教育に慣れてしまった教育者(親・先生・自治体等)が、そのやり方に慣れた今になって、ゆとり教育の本領?を発揮しているようです。

他県に住む友人や親戚の話を聞く限り、地域により歴然とした差があるようです。

親の経済レベルから来る教育の格差だけでなく、地域による教育の格差は確実に広がっているようですし、それは更なる「生活格差」となって現れるでしょう。

親御さんの経済レベルと地域の教育レベルの低さのダブルパンチを食らい、子供故にまだ右も左も分からず、何も気が付かないまま差を付けられてしまう子供達が不憫でなりません。

また、学力だけの問題でもありません。

社会人の仕事でも、例えば、職人さんの世界でも親方が若い職人に怒らなくなっていますし、給料も払い過ぎで過去では考えられなかったほど甘い職場教育となっています。

それでは真の意味での一流の職人が育たない。

器用な手先の才能のみでそれなりの仕事が出来るだけでは一流とはいえませんし、ずるさのない真の責任感を持った将来の立派な親方とはなり得ません。

大きな意味で、あらゆる教育の何かが間違っています。

作家で環境保護活動家、日本国籍も取得した、「C・W・ニコル氏」が言っていました。「40年前の日本の子供達の目は眩しいくらいに輝いていた」。

本来、誠実さと勤勉さを兼ね備えた日本人が、かつての目の輝きを取り戻すことができるのならば勝負になるはずです。
しかし、今のままでは勝負の土俵にすら上がれない。


国土の狭い小国で、軍事力に乏しかったかつての日本が、大国のロシアに勝ったような奇跡をおこすことが出来たのは、知性という武器があったからです。

日本人には武士道精神という気骨が備わり、武士だけでなく、農民・商人・職人、全ての人々に宿っていました。
そこには、清さがあり、正直さがあり、純粋さがありました。

ナチス・ドイツから迫害された大勢のユダヤ人を救い、満州から日本に渡ったユダヤ人に対して、査証なしでも入国を認めた日本に感謝の念を表したユダヤ難民の言葉に、当時の兵庫県庁外事部長は、「日本の国体の精華から生まれる人道主義の当然な現れであるから、感謝するのは、かえって礼を失することになる」と答えたそうです。

その言葉は、差別することなく、迫害された人を救うのは当たり前。こちらが無理をしたり、不承不承の意で行ったのではないとする、揺るぎない信念を持った気高い誇りから来た言葉だったのでしょう。

かつての日本人は、真の正義感と道徳心、確乎不動の気骨を持った誇り高き人々でした。

それに加えて、一般の人々から高官まで、すべての教育水準が高かった当時の日本人は、悪く言えば要領の良さを欠き、その純粋すぎるともいえる精神の欠点の部分を見事に凌駕してみせたのです。

また、その気高さから、ユダヤ人をはじめ、他の民族・他の国から多くの支援を得ることができたのでしょう。


「根底からの変化」

「なんとかなるのではないか?」・・・・・いつも希望的推測のみの「不思議の国」の人々。
そろそろ、その幻想から脱却すべき時です。

初等教育からお金の動き、経済の動きを学ばせ、「資本主義社会の掟」をじっくりと且つ、徹底的に教える教育のシステムを創り出す変化がこれからの必須条件です。

頭の柔らかい幼少の頃からの教育による、経済・金融の根本的な知識、それを取り巻く人・人脈・企業・あらゆる機関、その渦巻くマーケットからくる政治的な方向への流れ、そしてそのことによる生活環境への影響等が、当たり前のように感性として敏感に感じ取る事の出来る人材作りが欠かせません。

いずれは必ず訪れるであろう「インフレ」は、団塊世代の引退及び莫大な額の郵貯マネーの存在、あるいは中国・米国・ユーロ等の様々な状況の変化など、どのようなことが起爆剤となり訪れるか分かりませんが、必ず来ます。

そのようなことにも逸早く対処できる人材を養うことが、国益を守ることになりますし、全体の底を上げることにも繋がります。

昔は寺子屋というのがありました。

消滅直前でしたが、地域により数十年前までは、近所のお寺さんでは当たり前のように、習字やそろばんを教えていました。
近所の上級生から下級生、幼稚園児まで、子供達皆が通っていました。

もっと昔は、国全体・各地域の人々すべてに、学ぶ姿勢と土壌が根付いていたはずです。


現在の資本主義社会の現実の中で高度なレベルの教育を怠るということは、子供達の未来を放棄していることに他なりません。

赤貧の途上国の境遇と同じような「教育貧国」になった国に未来があるはずはない。
少なくとも、教育のレベルアップを至上課題としている他の先進国や新興工業国(中進国)に「教育貧国」の国が勝てるオプションは存在しません。

また、議会制民主主義は、世論の意向からの距離が近づきすぎてしまった場合に加え、有権者が知的教育レベルの低い者や非理性的な者が増えたり多くいる場合も「衆愚政治」となる危険性があることを肝に銘じなければなりません。

日本が再び東洋の奇跡と云わるような更なる復活を成し遂げるには、現在の過ちに気付き、日本人が過去に持ち得ていた、日本人にしか持ち得ない英知を取り戻すことが、唯一残された復活への鍵のはずです。

様々な物事を学び知識を得ることは、自由を得ることでもあります。
無知であることは不自由であることに他なりません。
ラベル:日本 教育 精神 経済
posted by マーキス at 19:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月04日

高齢者との絆と犯罪 重要な「監察医制度」

近頃、時事日記ブログであるかのような様相を呈してきたこのブログ(笑)ですが、御了承下さい。

「名ばかりの高齢者」

ここ数日、東京都内で111歳と思われていた男性がミイラ化された遺体で発見されたり、都内最高齢とされていた、113歳の女性の所在が確認されないなどの事件が相次いでおきました。

男性の場合は家族の年金詐欺の疑いが濃厚とされているようです。
一連の報道では、名ばかりの高齢者が多く存在することが明らかにされるにつれ、その実態把握が困難であることが問題になってきました。

昨今のプライバシー保護の考えが浸透していることや入院や老人ホーム等への居所の変化、あるいは家族間での高齢者の頻繁な住居転移等も、実態の把握をさらに困難にしているようです。

家庭の事情は様々であり、色んな理由で仲が悪かったり喧嘩別れしたり、その他様々な理由により疎遠な関係になっている家族も少なくはないでしょう。

また、疎われた家族と一緒にいるより、一人暮らしをしたほうが幸せに感じる高齢者の方も沢山いるようです。


しかし、一連の報道ではもうひとつ大事なことが置き去りにされている気がします。

100歳を超える高齢者の所在が不明の場合、すでに亡くなっている可能性も大きい。
もしどこかで亡くなっているのならば、その「死因の原因」の究明も重要な事柄となります。

「死因」にはもちろん様々なものがあります。「心不全」「肝硬変」「腎疾患」「脳溢血」「脳梗塞」「脳血管疾患」「肺炎」「全癌」等など多様ですが、それを起こさせた原疾患を見定めないことには真の死因は分かりません。

若く健康な人が心不全で亡くなった場合は、その原因となるものが大量摂取による急性アルコール中毒かもしれませんし、睡眠薬等の薬物の大量摂取かもしれません。

上記のものであるならば、自分の意思で摂取したのか、人に無理矢理飲まされたのか、自分の意思の場合は自殺目的なのか、そのようなつもりのない単なる事故なのか。

死因となった「原因」を調べなければ、真の死亡原因が見えてきません。


あってはならないですし可能性は少ないでしょうが、今回の一連の事件を見る限り、現在の社会システムでは、もし仮に高齢者殺人が犯されている場合、巧妙な隠蔽を行えば比較的容易に完全犯罪が成立してしまうかも知れない欠点が明るみに出たといえるのではないでしょうか?

今回報道された事件の事を言っているのではありません。
最近は物騒な事件や信じられないような事件も多発していますが、親子や兄弟の親族間の目を奪いたくなる様な事件も多い。
高齢者に対してだけ事件の可能性がゼロとはいえないはずです。


日本では多くの殺人事件が闇に葬られている事をご存知でしょうか。

日本で監察医制度のある都市は、「東京・大阪・名古屋・横浜・神戸」の5箇所のみなのです。
その中でも正常に機能しているのは、「東京・大阪・神戸」のたった3箇所のみとも云われています。
(名古屋は制度が崩壊しているに等しい)

過去に沖縄で「トリカブト保険金殺人」という事件がありましたが、あの事件は被害者の知人が疑惑を抱いたことにより、監察医による司法解剖の要請をし事件が明るみに出たのです。

トリカブト事件は非常に稀な例であり、その死因にいささか疑いがあろうとも、監察医制度のない県では司法解剖・行政解剖等の精査は(ほとんど)行われないことが多く、相当な数の事件が闇に葬られているはずです。

また、厳密な「監察医」と呼ばれる「法医学の専門医師」自体が非常に少なく、日本の治安の良さは、モラルの高い国民性や行儀の良さ、きちんと確立された住民票制度や交番制度、単一民族、政治システム等の様々な要因から来るものであり、決して犯罪検挙能力が優秀だからではありません。

私の周りでも、知人の弁護士事務所が扱った事件で、明らかに関係者の連続した不審死が認められるのに、ただの事故死として扱われた事件もありました。


医学を学ぶ人達のほとんどが「臨床医」(つまり、病院で治療・診断をするお医者さん)となり、死者を扱う法医学の世界に進む人は非常に稀だそうです。

事件の原因究明に大変重要な役割をする監察医制度と法医学者。その充実なしでは国民の安全と安心、真の治安が維持できません。
制度の抜本的な改革と法医学者・監察医の待遇の改善等が早急に必要です。

死者の生前の人権を擁護することにより、社会秩序が保たれることになるのです。
posted by マーキス at 15:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月17日

御巣鷹山ー鎮魂の儀 日航機墜落から25年

暑い日々がまだまだ続くようです。
皆さんは盆をどう御過ごしでしたでしょうか。

パソコンにトラブルがあり、暫く記事の投稿ができませんでした。
盆の用事で忙しく、そのままにしていてようやく解消しましたが、今回のトラブルの他にも調子の悪いところがあり、そろそろ買い替え時のようです。


御巣鷹山の日航機墜落から25年

あの忌まわしい事故から、25年が経ちました。
パイロット等が書いた書籍などは何故か比較的読むほうで、その書籍などからもこの事故の壮絶な様子がうかがえます。

また、現在ではネットでボイスレコーダーの声なども聞くことができ、私も聞いたことがありますが、この日航機123便の機長の「最後の言葉」が頭から離れません。

最後まで必死で責任をまっとうした機長及びクルーの方々に敬意を表し、あのような事故が二度と起きないよう願わずにはいられません。


「衝撃的ニュース」

1985年8月12日、日本航空123便が消息を絶ち、墜落した可能性が高いと衝撃のニュースが流れてから25年。

盆の帰省ラッシュの時期でもあったことから、沢山の人を乗せたジャンボ機。520名の尊い命が奪われ、単独機では世界最多の惨事であるといわれています。

同機が過去にしりもち事故を起こしたことによるボーイング社の修理が不適切だったことによる、圧力隔壁の破損が原因とされています。

その際、尾翼・尾部の多くの部分が喪失していたとされ、さらにそのため油圧4系統全てが損傷して、エレベーターやエルロンも全く利かなくなって完全な操縦不能に陥ったそうです。

多分、電動で僅かながら動くフラップと左右のエンジンのスラストの強弱だけで必死のコントロールを行っていたものと思われます。

操縦桿と舵面を直接ケーブルで結んでいた時代の航空機などと違い、「747型機」等にみられる油圧系統が集まる機体尾部で大きなトラブルが起きてしまうと、全ての操縦が不能になってしまいます。

御巣鷹山の事故等を教訓として、ようやく油圧系統のバックアップシステムが取り入れられましたが、「DC-8型機」などのケーブル機の多くのパイロット達からその危険性を疑問視・指摘されていたにも拘らず、対策は常に後手に廻り、その結果あの大惨事の事故が起こったのです。

(このバックアップシステムは、実は御巣鷹山の事故後も数年間放置されていました。御巣鷹山の事故後も「ユナイテッド航空」が同じような3つの全油圧系統(DC-10型機)を失う事故を起こしました。何度かの事故の後、航空機メーカーはようやく重い腰を上げたのです。)


墜落場所は群馬県・長野県・埼玉県の境にある山岳でした。
どの県に落ちたのか。各県警本部には緊張が走ったことでしょう。その県の県警にとっては経験したことのない想像を絶する「戦争」が始まるからです。 墜落現場は群馬県でした。

夏の暑いこの時期での大惨事。
事故処理に携わった方達の大変さは想像に疑わしくありません。まさに地獄絵図だったことでしょう。

群馬県では、1984年に全国に先駆けて、県内で予想される大規模災害・事故等に備え、検屍・法医学の研さんを行う目的で、「群馬県警察医会」が発足されていました。
神様が群馬県を選んだのでしょうか。

次々と運ばれてくる遺体の検屍と身元確認は困難を極めたはずです。航空機事故は当然の如く遺体の損傷が激しいからです。

また、小さな子供の場合は、仕事と割り切れず、検屍に携わった人達は涙が止まらなかったそうです・・・


一瞬にして多くの犠牲者を出してしまう恐ろしい航空機事故。過去の事故を教訓として、航空関係者の全ての人々が事故を風化させず建設的な議論が展開される事を望みます。
posted by マーキス at 17:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月19日

「価格カルテル」と「必要悪」と「法」

「独占禁止法の難しさ」

以前、デビアスなどの価格カルテルについてブログの記事にしましたが、そのような問題はブログの1記事程度では多くを語ることはとてもできませんし、ホンの片隅を話したところで誤解を招かないように説明するのも困難なものです。

今回もその中でのほんの僅かな内容・一部の抜粋ですが、記事にしてみました。


日本での「独占禁止法」や「公正取引委員会」などは「消費者保護法」としての性格を強く持っています。

公正取引委員会の告発方針として、「国民生活に広範な影響を及ぼす悪質・重大な事案」という考え方があります。

この判断こそが、まことに難しい判断であり、特に「課徴金」が導入される前までは人員の少なさも手伝い、摘発する意味の薄さから活発には行われていませんでした。

建設談合を例に出すと、それまで公然と行われていた談合はある意味透明さがあり、数ある様々な公共事業の中で、談合に参加した企業の中の得意とする工事を企業選択の主な指針とすることなどにより、良質な工事ができるよう導かれたりもしていましたが、国民とマスメディアの強烈な突き上げに遇い、透明性のある談合から不透明な談合へ、そして淘汰へと導かれて行きました。

本来、建設業に関わらず、全ての公共調達にしろ民間事業にしろ、「良好な品質とそのなかで出来るだけ安価で安全、且つ平等」であることを「総合的に」求められることが、国民皆の利益となるものです。

例えば、オイルショック等が来て物がなくなったと仮定すれば、そこに完全な自由競争を与えてしまうと統制が利かなくなってしまいます。
争いを絶ち平等な富の分配を行うには、官を含め企業間の情報交換、話し合い、談合、適正な価格設定等が必要となります。

物の値段は安ければ良いというわけではありませんし、安ければ単純に消費者・国民のためになるわけでもありません。
また、企業間の話し合い・取り決めからくる価格カルテルの設定が必ずしも国民の不利益になるわけでもありません。

その微妙で複雑なバランスを、「話し合いによる値段の決定はだめだ」と単純な理由で排除しようとする行為は非常に愚かな行為といえます。
そこには、「利権」「一部の人間あるいは企業だけに利益が運ばれる」という感情も多分に含まれるのだと思いますが、安易な判断は経済のバランスが崩れてしまいます。
(もちろんその是非の判断が、そもそもあまりにも難しいものなのですが・・・)


高度成長期にインフラ等の整備を飛躍的に行ってきた建設談合が国民に与えた利益は大きい。
このことで他の業種、あらゆる業界が活性化し、税収も莫大な額となりました。
日本を代表する産業である自動車産業の活性化にも、建設業界の存在が少なからず関与・影響を与えていたのも間違いのないことです。

また、建設業界が他の業界にまで与える影響力は他の業界よりも大きい。
例えば、家電業界が活性化してその影響が他の業界にまで与える影響よりも、建設業界の浮沈が他の業界に与える影響の方が大きいといえます。


また、「独占禁止法」も寡占市場での有効性と中小企業間でのカルテルの摘発の差異に大きな疑問符が付きます。

単純に独占禁止法と公正取引委員会を消費者保護の立場だとの目線でみていては、弱い立場の人間、あるいは零細企業だけが追い込まれる場合もあり得るのだということにも注意が届かなくなる危険性もあります。

(法を決める側の人達は、最初からこの問題点は把握しているようです。問題はそれよりはるかに数で勝る一般消費者の意識です。)


また、建設談合排除の背景には、アメリカが介入・強く求めたことにより、摘発にさらに拍車が掛かった事情も少なからずあるようです。
悪いことばかりではないでしょうが、自国の利益を常に考えて行動している外国の要望を安易に受け入れていては、物事によっては我が国の国力の繁栄が阻害されてしまう危険性もあります。


「放送業界」

過去にGHQが占領した時に最初に押さえたのはラジオ局でした。
国民をコントロールするためにメディアを押さえるのは当然の政策でしょう。

そして佐藤栄作のもとで整備された放送免許制度からくる「放送利権・電波利権」の権力を握ったのが、「田中角栄」であり、竹下登や金丸信でした。

建設業界の「おやじ」だった角栄氏が日本の将来に与えた影響はここでも大きかったようです。

(そして、彼ら及びその後継者達が築いた「城」に土足で踏み込もうとして杭の頭を打たれてしまったのが、堀江貴文氏です。)

日本テレビの創設には当然莫大な資金が必要でしたが、正力オーナーがその資金全てを調達できた訳ではありません。
CIAがその影にいたのは大いに考えられることであり、日本のテレビ業界の創設にはアメリカの軍事的要素と思惑が多分に含まれていたはずです。


そしてトップが新聞社からの天下りばかりで、放送利権を握った政治家と親しく、政府に強烈に保護されながら既得権益を維持してきた業界です。
また、政治家からのコネ入社が多いのも、この業界が政府・政治家から特権を与えられてきた理由のひとつでもあります。

ちなみに、自社のアナウンサー等の社員に数千万もの給料を与えながらも、戦後、「地上波のテレビ局」は1社も潰れてはいません。
常に厳しい競争に晒されている他の民間企業では絶対にあり得ないことです。


また、話しが脱線しますが、今後のデジタル放送への移行には莫大な額の設備投資資金が必要とされます。大義名分に乏しい資金の国費投入は国民が納得しないでしょう。

利権に群がった権力者達が「国策」と位置付け、NHK/民放に税金を投入することは簡単なのでしょうが、アメリカやイギリスの成功したとはとても言い難い前例を見ても、数々の難題をクリアしようともせず、「何も動かない・国民の意向を考慮しない」日本の政府のこの政策は失敗に終わる可能性が大きい。


尚、放送業界は独占禁止法には抵触しません。
免許制の事業の上での自由競争であり、混信を防ぐための制限等も必要で、どうしても寡占市場とはなってしまいます。

そのこと自体は他にもそのような業界はありますし、職種の違いとして仕方のないことで、逆に必要とされる制度と制限であると思います。

問題はあまりに過剰な優遇措置です。
もちろんテレビ等のメディアは「セイフティネット」「ライフライン」としての重大な役割がありますし、国民にとって大切な情報源であり重要な存在です。
この優遇措置が国民に与えた利益も沢山あったのでしょうし、「必要悪」であった部分もあるのでしょう。

この独占禁止法の判断や公取委のあり方、あるいは必要悪の考え方などは、非常に判断が難しいものです。
また、このような短い記事と少ない例題等では偏った意見とも捉えられてしまうのも否めません。

ただ、建設業界と放送業界を取り上げたのは、その判断の難しさを問いたかったからです。
建設談合は「悪」で、一般消費者が建設談合ほどは叩かない(マスメディアがあえて身内は叩かないのでしょうが・・・)放送業界の利権と優遇措置は「悪」ではないのか・・・

ここで記述したことに限らず、少なくとも国民は「周りの雰囲気や風潮、流行」に惑わされぬよう、言葉を変えれば「他人に依存した思考」のみで安易に判断すべき簡単なものではないという認識が必要なのではないかと思います。

また、力を持った機関、及びマスメディア、あるいは外国の機関等が、プロパガンダやディスインフォメーションを行った場合の危険性も、察して知るべしだとも思います。
機関のプロ達にとって、「他人に依存した思考」の人間ほどコントロールが容易な人種はいません。


「自浄作用の時期」

権力と特権を持つ人達は、当然それを「行使すること」が出来ます。
すべての事業・商売において、許可や免許、届出、登記等、国や地方の自治体・機関が関与してきますが、国民の利益と生活基盤に対して話し合いが不可欠な公共工事には、特に官や政治家が入り込む余地が多く、天下り、それに伴う癒着などを生んできました。

(もちろん、天下りや癒着は、ありとあらゆる業種・業界に及んでおり、建設談合などより、早急に淘汰されなければならないものが多々あるはずです)

通常の民間企業は、大きな企業がたとえ財力と権威は持つことが出来ても、権力は持ち合わすことはありません。
民間企業のみでの話し合い等では、多少の欲目が働いたとしてもしれていますし、その分はきちんと仕事で還元するのが一部を除いて日本の企業の気質です。

そこに官と政治家が権力と特権を行使してきたのが最大の不幸であり、変な言葉ですが、「純粋な談合だけだったのならば」、たとえ官がその中に含まれようとも、その話し合いは国民の利益にもなる本当の意味での「必要悪」だったかも知れません。

「権力と特権を行使すること」そのものが悪いことばかりではありませんが、その使い方が問題となるのではないでしょうか。


しかし将来を見据えた場合、その部分の腐敗を排除した国民の判断は正しかったのかも知れません。

他業種にも多大な影響を与える業界の急速な排除・淘汰は相当な痛みを伴うものであり、今働き盛りの世代の人が生きているうちは痛みを伴ったままでしょう。
ですが、国民は子孫の未来のために崇高な自己犠牲を選択し、将来のある子供達に託したようです。

日本に限らず世界的なこの不況は、人類に何らかの自浄作用を求めているのかも知れません。
posted by マーキス at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月01日

国民不在の猫対決 「権力」という名の鰹節

「迷走する民主党」

菅首相と小沢前幹事長との党を二分した対決。
不透明で先行き不安のある経済状況の中での代表選にメリットは何も感じません。

政治家は派閥による覇権争いが仕事ではありません。
自民党が常に行ってきたことの繰り返しであり、ころころ主導者が変われば国際的な信用は得られません。

政治資金を巡る疑惑について説明責任を果たしていない小沢氏の出馬は民意不在であるし、政策と景気の問題はおざなりにされています。

「起訴相当」に限りなく近い「不起訴不当」での出馬は、国民を舐めきっているといわれても仕方がない行動でしょう。
庶民は完全に蚊帳の外です。

権力を握ろうとする野心そのものは結構なことです。
国を変えるためには、変えることのできる立場にいる必要がありますから。

誤解を恐れずに言うのならば、私はダーティーな部分をあえて受け入れることや、それを含めた戦略による権力の掌握は、「最終的な結果」を導き出すために「あり」だと思っています。

しかし、それはたとえダーティーな部分を自分自身に受け入れようとも、崇高な理念と国の将来を見据えた真のリーダーシップと気高い誇りを備えていなければなりません。

彼は、「サダト」「ケネディ」のような人物では、「もちろん」ありません・・・



「税制改正」

代表選を横目に政府税制調査会は、法人税の引き下げや環境税の創設等の要望が出揃いました。

法人税ですが、これを減税しても現在の行き詰まった景気に影響は出ないでしょう。
それは利益に対する課税だからです。極端に言えば儲けている会社は負担にならない。いわば極普通の正当ともいえる課税です。

確かに欧米諸国の税率からすると極端に高い日本の法人税ですから減税は歓迎ですが、増税案は先送りされたとはいえ、不況で喘ぐ企業にとって「消費税」は重く圧し掛かっています。


目玉といえるのは、環境税の創設とイスラム債(スクーク)の配当非課税です。

特にイスラム債の配当非課税は、配当の15%が源泉徴収扱いにされる現状から他の主要国と同じように非課税扱いとすることで、海外からの資金の呼び込みを狙うものです。

イスラム金融は利子の概念のない金融取引で、コーランの教えに基づいて作られた「シャリーア」と呼ばれる法律が、金銭の使用の際の利息を禁じています。

では、どうやって利益を生んでいるかというと、例えば、企業からお客さんの代わりに商品を購入して、その商品に利益を上乗せして販売したり(問屋・中売・小売の役割)、企業から商品を購入して所有権を持ち、お客さんにリースする、あるいは、そのリース期間が終了した後に所有権の移転をする(住宅ローンのようなもの)。

また、投資家からお金を預かり様々な事業等に投資をして、投資家と利益を分け合う(投資家にも損失リスクは勿論生じる)など、金利そのもので利益を得ずに、ある意味、金融商品を自らアクティブな事業投資を伴いながら運営している金融業ともいえるものです。

このイスラム金融の需要は1990年代から発展し、特に2000年代からは急速な広大を示しています。
中東のオイルマネーの潤いも、更に需要を加速させることと思われます。

欧米の銀行や企業は、いち早くイスラム金融を戦略的に捉えており、先進国では日本だけが遅れをとっているようです。
「スクーク」の非課税対策も、他の主要国に比べて遅れを取ったといわざるを得ず、海外投資家及び自国日本の企業の、積極的な投資・介入・企業戦略においての積極的な行動を損なうことにもなったはずです。

日系企業では、「イオンクレジットサービス」が、「マレーシア」で発行したイスラム金融債で調達した資金を元手に、カードシステムや融資ビジネスに着手。
「スクーク」の需要の多さから低コストで資金調達が可能なようです。

イスラム金融を戦略的にとらえる日本の民間企業は、まだ非常に少なく、今後はもっと注目すべき事柄です。
一般投資家にとっても、日本の企業の中で、今後株の動きなどにも影響を与えるひとつの指標ともなる判断材料かもしれませんね。
posted by マーキス at 15:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月23日

堕ちた検察の威信 と 学閥ブレイン

「混乱する検察」

検察を揺るがす大阪地検特捜部による捜査資料の改竄・隠蔽事件。

捜査機関のなかでも高い位置・地位にある特捜部の、正義から著しく外れた犯罪行為とそれを積極的な意思を持って隠ぺいした行為は、国の治安と社会秩序を根底から揺るがすものであり、その罪はあまりにも大きい。

検察にとってこの事件の衝撃は当然大きく、その特権により手厚く保護されてきた検察官の身分ですが、前代未聞の過去に例のない大量処分を行う結果となりました。

検察側が受けた衝撃は計り知れないものでしょう。今、検察内部では右往左往の騒ぎと混乱が起きているはずです。

今まで検察官の信頼は厚く、検察の供述調書は高い証拠価値が認められてきました。

重要な任務からくる責任の大きさと重さを背負ったその能力に、治安を維持するための砦としての大きな信頼と権限を国は与えてきたのです。

行政機関でありながら準司法機関でもある職種の重さと、司法試験に合格した知性に特別な期待と待遇を与えすぎたのでしょうか?



「日本を動かす学閥ブレイン」

司法試験に合格した者は司法修習生となり給与を貰いながら(2010年廃止に伴い、貸与・後に返済する制度となる)修習を受けて最後に考試と呼ばれる試験に合格して、裁判官(判事補)・検察官(二級検事)・弁護士の法曹三者のいずれかの登録の資格を得ますが、この世界も実は学閥が明らかに存在するようです。

唯一「弁護士」だけは司法試験に受かりさえすれば学歴(学校名歴)などは関係が無いのですが、特に裁判官は司法試験合格者の大学別の割合からいっても、東大出身者の割合が多いようです。

(但し、大手企業の顧問弁護士などは、学歴の落ちる弁護士がなるのは稀といえるでしょう)

司法修習生考試試験に合格したあかつきには、どの世界に進むか選ぶことになりますが、東大・京大・慶応・早稲田及び中央など以外の地方の大学出身者が裁判官をめざすことはあまりないようですし、下級裁判所の裁判官の選考基準は明らかにされておらず、あるていどの学閥は暗黙の了解となっているようであり、任命は密室によるものといえ、東大出身者を中心とした特定の大学に集中しています。

(もちろん、あからさまに出身大学を選ぶという単純なものではなく、たぶん様々な判断基準を点数制で判断しているのではないでしょうか? 
つまり、東大なら○点、慶応は○点、修習の成績の優は○点、良上は○点などなど、定かではありませんが・・・)

また、出身大学だけでなく何回で合格したのか、つまり、一発で合格したのかあるいは2回目・3回目で合格したのか、また、上記の修習での成績なども選考判断の基準となるとも云われています。

これは学閥とは関係のない判断基準ですし、学力の実力をはかる上で当然だろうともいうべきもので、司法試験合格者自身も何度も受験して受かった地方大学出身者は、弁護士以外の選択肢は最初から持っていません。

そして検察官ですが、検察官のなかでも「検事総長」「次長検事」「検事長」などの認証官、並び職級の位の高い地位の人は特に、特定の大学出身者、優秀と名高い有名大学出身者が多いようです。

つまり、実社会に出ての社会人としての仕事の能力と実力、並びに法曹界での実際の能力と実力は別として、司法試験合格者のなかでも「裁判官」と「検察官」、そして検察官のなかでの高い位の職級の人は、更にその中の学歴エリートというわけです。

もちろん、学歴だけでなく学力も当然備わっている訳ですし、学力がある人物が有名大学出身であることは当たり前でもあるのですが・・・
(また、エリートとなり得る者でも弁護士の世界に進む人も、もちろんいます)


学閥は公務員のキャリア組の出世に関してなどは色濃いですし、ある程度は仕方のないことですが、度が過ぎると危険でもあります。
(内閣が任命する「日銀総裁」ですが、歴代の日銀総裁のなかで、近年に続く第15代から現・第30代総裁の白川氏まで、東大出身者ばかりだと思います)

実態は把握しきれていませんが、キャリア官僚を含め司法・行政等、国を運営するに当たって重要なポストに就いている方々が、ひとつの学閥、つまり東大出身者ばかりが出世し、そのポストに就く場合が多いと仮定するならば、実質国を動かす人物達がある意味同じ色の人間ばかりということになり、変化が起きず違った感性がその中枢に流れないということでもあり、動脈硬化を起こしダイナミズムが失われてしまうという事にもなりかねません。

現実には優秀な人を出世させるのは理屈ですし、優秀な人や超難関資格に合格する人に東大出身の人が多いのも当然でしょうし、逆に京大や一橋、早稲田・慶応などの他の優秀な大学出身者が重要なポストに就いている例も実際には多々あります。

ただ、日本の中枢での東大学閥はあらゆる所に根付いているのも、また事実なのです。(他有名大学も然り)

学閥に限らず派閥というのは人間のサガともいうべきもので、何かを基準とした仲間意識があるのは当たり前といえるでしょうが、ある程度のバランス感覚は大事なことでしょうね。


さて、この混乱は日々行われている裁判にも悪影響が出ます。
現在、危機感を抱いた検察の人事異動が非常に活発に行われており、弁護士側の様々な資料・材料の調達を待たず裁判の開始を早める要求をもしているようであり、少し混乱が起きてるようです。

もちろん、日程の制御までは検察にはできませんが、忙しいなか弁護士も急かされているようですし、慌しい異動での次担当者への引継ぎが確実に行われるのか甚だ疑問です。このような引継ぎには多くの弊害が出てしまうのは世の常でしょう。


法律のプロによる透明性のある裁判が必要とされるいっぽう、取調べの可視化は諸刃の剣を持っています。

物証が少ない上での供述も重要な証拠物件だったのですが、検事に権限を与えすぎたことによる調書の証拠能力を高く評価してきたツケが廻ってきたようです。そのことは悪いことばかりではありませんが、今後は別の形と要素からくる起訴が求められてくるでしょう。

そして一部の国民感情に流される起訴とならぬよう、法の下に法律に則る裁判と司法判断、並びにバランスの取れた取調べとそのことに関する更なる議論が求められます。
posted by マーキス at 14:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月09日

経済大国されど「僕」の 不思議の国にっぽん

「動画ビデオ流出問題」

「尖閣」漁船衝突問題で、ビデオが動画共有サイトに流出し問題となっています。

政府は「国家公務員法守秘義務違反」だとして犯人探しに躍起。国会にも出せないと「国家機密扱い」にしていた衝突ビデオですが、政府の関与を否定し那覇地検が釈放を判断した事件が国家機密であるはずがない。

被疑者は釈放され裁判は行われず、もはや証拠としての価値もなく単なる資料でしかありません。
仮にビデオを流出させた者が海保関係者であった場合、海保の上役がその職員を何らかの処分をするかどうかの判断をするだけのことであるはずであり、それ以上でもそれ以下でもありません。

ペンタゴンの機密文書を命を賭して内部告発したような事例とは、まったくレベルの違う話です。

そもそも最初に海保側が、「刑事事件での証拠資料となるものだから見せられない」といっていた根拠にも疑問がありました。

資料の公開に適さない事由のひとつとして、当事者間で非公開の合意がなされている場合が考えられます。このような衝突事件に関しては適さない考え方です。

また、公序良俗違反などに見られるような公開自体の適法性が問われるような事例でもありません。
当然のことですが、特許権などの知的財産権に当たる工業所有権などでもありません。

さらに、これは第三者による「傍受」でもありません。

刑事裁判の法廷は解放されており、公開主義が原則とされるものであり、公正さの確保のため「公開裁判を受ける権利」が被告人の基本的人権として保障されています。

唯一考えられるのは、プライバシー保護の観点と海保の公務上の技術的な守秘事項です。

違法行為者に対する海保側の武器等を含めた制圧方法の技術的な部分等は、公開を避けなければならないかもしれない議論の余地のある部分ですが、海保側が主張する証拠能力云々とは別問題です。

また、「証拠裁判主義」に基づく刑事裁判では、マスコミ報道などを基にした検察官や弁護人の意見は参考にするために述べられるものであって、証拠ではありません。

あくまでも、書類や映像、あるいは他の物的証拠品、証人や被告人の話に基づいたものが「証拠」とみなされる訳であって、海保の主張、並びに政府の主張には正当な根拠がありません。

ビデオの中には、人間ですから私的な会話も含まれているでしょうし、海保側が自らの公務の状況を見せたくない心情は理解できますが、政府の主張は理解に苦しみます。

機密は堅持されなければならないのは当然だと思いますが、ふだん情報や外交戦略等に疎い政府が大した機密でもないものを、なんでもかんでも国家機密扱いするのは滑稽でもあります。

仙谷官房長官は漁船の乗組員の釈放にあたって、「14人と船がお帰りになれば、また違った状況が開かれてくる」 と述べました。

まるで僕(しもべ)かのようです。
中国にこれほどまで必要以上に怯えている理由を知りたいです。
仙谷氏の今までの卑屈なまでの中国に対する気の使い方は、ハニートラップにでも引っ掛かったのかと、下衆な疑いまで持ってしまいそうなくらいの違和感を感じます。

国際テロ情報の流出で、ただでさえ信用が落ちているときの今回の動画流出。
中国は動画の内容以前に情報流出の責任を追及してきます。

中国でもまともな知性を持つ層からは中国漁船乗組員達への批判の声も出ていますし、最初から公開していれば他国への理解も得られ、正義に基づいた毅然とした対応を行っていれば中国への外交カードともなり得ていたはずです。

今回の事件を機に、大人しい日本人としては、かなり珍しいくらいの数と規模のデモが各地で行われています。
デモに参加した人の意見の中には、「よくもここまで隠していたな」と思い、足を運んだとの意見もありました。

もちろん、海保の資料を上司の許可を得ず、勝手に個人的な流用・公表を行ったのは処分されてしかるべきでしょうし、第三者すら誰でも見れるようになっていたとされるズサンな管理体制は非難されて当然でしょう。

ただ、不正を隠す範囲には守秘義務はありません。
意見が分かれるところでしょうが、「告発」だと考える人も多くいることは事実のようです。

外国漁船の乗組員の制圧は相手側の抵抗も酷く、相当な危険と隣り合わせです。
銃撃戦になることもあり、「実際に」命懸けの任務を行っている「現場の」職員たちの心情としては、船長を含めた乗組員を簡単に釈放してしまった政府に、激しい憤りを感じる人がいても当然かもしれません。

肝心の領有問題はそっちのけでの犯人探しに、国民の共感は得られないのではないでしょうか?


少なくとも、領有問題には妥協しないという姿勢が感じられないのは誰の目から見ても明らかです。
尖閣の絶滅危機にある動植物に対しての学者達の調査に対してすらも入島の許可を出していないそうです。

日本では土地の所有権や地役権や永小作権などの「取得時効」があります。
所有の意思を持って、平穏に、且つ、公然と他人の物を占有した者は、その所有権を取得します。(一定期間にわたり断続して占有していなければならない)

このことと国家間の領有問題も一緒にするつもりなどは毛頭ありません。
しかし、日本人の頭の中には(日本人だけではありませんが)、土地の取得には「積極的な関与」が必要であるくらいの認識は持っているはずです。

尖閣諸島は、「先占」(無主先占の法理)によって日本の領土としたものであり、いずれの国の領域でもない地域に対して、自国の領土とする意思を明示して、且つ、「実際上の支配を行う時」、国際法は該国家に領土権を与え、そのことにより自国の領土としたのです。

つまり、国際的に見ても積極的な関与、支配の有無を促し判断しているのです。


最近になって、尖閣諸島は中国や台湾の領土ではない明確な事実を示した文書も見付かっているようです。

しかし、我が国の政府は大事な自国の領土に対する積極的な関与と領土問題に妥協しない姿勢をみせていません。

ようやく、与那国島に陸上自衛隊の沿岸監視隊の配備を行いましたが、北方領土問題を含め、中・露に対する確固とした対応とブレのない明確な意思を、中・露だけでなく自国民に対しても示していません。

また、北方領土は、当時の米国の対応のまずさ、ソ連の占領を許していたことが大きな原因のひとつでもあった訳で、それは仕方のない部分もあったのかも知れませんが、そのことに関する事を外交カードのひとつと捉える考えもなく、声明を発表するだけで、どの国に対しても何も行動が取れないでいます。

アメリカのFRBが大幅な追加金融緩和に踏み切ったことに対しても、日本と日銀に対抗する力と手立て、そして余力は残っていません。

八方ふさがりとはこの事です。
強気の姿勢を取ればよいというような単純なものではなく、政治は確かに難しいものですが、他国に気を使ってばかりの僕のままで、はたして厳しい国際社会を生き残れるのでしょうか。

posted by マーキス at 15:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月12日

ファシスト と 純者

「ビデオ流出者が告白」

神戸海上保安部の主任航海士が、自分が尖閣ビデオを流出したと上司に告白し、警視庁の取調べを受けました。

驚きの急展開でしたが、海上保安部に寄せられる大量のメールや電話は、ほとんどが主任航海士を擁護しエールを送るものだそうです。

国民の感情はもっともなことでしょう。
中国への腰の引けた外交は自民党政権の頃から変わっていません。

もちろん、力を増す中国との関係は大事ですが、日本の国益を考えた場合、最優先なのは西側諸国との協調であり、それなしの繁栄はあり得ません。

仙谷官房長官は、「大阪地検特捜部の事件に匹敵する由々しい事案だ」 と述べました。
今回、海上保安庁長官の監督責任は逃れられないとして更送する方針を固めましたが、検察トップの大林検事総長はなぜ御咎めなしなのでしょうか?

捜査機関の、最高、且つ、最後の砦である、特別な特権を与えられた組織が犯した、国の治安と社会秩序を根底から揺るがした大阪地検特捜部の「改竄・隠蔽事件」より、すでに政府の主要メンバーや多くの議員たちが把握・周知している内容で、政府が関与せず、那覇地検が事実上の放免をし、すでに終わっている事件の映像をそのまま流した、海保のいち職員の事件のほうが罪が重いという判断のようです。

また、この主任航海士への対応について、「犯罪がもし発生しているとすれば、刑罰も含めて、行政罰もしかるべく行為の質と量に応じて行わなければならない。徹底した捜査に基づいて処分を行う必要があれば行う」としています。

以前、「日本は中国の属国」 とまで述べたこの人の、今までの数々の「マイルール」を観察すると、思想的に「ファシスト」なのではないかと思ってしまいます。
彼の考えはファッショであり、自らの意見以外は許さない「押し付け」でしかありません。

ファシズムの定義は難しいですが、他人の意見も聞き入れる度量のない「全体主義」は有害でしかありません。

「他の人の意見もそれなりの正しい部分があるかもしれない」 という考えを持たない思考は民主主義を否定するものであり、民主主義が完璧であるわけではありませんが、その排外的な理念は非常に危険な思想と感性です。

上記の発言を聞き、多くの人は仙谷氏自身に対して同じような言葉を返したいと思っているのではないでしょうか?



ただ、私はこのビデオを流出させた主任航海士は、しかるべき処分を受けるべきだと思っています。

組織の中のしかも公務に携わる人が、個人の考えだけで組織の資料を持ち出すようなことに対し、行った内容の重要度からの処分の程度の度合いは別として、お咎めなしでは組織の秩序は保てませんし国民の社会生活も脅かすことになります。

どのような仕事でも、実社会においての業務はその内外の多くの人々に影響を与えるものであり、仕事に従事する沢山の人間を束ねる組織は、少なからず理不尽な部分やルールを定めることによる非能率的な部分も生じます。

ですが、きちんとしたルールを定め、数多くあるルールの中でも、その是非に疑問や議論の余地がある定めが含まれようとも、あらゆる意味からの全体的な利益を考えた場合、その決められたルールに従った運営をして行かないと、組織全体そして社会全体にとって不利益となる運営となり秩序も保てなくなります。
現在の人間社会では、そこに完璧を求めるのは不可能なことです。


特に組織が大きくなればなるほど、ルールの定めも数が増してくるのが常です。そのほうが組織の全体的な効率で見れば、「そうじゃない場合よりは」 仕事の能率が上がりますし、当然秩序ある営み、且つ、あらゆる意味で「社会全体に対しても利益を与えることの出来る運営」ができます。

組織には様々なタイプの人がいます。少し極端に二分すると、機転がものすごく働き、いわゆる「仕事のできる、頭の切れる」タイプは、下手にルールを沢山定めてがんじがらめにすると仕事の能率がわるくなってしまいます。

逆にあまり優秀ではない人や機転の働かない人、あるいはマニュアル人間のタイプは、ルールを定めたほうが上記のタイプと反対で、そのほうがはるかに能率が上がります。

では、通常ある程度の規模以上の組織ではどのようにしたほうが全体的に有効的、且つ能率的かというと、それはやはり数多くのルールを定めた場合のほうです。組織が大きいほどそのほうが能率的、かつ必須事項です。
これは当然といえば当然ですね。もっと大きな国単位で考えれば、隅々まで網羅したルールを定め、それに従うようにしなければ秩序が保てません。

反対に、個人事業主などの数人の組織で営んでいる事業に、大きな組織と同じような定めを設けるとまったく仕事になりません。1日たりとて機能しないでしょう。

大きな組織の中で仕事をするのならば、決められたルールを守ることは大変重要なことで、それは受け入れなければなりません。

受け入れられないのであれば、少なくともそのような組織からは離脱しなければなりません。

その意味で、今回の事件でも本人はクビを覚悟の上での行動だったようです。上司に告白する前に読売テレビに自分の身分も明かした上で話をしたとの報道もありました。
最初はともかく、次第に覚悟が固まってきたのでしょう。


主任航海士の行動は海上保安部に寄せられた多くの意見と同じように、心情的には私もすごく共感できるものです。しかし、諸手を挙げての激励は控えるべきではないでしょうか。

私は個人的には、非能率的で無駄なルールを毛嫌いする人間ですが、組織にはそのようなルールが必要なことは理解していますし、彼がそのような組織に属している以上、守らなければならない理屈も分かります。
(もちろん、激励している方たちの気持ちもよく分かりますし、その気持ちが物事を変革する力となるものですけどね)


組織のルールを破り、所属する組織に理由はともあれ迷惑を掛けた償いは、組織の一員としてのその組織の厳しい処分は最低でも受けなければならないのは当然です。

ただ、刑事事件として捉えた場合、起訴に踏み切るのもかなり慎重に考えなければならない事件であると思うし、政府が行ってきた今までのこの事件全体の不適切な対応も考えると、個人的には刑事罰を 「与えられない」 「刑事罰としては罪に問えない」 事件なのではないかと思います。

また、このような事件の立件には物的証拠以外に、本人にしか知り得ない秘密の暴露が必要です。検察にも批判が起きている現在の状況で、国民が注視するこの事件で下手を打つわけにも行きません。

そもそもこのビデオは国家機密ではありません
多くの者が周知する物事を国家機密と呼ぶのはあまりにナンセンスです。岡田大臣が暴露した「核密約」よりもはるかにインパクトに欠ける、すでに海保の「研修用」となったビデオが国家機密だとは、他国の笑いものにされてしまいますし舐められてしまいます。

国家公務員法の守秘義務違反として無理がある。公務員として処分はされるべきですが、刑事罰には値しないのではないか?

検察の中には言葉には出さないでしょうが、様々な汚点で揺れる中で、ファシストの我がままと、そもそも政府の対応のまずさが招いたこの事件に翻弄されることを、苦々しく思っている人も多いのではないでしょうか?



「知者楽水」

主任航海士の今後は茨の道かもしれません。彼はたぶん純粋すぎたのでしょう。

魑魅魍魎が蔓延り、少なくとも純粋すぎる人間よりは要領のいい人間が動かしている実社会では、その純粋さは時に他人に迷惑を掛けてしまうことがあります。

彼の行動が仮に正しいことだったと暫定してみても、長官は更送、たぶん直属の上司たちも何らかの処分を受けるでしょう。もし海保全体に政府が悪しき規制や予算等の制限をすれば職員全体にも影響が出ます。

また、政府の制限等以前に組織内の改革が行われるようになり、今まで不必要でそれがなくとも機能していたことまで余計な定めが追加されるでしょうし、それは社会にとって良い部分ではあるかもしれませんが、少なくとも職員全体に大きな影響を与えるのは間違いありません。

上司や同僚達も家族がいますし生活があります。そしてもちろん彼本人にも・・・・・

誰もが様々な悩みや葛藤と共に生きていますが、その純粋な行動が多くの人々に影響を与えたことは、彼の心の中にも一生消えることがない葛藤と人生の様々な意味を問い続けることになるのでしょう。


しかし、物事が大きく動く時、そこには「純者」たちの存在があり、大きく時代を動かす原動力となります。

私が生きている時代の中で、たぶん、最大の出来事であろう  「ベルリンの壁崩壊」 が成し得たのも、多くの純者の犠牲の基に成し遂げられたものだったのではないでしょうか。

しかし、時代を動かしたのはそれだけではありません。
その影には、純者と同時に、揺るぎない信念と勇気と行動力を兼ね備えた、名も知れぬ「知者」の存在があったはずです。



【知者は水を楽しむ】 「知者は事物の理に通じ才知を働かせ、一ヶ所にとどまらず、よどみなく流れる川の水を楽しむように、臨機応変に物事を処理するもの」

中国を後生大事にする日本の政府は、中国の思想家である孔子のその言葉を深く噛み締めるべきです。
posted by マーキス at 15:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月25日

北の暴挙 と 対中政策

「北の暴挙」

北朝鮮が軍事境界線に近い韓国のヨンピョンド(延坪島)付近に数十発の砲撃を行い、韓国側も応戦して砲撃戦となりました。

新聞も1面大見出しでこの暴挙を伝えています。
朝鮮半島は一気に緊張。北朝鮮は韓国が今後も境界水域で軍事演習するのならば、躊躇なく打撃を加えると警告。韓国もミサイル基地へ攻撃準備を軍に指示しました。

アメリカ並びにEUはもちろん北朝鮮の行動を強く非難。北朝鮮の最大の支援国である中国も、この暴挙は寝耳に水だったはずで歓迎すべき事態ではなく、北朝鮮・韓国の双方に冷静な対応をするよう呼びかけています。
中国は国際社会から北朝鮮への責任ある対応を求められるでしょう。



北朝鮮は、三代続く継承問題での国内不満分子へ向けての引き締めの意味と、ウラン濃縮施設の開示も併せ米国を交渉の場に引きずり出すための危険な瀬戸際戦術なのでしょうか。

これはもちろん対岸の火事ではありません。
あらためて言うまでもなく日本は北朝鮮のミサイルの完全な射程内にあります。

日本の政府は米国ホワイトハウスからの非難の声明から3時間以上経ってようやく記者会見。
相変わらずの、有事においての対応の遅さが露呈しました。

各国々の経済制裁が続く中、米国が断固として歩み寄ることがなければ、同盟国の日本が標的にならないとも限りません。
緊張感が感じられない日本の政府の危機意識のなさは恐ろしくなってしまいます。

国境が海域である有り難さがあらためて分かりますが、その恩恵を最大限に生かしつつ危機管理に目覚めないことには、すべてが後手に回り、常に優柔不断で自らの明確な意思を示すことのないリーダーシップの欠片もない受身の対応ばかりでは、米・中・韓及び露の話し合いと思惑から完全に蚊帳の外に追いやられてしまうでしょう。

それでは独立国家の体を成していないのと何ら変わりはありません。


また、数十年前に比べれば憲法改正の声も多く聞かれるようになりました。
以前は憲法改正を訴えた人の中にはかなり叩かれた人もいましたが、そのような考えを持った人は後に絶えず、逆にそのような発言が議論の発端となり、多くの人々に危機意識と考えを巡らせる起爆剤ともなったのかもしれません。

その是非はともかく、「議論をすべき」だとの機運が徐々に盛り上がってきているのは時代の流れでしょうか。




危機管理の意識向上と同時に、経済の建て直しと対中政策は急務です。

日本は「モンゴル」とのウランやレアアースの共同開発を加速させることで合意。
その推定埋蔵量は世界最大級であるとも云われ、期待が掛けられます。

「オーストラリア」は、「日本にレアアースを長期にわたって安定供給する用意がある」との考えを示し、また、日本は農畜産品の調整を進めることで、日豪EPA(経済連携協定)交渉も早期締結を目指しています。

また、三菱商事・住友商事・豊田通商・その他の大手商事会社も、ベトナム・インドネシアなどでレアアース等の調達先の確保を進めています。

レアアースの生産の多くを中国が占めるのは、ひとえに安い経費でできるからであり、レアアースの大鉱脈が中国にしか存在しないという訳ではありません。

他国は今まで中国の単価に合わせると、とても採算が合わないから二の足を踏んでいただけであり、未開発の地域も含め、その潜在的埋蔵量は膨大な量です。
(ただ、現時点では中国のレアアースを含む「鉱石の種類」は豊富です)


中国がレアアース等の資源ナショナリズムを行使し輸出規制を行ったことなどにより、日本を含め欧米諸国に脅威を与えたことが、逆にそのことによって中国が自らの首を絞めることとなる可能性もあります。

なんやかんや言っても、技術は日本が上ですし、中国も日本の高度な最先端技術を駆使した製品がなければ経済が廻って行きません。

その後生大事にしているレアアース等の鉱物を使って製造された、日本の優秀な製品を輸入しなければ成り立たない。日本を含めた外国の技術がないと、そのような切り札も宝の持ち腐れでしかありません。

中国国内での何かの製品の製造や、あるいは築造においても、日本の精密機械・工作機械等の様々な機械・機器や資材、技術等がないと、それを行うのは不可能でしょうし、レアアースの精錬技術も汚染対策技術も乏しい中国では、日本を含めた外国の技術なしではいずれ立ち行かなくなってしまいます。

日本の製品・技術・企業・文化等の流入による恩恵は、中国国内にとってなくてはならない重要なものであり、日本に対する制裁を行うことにより、それらの引き揚げが起きれば困るのは中国です。

また、日本の高速道路会社はインドやベトナムでの高速道路の建設を管理運営を含めた形での計画・事業展開を目指しています。

ODAで建設した道路を含め、各アジア地域でのインフラ整備による輸送路の確保がさらに進んで行けば、そのような地域での企業の誘致が見込め、将来は脱中国がますます進んで行くことだろうと思います。

また、中国の消費者物価指数(CPI)は想像以上の上昇を示し、インフレを抑えるコントロールが徐々に効かなくなってきています。
断続的な利上げは必至。もし制御不能になればその行き先は突如の急落。ついにはバブルの崩壊となり得るかも知れません。
中国は今後どのような手綱さばきを見せるのか・・・



このまま行けば、中国はいずれは国際社会から孤立しますし、衰退して行きます。

歪んだ倫理観と一党独裁の体制、並びに、その事とそれによる言論統制や情報統制が、中国の優秀な頭脳の活動に建設的な意味でのストップを掛けています。

ずるさの蔓延した社会の中では、まともな思考と思想の人間の成功がおぼつかない。
高貴な人間が損をしてしまいますし、バカを見てしまいます。歪んだ倫理観の中では、中国にも沢山存在するせっかくの優秀な頭脳が育たないし、その社会システムでは生産的で効率的な活用ができません。

いくら優秀な頭脳が沢山存在していようと、倫理観があまりにも欠落した社会システムのままでは、日本を含めた西側諸国の技術には追いつかないでしょうし、「下請」から永遠に抜け出せない。

そして、いずれは民主化の波が再び襲ってくるはずです。
言論や情報・報道の統制をしようが、それをいつまでも抑えることが出来ないのは歴史が証明しています。

何かを起爆剤として、第3次ティエンアンメン(天安門)事件が起こる可能性は大きい。
その時の世界情勢と西側諸国の思惑がリンクすれば崩壊もあり得るはずです。


人々は自由を求めます。その欲求は巨大な人口を有する中国から新たな指導者を生むかもしれません。
中国がこのままの姿勢でいる限り、第二のソビエト連邦になるカウントダウンは始まっていますし、その歴史の時計は止まらないでしょう。
posted by マーキス at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月09日

インターネット と ジャーナリズムの行方

最近、明らかにブログのテーマから外れた投稿ばかりとなっていますが、たまには宝石の話しも勿論したいと思っていますので、何卒御了承下さい。



「ウィキリークスの脅威」

アメリカをはじめ世界各国の政府関係者や軍事関係者等に脅威を与えている「ウィキリークス」の創設者「アサンジ」氏がロンドンで逮捕されました。

「告発サイト ウィキリークス」によって外交公電などの内容が暴露されたこの問題は、アメリカのみならず世界の各国々の安全保障やパワーバランス等にどのような影響を及ぼすのか。その影響の度合いは計り知れません。

このような告発サイトは、公益性に疑問符が付く明らかに行き過ぎた秘密の暴露となる大変な危険性をはらんでいるいっぽう、報道に対するジャーナリズムとしての基本的な理念に則る部分もあるわけで、情報・報道の規制、並びに国民の知る権利等の是非も問われる非常に難しい問題でもあります。


「クリントン国務長官」の公電では、国務省が国連事務総長や常任理事国の国連大使らも情報収集の対象にし、個人情報の情報収集を指示していたことなども暴露されていました。

これに関しては他国も同じようなもので、今さら騒ぎ立てるような真新しい情報ではありませんし、上面の情報でしかありませんが、もっとセンシティブで機密性の高い情報が暴露された場合の安全保障に懸念が残ります。


各国々が様々な危険を冒して、インテリジェンス・ウォー(諜報戦争)を行っているのは事実であり、何らかの重要な情報が意図せぬ場所から漏れた場合、その内容と出所如何では、その情報を得るための最前線にいる人間のカバーが割れ、その人物の生命が危険にさらされる可能性もあります。

もしその人物が、常にトリプルAクラスの情報をもたらす「切り札的存在」だった場合のダメージは計り知れません。
(さすがに徹底的にセル化された諜報活動の情報が、告発サイトに漏れる可能性は低いでしょうが・・・・・)

国民の知る権利等も大事ですが、そのことにより各国々が国家の安全と発展のために行っている国家間の様々な戦略と、まったなしの現実の活動での障害になるならば、その国の外交戦略のレベルは著しく低下してしまうことになり、困るのはその国の国民です。

ただ、情報とジャーナリズム、並びに国民の権利などのバランス感覚は非常にセンシティブなものであって、白黒つけれるものではありませんし、「ウィキリークス」の活動も、善・悪と決め付けられるような「丁半」の判断ができるものでもありません。


また、ジャーナリズムと少し関係してくるのですが、議会制民主主義の政治(間接民主制)と世論との距離は一定の距離を保つことが必要で、国民・世論との距離が近づき過ぎてしまうと「衆愚政治」となります。

例えば、世論が望む政策を政府が優先した場合、そのことは国民が気付いていない問題を先送りすることにもなり、国民が気付いた時には相当大きな問題に発展してしまい、もっと早く政府が対策を取るべきだったとの矛盾のある批判となる場合も多々あるはずです。

世論の意向及び、選挙用のマニフェストに対する世論の固持、並びに、マスメディアにコントロールされた世論感覚を優先させた政策を行った場合、間違った方向、あるいはピントのずれた政治となってしまいます。

逆に世論との距離が離れすぎてしまった場合は、「独裁政治」となりえます。

このバランス感覚は非常に大切、且つ、大変難しい問題で、例のひとつとして、マニフェストの修正も堅実な政治を行う上で多少は仕方のないことであり、国民のみならず、政治家もマニフェストにこだわり過ぎたり、世論の意向を気にし他の重要な政策を疎かにしてしまうと取り返しのつかない事態に陥ってしまう可能性があり、突き詰めれば、そのバランス感覚と、時の政府・政治家の政治手法とその資質は、国民の質とレベルに帰結することを示すことになるのではないかと思います。



さて、一連の「ウィキリークス」の告発問題で特に重要視しなければならないのは、政府の情報漏洩対策システムの脆弱性であり、日本の政府と日本のジャーナリズムは終始一貫単なる暴露サイトとの考えで批判しているだけであり、マスコミはジャーナリズムの基本理念を放棄していますし、政府も情報と報道や言論の自由の判断の難しさ等を考えず、批判だけの対応に終始し、本音は別としても単純に批判だけでは済ますことの出来ない難しさを理解しているアメリカを含めた他国が、批判的な発言だけでなく、微妙な言いまわしも含まれた発言も首脳陣から何度か聞かされたのとは明らかに対応が違います。


インターネットの普及により、良い意味でも悪い意味でも、建前や思惑等の何らかのフィルターが施されていない可視化された状態で、且つ、リアルタイムに様々な情報が氾濫することにより、今までにない多様化した議論と意見が展開する、新たな違った形のデモクラシーが生まれようとしています。

その在り方は、とても便利な部分と様々なブラックボックスの浄化等が期待される部分があるいっぽう、プライバシーの侵害や過度な誹謗中傷、犯罪の温床、歪んだコミュニケーションの形成の懸念、奥ゆかしさや侘び寂びの感性の衰退の懸念、物へのありがたみの欠如、手間が掛かる・掛けることで果たせる有益な部分の衰退、リアルの世界では敬遠されるような行為が常態化してしまう感覚の麻痺、紙媒体の必要以上の排除とそのことによる弊害、その他諸々。
普及がさらに進むことにより、非常に危険でマイナスになりそうな部分も多々はらんでいます。


米国の情報漏洩に関して、インターネットが普及した現代の時代とは違いますし比べるのはナンセンスでしょうが、アレン・ダレスなどが居た時代では許されないようなミスをしたともいえるのではないでしょうか?

ヒューマンリソースの重要性と機密性から導き出させるインテリジェンス(諜報)の大切さを最も重要視していた時代と違い、衛星や機械・コンピュータに頼った現在の在り方は、米国の各機関とシステムの弱体化を招いているといわざるを得ず、人的戦略の重要性を理解しているのならば、その人的部分からの漏洩の危険性も認識していなければならないのは当然の事で、それを怠っていた上層部の責任は重い。

確かに、いつの時代でも情報の漏洩はありましたが、それは情報を知りえる内部の極一部の人間が何らかの理由で寝返るか罠に嵌るか、あるいは外部から侵入したカバーエージェントの諜報活動等が要因だったのに対し、今回の件のように通常知り得ることのない下級職員が簡単に様々な情報を知り得たことは、米国の各機関並びに政府関係者もショックだったに違いありません。

急速にインターネットとコンピュータが発展している現状では、セキュリティー上の整備が追いつかないのは確かに致しかたない部分もあるのでしょう。


その現代の時代の情勢のスキマを衝いてきているのが、クラッカー(悪意を持ったハッキングを行う者)と呼ばれる人間達なのでしょうが、完全に時代がしかも急速に変わってしまった現在では、第二・第三の「ウィキリークス」が登場してくるやもしれません。

正義感に則った純粋な「告発」を意図する行動のみならず、「反体制」の強い意志からくる行動や (たぶん、アサンジ氏の生い立ちから考えるに至って、ウィキリークスはこれに近いのでは?)、 あるいは愉快犯や過度な野次馬根性からくる行動だった場合は歯止めが効かなくなってしまいます。


ウィキリークス創設者のアサンジ氏は、コンピュータ、パソコンに最初に興味を持った頃、不正にサーバーに侵入する行為に喜びと楽しさ・興味が湧いたといいます。

少なくとも、そのような犯罪行為に喜びを感じる人間に正義はありませんし、大義もない。
もちろん、本人達は正当な「告発」を主張するでしょうが・・・

このような問題は、不正の告発、言論の自由、知る権利、ジャーナリズムの基本理念から来る行動等の様々な事柄が交差し、単純に彼らの行動を批判することは出来ませんし、公益性のある部分ももちろん存在します。

人間が発明した機械の技術、その扱い方の健全な発展を願いますが、急激な変化にたぶん誰もが色んな意味で対処できないのでしょう。
とても一筋縄ではいかなそうな大きな課題ですが、コンピュータの時代だとはいえ、もし、人間が長い年月と歴史の中で培ってきた大切なものを蔑ろにした場合は、悪い方向にしか向かわないのではないでしょうか。
posted by マーキス at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月04日

迎春 清水の舞台から

「新たに迎える2011年」

明けましておめでとうございます

2010年も終わり2011年となりました。クリスマスから年末、そしてお正月にかけては慌しかったでしょうが、どのように過しましたか?

お正月の三が日。私は京都の「清水寺」に行ってきました。
誰もがご存知な「清水の舞台」で有名な清水寺です。
今回、私が訪れた清水寺の本堂や伝統構法に関して少しだけ記述してみたいと思います。
(ご興味のない方、ごめんなさい。)

お正月休みのこの時期、やはりかなりの人出で、特に舞台の床はすべて人で埋まっているような状態でした。
P1040491.JPG
クリックすると大きな画像になります


この国宝である本堂の舞台の下の柱は欅(ケヤキ)の大木です。(舞台の床は桧板張り)

欅はそれほど高くないところで枝分かれする堅木の広葉樹です。
すぐに枝分かれしてしまう欅をこれだけの長さの柱に製材しようとするのならば、もの凄い大木が必要とされます。本当に凄いですね。壮観です!

柱と柱は「貫」という部材で繋がれています。梁のような大きな「貫」です。
距離が長い場合は柱の中で貫同士が繋がれ、クサビが打ち込まれて貫ががっちりとし、筋交いがなくとも丈夫かつ、しなやかな構造体となり、揺れなどを吸収します。

貫の上に板で笠がしてありますが、横材は特に天端に水が停滞し易く、雨仕舞いのために屋根状の笠をかぶせて腐りにくいようにしているのだと思います。

P1040489.JPG
クリックすると大きな画像になります


また、舞台の床ですが、想像していた以上に「勾配」がつけられていました
もちろん「雨仕舞い」のためでしょうが思っていた以上でした。腐らせないためには、床といえど外気に晒されているわけで、確かにこれくらいの勾配はほしいですね!


清水寺本堂の屋根は、「寄棟」と翼廊の「入母屋」造りが合わさった複雑な構造で、これももちろん雨仕舞いの納まりは相当神経を使ったのではないかと思います。

また、たぶんこの本堂は地震にも強いように思います。地盤がどうなのかまでは知りませんが、舞台の柱のステージ状に組まれた構造は、骨組みの構造・形として極々単純には、強い「かたち・形状」ではあります。
素晴らしい知恵を備えた、古(いにしえ)の工人たちが造った建造物は、もちろん大工が手で刻み、「構造上主要な部分」は釘を使わず組み上げたもので、適度な「逃げ」もあります。

ゼネコンの鹿島の研究でも、想定した花折断層を震源とするM7.3の地震に対して、清水寺本堂が倒壊する可能性は低いという結果も出ているそうです。


また、伝統的な建築物は現在の建物のように、アンカーボルト等で足元をガチガチに固めてはいません。
現在の基礎の役目をする「礎石」の上に柱が乗っかっているだけです。

大きな地震があれば微妙に動いて揺れを吸収するのです。

現在のような足元を完全に固定した工法では、足元だけでなく上物もガチガチに固めなければ倒壊してしまう理屈となります。

人間で例えれば分かりやすいと思いますが、誰かに押された場合、足及び体を移動するか、あるいは体全体をしなやかに曲げれば(揺らせば)倒れませんが、足を掴まれていた場合は耐えられないはずです。

上記の例だと、構造物とは違い、自分の意思で動く人間の例なのでピンとこない方もいるでしょうが、実は建築学会が実物の家を使っての耐震実験を行った時に、基礎のアンカーボルトが揺れの弾みでたまたま外れてしまった実験体は倒壊しなかったのに対し、アンカーボルトが外れず、通常の状態であった実験体は見事に倒壊しました

しかし、学会のほうは繕ったような言い訳で、あくまでも足元の土台は、基礎にガッチリ固定されたほうが良いと、確か?結論付けていたように記憶しています。

今の決まり事は、足元を固定する工法でないと通らないようになっていますので、学会としてはそう言い訳するしかないからです。
その方が学会にとっても、そして国・行政にとっても、教授などの学者にとっても都合がいいからです。
自分達が決めたことですからね。「柔」の考えからくる工法は彼らにとって都合が悪いのです。

(もちろん、単純に「しなやか」であればいいという簡単な問題ではないですし、難しい技術的な問題やコストの問題、さらにそのような工法は数字で計れない・示せない部分があり、法としての取り決めが作りにくいなど、その他様々な課題があるものなので、万人にとって、ある程度の強度をある程度のコスト、ある程度の時間で確保できるであろう、今の決め事も一概に悪いとはいえませんし、現在のような時代でのそのような決め事は仕方のないことであろうとも思います。)

ちなみに、あの「スカイツリー」は、五重の塔などの心柱を使った工法からヒントを得ているんですよ。


今回記述した事だけでなく、あらゆる面で昔の人の知恵は本当に大したものです。機械が発達した現在の技術を過信せず、行政や優秀な学者さんを含め、皆が素直に昔の人の知恵と共存したいですね。

清水寺は他にも重要文化財が沢山ありますので、まだ行ったことのない方は是非行ってみてください!


では、今年も幸多い年でありますように
posted by マーキス at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月31日

エジプトの選択

「チュニジア発!エジプトの反政府デモ」

北アフリカの「チュニジア」で起きたベンアリ独裁政権崩壊の影響を受けて、周辺諸国にも反政府デモが拡大しています。

各国々で大規模なデモが行われ、エジプトでも若者を中心としたデモでの治安部隊との衝突等で死者も多数出ており、近年にない大変な騒ぎとなっています。

ヨルダンやイエメン、サウジアラビアなどでも大規模なデモが起きていますが、注目すべきはやはり、地域大国であり西側と中東・アラブ諸国の橋渡し的存在であるともいえる「エジプト」の動向です。



1977年、当時のエジプト大統領である「アンワル・サダト」(ムハンマド・アンワル・アッ=サーダート)は、アラブ首脳としてはイスラエルのエルサレムに初めて公式訪問し、翌年の9月にアメリカの大統領山荘、「キャンプ・デービッド」で、「サダト、ベギン(イスラエル首相)、カーター(アメリカ大統領)」の三者会談を行いました。
(前年にソ連との友好条約を破棄)

1979年、「キャンプ・デービッド合意」に基づき、ついに歴史的ともいえる、イスラエルとの平和条約を結ぶことになるのです。


この一連の大きな出来事のポイントは、エジプトの「サダト」が全てのシナリオを描いていた事でした。

イスラエルに大きな打撃を加えましたが、最終的に勝てると思わなかった、あるいは勝つつもりがなかった?第四次中東戦争を行い、アメリカを交渉の場に引き寄せ、そしてついにホワイトハウスの芝の上で調印式を行い、イスラエルと西側諸国の文字通りの架け橋となったのです。

もちろん、他のアラブ諸国が激怒したのは言うまでもありません。
1981年、「裏切り者」の烙印を押された「サダト」は、イスラム過激派ジハードのメンバーに暗殺されることになります。

あの時代にあれだけの事をやってのけたサダト自身も、暗殺される危険性は十分承知していたことでしょう。
まさに命を掛けての平和条約の締結でした。

アメリカの諜報機関との連携などによって、西側諸国の安全保障に多大なる貢献をしてきたエジプトに対するアメリカの経済援助等の恩恵は大きかったはずです。


一説によると、サダトの目的は石油取引にあったとも云われていますが、決してそれだけではないはずです。
当時、冷戦状態にあったソ連とアメリカの二大スーパーパワーに対し、遠い将来をみすえた場合に、エジプトとアラブの将来をアメリカを含めた西側自由主義国家の未来に託す決断だったのかも知れません。

アラブ諸国を支援していた東側の大国であるソビエト連邦との蜜月を絶ち、第四次中東戦争で共に戦ったアラブ諸国から裏切り者の烙印を押されてまでした決断は、よほどの長期的視野と大いなるビジョンから導かれる戦略的判断だったはずで、いかに将来的にも大きな利益が見込まれる石油であろうが、サダトの最終目的が石油取引だったとは、私にはどうしても思えません。
(それも目的の一つではあるのでしょうが)

もちろん、サダトのビジョンは彼本人にしか分かりません。

アメリカとイスラエルの力を借り体制と権力の維持、そのことを強固にすることによりアラブの盟主としての君臨。
何が彼を突き動かしていたのか分かりませんが、サダトのみならず、当時の他の中東の大物、シリアの「アサド大統領」やヨルダンの「フセイン国王」など、日本の政治家とは比ぶべくもありません。


さて、一連のデモではイスラム原理主義組織、及び過激派のメンバーも加わっています。
エジプトの民主化がイスラム原理主義組織の勢力拡大となる可能性が大きく、現時点では反イスラエル勢力となるであろう組織の台頭をアメリカは望んではいないでしょう。
それでは真の民主化と言えるべきものではなく、中東和平から限りなく遠のいてしまいかねません。

また、もしそうなれば、それまでエジプトがテロ容疑者の尋問等で西側諸国に与えていた恩恵と活動がストップしてしまうことに他なりません。

アメリカも慎重に事の成り行きを見守っていることでしょうが、アメリカ政府首脳陣に出来る手立てはそれほどないでしょう。
ただ、エジプト庶民のガス抜きと現政権の更なる民主化を促すため、経済支援の見直しをほのめかすと共に、抗議デモを武力統制せず容認するよう求めています。


さまざまな勢力のあるイスラム原理主義組織ですが、その在り方は複雑であり、政治活動や社会奉仕活動等を展開している一方、テロ活動も平行して行っている訳であり、その二面性は自由主義諸国には到底受け入れられないものです。

エジプトの最大の野党でもあるイスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」は比較的穏健派といわれていますが、お互いが歩み寄るには多くの代償を受け入れる覚悟が必要です。



このチュニジア、並びにエジプトでのデモの発端はインターネットからであるといいます。
あらためて時代の変化を感じます。

中国は反日デモが反政府デモに変わるのを恐れて都市部でのデモを規制しています。

そして我が国日本では、憲法で認められているにもかかわらず、昔からデモに関する報道規制をマスメディア自ら行っています。

このことは、ある意味中国以上に醜い自由に対する弾圧だといえ、中国共産党政府の在り方とは違い、日本の政府だけでなく、日本人そのものの独特のこの感覚が、国際情勢においてのピントのずれた対応の根源のひとつと言えるのかも知れません。


さて、サダトの後を継ぎ、長期安定政権を築いてきたムバラク政権ですが、大統領の退陣を求めるこのデモの今後の動向は、アメリカ・イスラエルのみならず世界中が注目していることでしょう。

宗教政党は禁止されているエジプトにおいて、非合法組織となりながらも最大の野党勢力を誇る同胞団。
中東和平と世界平和に今後どのような影響を及ぼすのか、エジプトに求められる課題はとてつもなく大きいといえるでしょう。
posted by マーキス at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月08日

名古屋の乱

「保守的地域が突きつけた、無痛政治への絶縁状」

注目されていた名古屋市長選・愛知県知事選、並びに名古屋市議会の解散の是非を問う住民投票が行われました。

前市長、「河村たかし氏」が再選。知事選では、河村氏と連携し二人三脚で闘っていた「大村秀章氏」が当選。
両名とも、他候補者を圧倒的大差で引き離しての当選でした。

このトリプル投票は河村陣営の圧勝、且つ、民主党と自民党両党にも「ノー」を突きつける形となりました。

自分達の地域の知事・市長を選択した、愛知県民・名古屋市民にも様々な選択理由や葛藤があったことでしょう。

この非常に保守的な性格と感性と地域性を持つ、愛知という地域でこれほどの出来事が起きた意味は大きい。
(政治的に「保守派」という意味で言っているのとはまったく違います。  念のため。)


一部の識者の中には、小泉元総理の劇場政治、小泉劇場・小泉旋風と同じだという人もいますが、私はそうは思いません。
小泉氏はその独特の個性から人気を得ていましたが、小泉旋風がまき起こり自民党が大勝した時に正直非常に違和感を感じていました。

あの時、国民は変化を求めていたように思えたのですが、小泉氏には個性的な性格以外に、旧態依然とした昔ながらの政治家との違いを、私はそれほど見いだすことが出来ませんでした。

そこに国民の望みとの微妙な違和感を感じていましたし、国民の反応も、一部の人達でしょうが小泉氏をなかばタレント扱いするかのような低レベルな様子も目にしました。衆愚政治以前の問題です。


河村氏も独特の個性のある政治家ですが、その思想と行動は驚くほど揺らぎなく一貫しており、今までの政治家にはいなかったであろうタイプです。

河村氏は自らの給料を800万円に下げ、自分も痛みを伴うことを自らの行動で示していました。

愛知県民、そして名古屋市民は、揺らぎのない堅い意思からくる河村氏のこの行動を、今までの政治家のような単なる政治的パフォーマンスとは見ていなかったはずです。

この投票は政治というより、自分達は決して痛みを共有しようとせず(その是非は別として)、国民だけに痛みを強いる日本の「政治家」そのものの在り方に、絶望感からくる怒りが頂点に達した県民・市民の乱であったとも言え、地方政治だけではなく、中央国政にも「ノー」を突きつけた投票だったのではないでしょうか。

確かに個性的で人気を博している政治家という意味では、小泉氏に抱いたときと似たような感覚と雰囲気・ムードに流された感覚も多少はあるのでしょうが、あの時とは明らかに違って違和感を感じない一連の出来事だと思いましたし、また、そうであってもらいたいものです。


もちろん、減税を挙げた河村陣営の課題は多いですし、河村氏本人が言うように大変責任の大きい改革をしようとしています。

河村氏の挙げた改革は多数の勢力の抵抗が予測できます。
ただでさえ難しい改革を行おうとするときに、反対勢力の抵抗にあえばなかなか思うように改革と試みは進まないでしょう。


大阪府知事をはじめ、中央ではなく「地方発」の今までにない変化が起きているように思います。
また、河村氏が担ぎ出した大村氏のことは正直あまり知らなかったのですが、非常に頭の回転の速さを感じます。それが吉となることを願うばかりです。

もし、河村船が沈むことになれば他の地方にも飛び火していまうことにもなりかねません。
この地方発の改革こそが、国民に痛みを伴う改革であることを訴えなければならない、痛みを伴うことに「意味のある」変化であるようも思います。



さて、民主党をはじめとする河村陣営の反対勢力が指摘するひとつに「減税」を行うことによる財政の穴埋めの問題があります。

減税はそれを実行することにより庶民に残るお金を増えさせ、消費意欲を促し、企業・会社の商品が売れて、その企業・会社の利益が増え、そのことにより雇用や社員の給料等が増え、消費意欲が更に促され、失業率も下がり、それは景気が良くなる(なった)という事であり、儲けた会社はその分税金を沢山納めることになり、最終的に国(地方)の税収も上がるという段階的な相乗効果?を狙ったものです。

もちろん、このように簡単に上手くは行かないのが経済です。

特にここまで景気が悪くなった現状では多少の減税を行ったところで、先行きの不安と今までの実際の家計の苦しさから、そう簡単には庶民の財布のひもはゆるみません。

(当然ですが、実際の経済というものは減税を行うことにより、減税の分の金額がそのまま引き算の如く足りなくなるというような、至極単純な計算のできるものでは勿論ありません。)



そこで景気が悪い場合に国が考えるのが、財政政策と金融政策です。
(減税もそうです)

代表的なのが、「公共事業」「国債の発行」などの財政政策や、「日銀による」金融政策です。

景気が悪いから税収の穴埋めとして行われていたのが赤字国債の発行であり、また、高齢化などによって増えてきた社会保障の捻出も歳出が増えてきた原因のひとつです。

また、景気がよい時ならばまだしも、無駄な公共事業を行ったツケが廻ってきていることや、それ以外のことでも無駄に国がお金を使ってしまった事により財源が減ってしまう背景もあります。

自由競争のない「国」が行うことは、競争原理が働かないので仕方のない部分もありますし、逆にそのことは必要な部分でもあり、また、そうでなくてはならない社会システムの難しさも存在します。



また、国債を発行しすぎると円高と株安を誘発してしまうことになりかねません。

国債がダブつけば価値は下がってしまいますので、価値を上げるため(買ってもらうため)に利回りを上げることになります。
そうすると、利回りが良くなった日本の国債が他の国の国債(アメリカ国債など)より買われることとなると同時に、利回り上昇に伴い銀行の貸付金利も上がり、そのため市場にお金が廻らなくなって景気が悪くなります。そして国債は、日本国債が買われるためドルが売られ、円が買われます。

したがって「円高ドル安になる」(要因はこれだけではありません)

また、「円高ドル安になると輸出産業が苦しくなる (輸出に頼った企業の株が売られる)」 「景気が悪くなると企業・会社が苦しくなる (業績低下の予測となり、株売却)」 「株を持つより国債を持った方が得をする (国債に切り替えるため株売却)」
よって、株が大量に売られ、「株安」となります。

(※注: 生き物ともいえる経済ですので、必ずしも上記のようになるとは限りません)

そして日銀は、市場の動脈硬化を抑えるため、並びに国債の利回りの上昇を抑えるため、市場にお金が廻るようにするために、各銀行に対する金利対策を行ったり量的緩和をすることにより、銀行に資金を流入させ、その事によって銀行に貸し付けていた生保会社などが国債を買う方向になるよう促すことなどで利回りを抑え、市場にお金が廻るようにその流入量を常に調整しています。



上記で挙げたことは主に国政といえますが、「公共事業」は地方の政策のひとつでもあります。
公共事業は無駄だけではなく、もちろん必要ともされる事業です。

普段の通勤路を快適に運転できるのも、生活排水等が問題なく排水されたり、蛇口をひねれば当たり前のようにでてくる水道の水も公共事業のお陰です。
(これらは常に定期的なメンテナンスのための工事も不可欠なものとなります)

また、これからは高齢化社会となりますので、医療・介護・福祉施設等の整備が必要となってきます。

インターネットが普及してきたことによる、通信インフラの整備もまだまだ必要となると思います。

また、公共事業が増えれば雇用を生む事にもなりますが、様々な公共事業の中でも特に建設の事業はこの面でも多くの影響を社会に与えます。

例えば、パンを1個作るのも10個作るのも一人の雇用で済むかもしれませんが、建設の場合は「1」の事業に対し常に必要とされる人数の「等倍」に近い雇用。つまり、ひとつの事業を行うのに100人必要とした場合、それを10事業同時に行うには、一つひとつ等倍の100×10=1000人が必要とされるのです。(極端に言えば)
それを500人では効率をいくら考えても不可能です。


現在の発達した製造業や、あるいは製造業とまでは行かなくとも、一部の小売業などはある程度の大量?生産が行えますが、ある意味、手造りのオーダーメイドといえ、一つひとつの工程にそれぞれの専門の人間が時間と手間を掛けることが必要とされる建設工事業は、人工手間が相当な割合を占めるのは避けられません。

そのことは逆にいうと、仕事が増えれば「人件費率の低い業種より」沢山の雇用を生みやすいということでもあります。

さらにその業種の雇用は仕事さえ増えれば、かなりの迅速さ(特に下請の小さな事業所は即採用の確率も高い)が付いてまわります。

公共事業は今でも景気対策(政策)のひとつとして政治家の頭から離れることはないでしょうし、実際に国民のためのインフラの整備、設備や施設の充実や景気のためを考えても必要なものなのです。




中京に激震が走った今回のトリプル投票。
期待という荷物を載せた河村船の前途は多難のようにも思います。

しかし、民主党及び自民党のいう、不況時の増税では景気は絶対に回復しません。もちろん、経済効果の少ない子供手当てなどでは不可能です。

そもそも現政権には消費税増税を行うことによる明確なビジョンなどはありません。
考えなしに「財源がないから消費税を課す」という、無能・無知・無策のクラシックな例です。

そして、行政には無駄な公共事業も含めて、まだまだ出さなければならない膿がいくらでもあります。


さて、「地方発の乱」は景気の光を見つけることができるのでしょうか?
船が沈まないためには、今こそ痛みを受け入れる覚悟が必要とされているのかも知れません。
posted by マーキス at 01:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月10日

河村たかしへの手紙

「問われる河村たかし氏の手法と大村秀章氏への期待」

船出を始めた河村船。
そのトリプル投票で、河村陣営に投票しなかった人々の考えを理解するのはそう難しくはありません。

強烈な個性を持った人物は暫し暴走してしまう危険性もあります。
そこに不安と危険性、違和感を感じた人が沢山いたのも当然だろうとも思います。


猪突猛進型?の河村氏のやり方ではその志しはともかく、方法や進め方が間違ったり、ピントがずれたりしてしまう可能性があります。

そこで、そのような猛進するボートの舵取り・ブレーキ・アクセルを上手くコントロールする優秀な水先案内人が必要となります。
その役目が「大村氏」です。(もちろん、逆もしかり)

その節々に元エリート官僚の優秀な頭脳が垣間見え、且つ、信念も揺るぎなさそうな大村氏が、どう河村氏をコントロールできるかにかかっているようにも思います。

そして、「河村株式会社」のオーナー兼会長は河村氏であろうとも、実質の代表権を持つ代表取締役社長は大村氏でなければなりません。

河村船の船長は大村氏に託し、二人を中心として多くのスタッフと協議をしながらも、大村氏を含めた側近達の優秀な頭脳の助言を聞く耳を持ち、バランスの取れた改革をして行く必要があります。
その意味では、河村氏も一歩引いた姿勢を学ぶことも大事でしょう。


事業には、営業・業務・経理・人事・管理等、その他様々な役割がありますが、経営者は現場で常に他の人と同じように仕事をする必要はありません。
逆にそのような立場の人がそのようなことをしていては事業は成功しません。

新たな土台を築いた河村氏も、その上に高層ビルを建ち上げるためには、創業者としての信念を貫きながらも、スタッフや他の勢力・様々な関係機関等をバランスよくコントロールする術と市の経営者としての在り方を学ばなければならないのではないでしょうか。


大きな試みを成し遂げようとする場合、商売人も政治家も立場の違いや職種の違い、他の様々な違いはあれども、根本的な運営には共通する部分があるようにも思います。

業務・営業・経営等、そのすべてを社長が切り盛りしたほうが効率もよいであろう時期の、まだ小さな規模の創業時には、確かに創業者も現場に足を常に踏み入れていなければなりませんし、また、そうでなければ誠実な事業は成り立ちませんが、政治の場合はいったん庶民からその事業を託された場合は、個人事業・零細企業からいっきに大きな企業の経営者としての在り方・資質が問われることとなります。

同じように誠実さのある仕事をするにしても、芯は変わらずとも、物事はその段階と規模によりトップの在り方・振舞い方が違ってきます。
また、現場から一歩引いたとしても、その会社と事業にその信念を貫かせることは、ある一定の段階までは可能です。

人によっては創業初期の段階から、ある程度の規模の経営者の振る舞いができる人も居ます。経営者として向いているタイプ?の人であろう、そのような人はそのままで構わないでしょうが、そうでない人は様々な失敗と苦労を重ねながら経験と教訓を積み、段階的に変わって行かなければならないと思います。

そして、そのことに気付くことが重要なポイントなのかも知れません。
河村氏が大きく構えて助言を聞く耳を持とうとする考えを芽ばえさすことができず、大村氏も河村氏をコントロールできず、もし決別になれば、その大いなる試みは失敗に終わるでしょう。

逆にそれが成し得た場合、名古屋発の改革は一気に全国に飛び火し、現時点では想像も出来ない一大センセーショナルをまきおこす可能性も秘めています。


そしてまだ政治家としては若くエネルギッシュで、頭も切れるであろう大村氏の肩に圧し掛かる期待と重圧、そして責任はとてつもなく大きい。

地方の改革と景気、そして今後の愛知の行方。
私は河村氏もそうですが、大村氏の手腕にこの大事業の命運がかかっているのではないかとも思います。

市民、県民、そして国民の代表である人物は、小さな事業のワンマン社長の感覚では成し得ないということに河村氏も気づかなければ成功はおぼつかない。
信念はそのままで大いにけっこうですが、今のやり方のままでは人がついて来ないし優秀なブレインを味方につけることができない。
そして、その助言ができる立場に居るのは大村氏しかいません。


個人的には、この試みはぜひとも成功してもらいたい。

民主党、そして自民党にも期待ができない日本の政治・政治家の不信感と長く続く不況のなかで、地方の庶民達が託した希望の光が絶たれれば、抜け出せない長い暗闇の中に入り込んでしまうことにもなりかねません。

ただ、投票の目玉だった市議会のリコールですが、市議会は市長の在り方をきちんと監視する役目もあることを、大勝したとはいえ忘れてはならないですし、肝に銘じなければならないでしょう。



例えとして、「代表取締役社長は大村氏でなければならない」と言いましたが、この意味は大きいと思います。

親分は二人もいりません。トップが二人いると必ずトラブルとなり失敗します。
二人三脚自体はとてもけっこうなことですが、会社で言えば「代表権をはずした会長」として、お互いが協議しながらも、最終的な決定権は大村氏に託し、河村氏が一歩引くという姿勢と考えも、ひとつの課題として重要になるのです。

土台と道筋は築きました。それをさらにスケールアップし一大マーケットを築き上げるには、同じ志しを持ち、そしてそれに適した後進に道を譲る勇気と決断も必要となってくるでしょう。

つまり、どちらがイニシアチブを握るのか。繰り返すことになりますが、二人以上の人間が同等のイニシアチブを握るような事業、あるいは組織等は成功しません。
お互いの立場を尊重し合いながらも、トップは一人でなければならないのです。


また、もちろん政治家の手腕とその資質が持つ重要度は大きいですが、庶民もなにか不具合が生じたときに個性の欠点を衝くだけでなく、もちろんそれも指摘し監視をしながらも長期的視野で見つめ、ダメな部分は正しながら一丸となって共に事業を進めてゆく覚悟も必要となるでしょう。

地方・国を変えて行くのは、やはり一人ひとりの国民のチカラなのではないでしょうか。




今まで政治手法等の考えの違いから幾人かの盟友と決別してきた河村氏。

「大村君もこのあと離れて行くのだろうか・・・」 と語ったとされる河村氏のこの言葉がなによりも気になります。

自らが変わらなければならない部分もあるという認識も必要なのではないでしょうか。

中京都の構想の具体案もまだ示しておらず、多くの難問は優秀なブレインの協力と助けなしでは築けません・・・


今後の河村船の行き先に多くの幸が降りかかることを願います。それはもちろん、そこに希望の光が射すことを皆が期待しているからです。
posted by マーキス at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月25日

「砂漠の狂犬」 革命指導者と中東の行方

「とまらない独裁政権への反政府デモ」

インターネットから端を発した、アラブ諸国で繰り広げられる数々の反体制デモ。

エジプトの影響を強く受けたその余波は、北アフリカの「リビア」でも猛烈な反体制デモが起き、リビアの事実上の国家元首カダフィ大佐は退陣要求を拒否し徹底抗戦を表明、リビア国内は大きな分裂状態となり、予断の許さない状況となっています。

石油・天然ガスの生産に懸念が広がり、事実、全原油生産量の4分の1に相当する日産約40万バレルほどの生産がストップされたと報じられています。

特に欧州への影響は大きく、日本も原油高の高騰は避けられず、景気にさらなる悪影響があるのは必至。
石油化学大手企業もこの不景気とデフレの状況の中、価格への反映も慎重にならざるを得ず悲鳴を上げています。

石油天然資源の多くを生産するこの中東アラブ諸国の混乱は、世界経済へ多大な影響を及ぼすのは間違いのないことで、各国々も戦々恐々としていることだと思います。

日本の原油の輸入は約90%近く中東に依存しており、他の地域からの輸入も増やすことも急務ですが、すぐにそれが実行できるはずもなく、もし、この影響を受けたサウジからの供給が途絶えることともなれば大きな混乱を招くことは間違いなく、とんでもない事態へと発展するやも知れません。

遠い中東の国々で長く続いた独裁政権への不満が爆発した一連のデモですが、日本にとっても対岸の火事ではもちろんありません。


リビアはアフリカ諸国の中では裕福な国のほうであり、インフラの整備や医療体制も比較的進んでいます。
今騒動はそのインパクトの大きさとは裏腹に各反対勢力の基盤と同調性には懸念があり、民主化や革命とは程遠いものであって、反体制の勢力が政権を握ったとしてもリビアの劇的な変化(よい方向への)は望めないような気もします。


リビアは当然の如く反イスラエルでPLOを支援し、かつてはテロ支援国家としてアメリカから経済制裁等を受けていました。
近年はリビア攻撃をちらつかせたアメリカの意向を汲んだあたりから軟化し始め、これまでは比較的協調路線を歩んでいたリビア。アメリカもその対応に苦慮していることと思われます。


ちなみに、サダト・エジプト大統領が政権を握っていた当時、エジプトとイスラエルとの和平工作、並びにアメリカ(当時、ヘンリー・キッシンジャー国務長官が中東訪問)との話し合いが失敗したときの手立てのために、リビアの首都トリポリに配備されているミラージュ戦闘機(フランス・ダッソー社製)をエジプトのカイロに移送させる裏取引が実行されようとしていたそうです。
(サウジも関与)

そう、その目的はもちろん和平交渉が決別に終わった場合にイスラエルを攻撃するためです。
(もちろん、それを察したイスラエルの「モサド」は徹底的な妨害工作をしたでしょうし、最終的にはその取引は中止となったようです)

表面的には対立していたとされるリビアとエジプトの関係も、イスラエルやアメリカとの和平に関しても、その裏舞台では国家間の存続と繁栄(及び私欲?)をかけた、まったなしの駆け引きが行われていたのです。


今回の反政府デモの最中、カダフィ大佐の暗殺未遂事件も起きたようです。
カダフィ大佐には4〜5人のダブル(影武者)がいるというのは有名な話ですが、現在の状況は暗殺を試みる一部の組織・機関・人物、あるいは国への警戒という問題とは明らかに違う、今までの国民の統治が根底から崩れる存続の危機に陥っています。



民主化?の波ともいえなくもない各地域での反政府デモですが、中東でまともな民主主義が機能しているのはイスラエルだけともいえます。
これは大変不幸なことであると同時に、アラブ諸国自らが招いたツケでもあるでしょう。

確固たる大義を持って民主化を進めたリーダーはいなかったし、歪んだアラブの思考はアメリカをはじめとした西側自由主義国家の意見は受け入れませんでした。

また、パレスチナ問題に関しても、イスラエルを含めた西側が妥協案を示した時でも他のアラブ諸国(及びパレスチナ人組織自身)が同意しませんでした。

パレスチナの大きな勢力のひとつである「PLO」の「アラファト」が、アメリカにも各アラブ諸国首脳の誰にも信用されていなかった背景もあります。無能なリーダーを据えたことによる不幸のひとつでしょう。
(エジプトのムバラク大統領も、アラファトに相当な嫌悪感を持っていたようです)

このパレスチナ問題で、重要な意味を持つ国があります。
「ヨルダン」です。

ヨルダンはその多くをパレスチナアラブ人が占めていて(7割を超える)、パレスチナ人を中心とした国家を形成しています。
パレスチナが最終的に目指すは「エルサレム」であり単独の独立国家設立でしょうが、ヨルダンの国王の本意は別として、少なくともパレスチナアラブ人の「家」は存在しているともいえます。

しかし、過去に沢山のパレスチナ難民が流入してきたヨルダンは、PLOをはじめとしたパレスチナ人組織の受け入れと組織への協力を、すべての時ではありませんが(イスラエルとヨルダン・パレスチナ合同代表団の交渉なども行われています)拒否していました。
これは、アラファトに政権転覆を謀られた過去もあり、また、弱小国ヨルダンは、シリアやサウジから長年侵攻を受けた過去の経験もあるからでしょう。


イスラエルの各歴代首相との水面下での交渉、条件が極めて不明確であったオスロ合意、湾岸戦争、アメリカの介入、その他歴史的な背景はもっと複雑ですが、大義の深さはともかく、自らの権力にしがみつくアラブのリーダーたちと、確固たる大義を持ち一枚岩で突き進むユダヤ人・シオニストたちとは決定的な違いがあります。

また、宗教的な問題だけではなく、権力にしがみつき、自国民の意識を別の方向に向かせ民主化を防ぐためには、イスラエルという「敵」も必要となるのでしょう。



それにしても、時代は大きく変わろうとしているようです。
アラブ諸国各地で行われている反政府デモを皮切りに、中東和平へ一歩前進する可能性はあるのでしょうか。

また、腐敗したイドリス(イドリース)政権から政権を奪った、かつての青年将校革命家の運命は・・・
posted by マーキス at 01:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月13日

巨大地震と最悪のシナリオ

東北地方太平洋沖地震

宮城沖が震源地とされる東北及びその周辺地方を襲ったとてつもない大きな地震が起き、大変なことになっています。

現在、このニュース一色です。ラジオもずっとこのニュースを取り上げていました。
死者・行方不明者は1700人を超えているといわれ、被害はさらに拡大する見通しのようです。被災された方、そのご家族、並びに被災地の方々に対し言葉もありません。

マグニチュード 8.8 を記録したといわれる物凄い地震ですが、長野、新潟を震源地とした地震も次々と連続して起きており、予断を許しません。



ニュージーランドで大変なことが起きたばかり。大地震や津波等で大きな建物が崩壊したらなす術がありません。
自然に対して人間の力はあまりに微力です。

そのニュージーランドで日本人留学生が多数被災したビルは古い耐震基準の建物?だったそうで、柱の鉄筋の「帯筋」の量が少なかったといわれます。
帯筋の量が密でないと、激しい揺れに対して柱の「せん断破壊」が起きやすく、急激な崩壊となる場合があります。

少し専門的になりますが、垂れ壁や腰壁も柱がせん断破壊する原因となることもあります。
(これはRC造の構造上、木質系建物とは違った作用・概念となります)


ちなみに、今回起きた地震の被災地のような寒冷地は、凍結深度以下に基礎のベースを持ってこなければならず、暖かい地域に比べ、住宅の基礎の造りが若干異なります。

工務店や設計者の方針により、標準の寒冷地仕様よりさらに強固にした基礎(コストはかかりますが)の建物もありますが、現実の大きな地震に対して標準の仕様の基礎とどれくらい違いと効果があるのか。
建物本体である「上物の構造の違い」と並んで、個人的にとても気になります。



「原発危機管理の想定外」

この大地震に伴い「東京電力福島第1原発」で非常用発電機が壊れ冷却機能が停止。「第2原発」もポンプが壊れ、冷却に使う海水が取り込めない状態となっています。

原子炉の安全確保のために絶対に必要な冷却が出来ないとなると、温度が上がった冷却水が蒸発して燃料・制御棒がむき出しになり、炉内部が高温高圧になって格納容器が壊れてしまいます。

東京電力が決めた対策は原子炉格納容器の弁を開放し、内部の圧力を逃がす操作を行うということ。
すでに制御不能の状態に陥ってしまったようです。

弁を開放するということは、圧力を逃がすための相当緊迫した対応策です。
報道では「放射性物質が放出される可能性がある」としていますが、「可能性」ではなく確実に放出されるでしょう。

深刻な被害が出るかもしれない状況の中で、マスメディアは相変わらずの希望的見解です。
いや、その意味はよく判っているはずです。確率は相当高かろうとも、不確かなことには責任回避したいから蓋をする。

いたずらに危険を煽ることはだめですが、重要な物事にダブル・トリプルのチェックをしたりするように、危機管理・物事の危険に対する対応の仕方は、逆に悪い想定を考えた常に安全のマージンを残すぐらいの心の持ちよう・在り様でないとまずい。

たとえ上手く行ってもギリギリでの、幸運任せのマージンをまったく残さない心の在り様で物事に取り組む姿勢は、マスメディアだけに限らず日本人の特徴なのかもしれません。



政府は11日、「原子力災害非常事態宣言」を発令、半径3キロ以内の住民に緊急避難を指示し、12日朝避難を終えたそうです。
10キロ圏内の住民には『屋内待機を指示』したそうですが、その後20キロ圏内に避難範囲を広げました。

あの「東海村JCO臨界事故」当時の自民党の対応はあまりに酷いものでした。
避難範囲はJCOが要請した、たったの半径350メートル以内で、「屋内待機」が半径10キロ圏内。
(工場の数キロ先で中性子線が測定されています)

放射線は「α(アルファ)線」、「β(ベータ)線」、「X線」、「γ線(ガンマ)」、「中性子線」などがありますが、透過性の高いものは、通常、人が住む住宅の建物など」はわけもなく透過してしまいます。
(γ線・中性子線は透過性が高い)

もし大きな放射線事故が起きた場合は、透過性の比較的低い放射線を若干減速できるだけで、遠くに離れず近くの家の中に居ては意味がありませんし、食料の調達もしなければならないでしょうからまったく外に出ない訳にもいかない。

避難範囲を広げたのは当然で、もっと広範囲の圏内を対象とすべきであり、一般庶民の方も他の事ならまだしも、こと放射線に関しては政府の見解を鵜呑みにするのは大変危険といえるのではないでしょうか。
(過去の自民党政府の対応もこの事を証明しています)


JCO臨界事故のときは、危険性に関する教育も不十分なまま作業に当たらされていたJCOの作業員に、違法の作業をしていたと責任を押し付けていました。
その後の住民の被爆の調査もまったくのやる気なしの調査に終始。無責任という言葉を遥かに超越したお粗末さでした。

また、物凄い放射線量の中に決死の覚悟で飛び込んで臨界を止め、多くの国民の命を救ってくれた従業員には国民栄誉賞を与えて然るべきだったはずです。



このまま原発の被害が拡大すれば、レベル4あるいは5の危険度となります。
とにかく、これ以上の被害の拡大が起こらないよう願うばかりです。
posted by マーキス at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月15日

極限の聖地

「高潔なモラルと安全の聖地、日本。 崩れるのか?日本の安全神話」


テレビ・ラジオ等の報道により、次々とその悲惨さが明らかにされてきた東日本の大地震。

最初はまさかこれほどとは思っていませんでした。
津波の映像を見たときは愕然としました。そして、瓦礫のみが散乱する壊滅状態の町、増え続けるあまりに多すぎる犠牲者の数・・・

忙しくてなかなか報道を見ることができませんが、ラジオで身内・友人の無事を問い掛ける言葉に私も涙が潤んで来ました。
あらためて犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、行方が不明となっている方々が無事でありますよう願ってやみません。


被害はどこまで膨れ上がるのでしょうか・・・
医療の不全や救援物資の供給の遅れ。次々と問題が起きる原発。被曝をした人の数もどんどん増えていっています。


また、詳しくは分からないのですが東京にいる親戚によると、東京でもガソリンスタンドの多くは閉鎖、コンビニにも物資が届かないらしくカップラーメン等も不足しているそうですね。
それでも被災地の方のことを考え、皆節電をしていますが、停電の計画が二転三転して混乱を招いているらしく、「停電は全然かまわないが、言っていることが二転三転せず、きちんと秩序ある計画性を持ってやって欲しい」と言っていました。

指示系統がバラバラなのでしょうね。通常の民間企業ならそうはならないんじゃないでしょうか。




迫るメルトダウン

福島第一原発の3号機が水素爆発、そして2号機は冷却水の水位が急激に低下。そのことにより、原子炉内の中性子を制御・吸収する役目を果たし臨界状態にならないようにする「燃料棒」が、すべて露出する事態となったようです。

これは炉内を冷やすために最も重要で、止めてはならない「ポンプの状態の監視」を怠ったための人的ミスです。

作業員不足なのは理解できますが、自ら被曝覚悟で現場で必死の作業している作業員を横目に、作業の計画をし手順を決め指示をする立場である上層部の甘い判断(あるいは指示系統の曖昧さ?)からのミスと言わざるを得ませんが、今は誰かを責めている場合ではありません。

今後の対応が最も大事なことで、なんとか食い止めなければなりません。もうミスは許されない。

東電や原発の関係者が本当に大変なのは誰もが理解していると思いますが、国民は彼らに託すしかない。
判断の難しさもあるでしょうし、疲れきっていて大変でしょうが私たちは彼らにやってもらうしかないのです。


ひとつのミスから連鎖的に悪い事態となってしまうのが世の常です。
綱渡り的な計画ではなく、ミスやさらなる外的要因が起きることを前提としたダブル・トリプル、あるいはフォアのチェックと「オプション」を考えて計画・行動を起こすのが本当の危機管理です。
二重三重の「オプション」と「チェック」「バックアップ」の用心なしの考えの行く末は、運に任せるしかなくなります。

もちろん危険を顧みず必死に食い止めようとする彼らには本当に頭が下がります。大変でしょうが、なんとか食い止めていただきたい。

日本の安全神話が崩れれば全世界に大きな脅威と影響を与えてしまいます。


また、あまり情報を得ておらず詳しく分からないのですが、アメリカが冷却剤を供給しようとしたが政府は断ったそうですね。
ちょっと状況がよく分からないのですが、どういうことなんでしょうか・・・




これほどの大震災でも素晴らしいモラルと秩序ある行動で世界中から称賛を浴びた日本。
この震災で、日本人の凄さ・素晴らしさをあらためて認識できました。このような時でも他人を気遣い、順番を守り、譲る精神を失くさず、略奪もほとんどない。
日本人が持ち続けてきた驚くべき精神で耐え忍んでいます。

また、常に海外の国々に支援・援助をしてきた日本に対し、外国の方々も「今度は我々が日本を全力で援助する」と言ってくれています。
沢山の国の方々の多くの暖かい言葉に感動しました。


モラルと安全と治安では全世界の筆頭モデルとなる日本の安全が崩れるわけには行きません。
そしてそれが起きるという事は、未曾有の壊滅的な被害を齎すことになります。

臨界を超えてチェルノブイリの事故のようなことになれば、核爆弾が落されることと同じ意味となる。
都心部の被害も避けられず、日本の機能は停止しかねない。




※この記事を書いている時に少し揺れました。静岡の方で大きな地震がきたようです。

東電は他の震源地からの地震、あるいは原発に再びダメージを与えるような、もう一度大きな地震か余震が来るかもしれないことは想定しているのでしょうか。
考えられるあらゆるリスクを想定して事を運んでいるのを願うばかりです。

神に祈るのみの最悪のシナリオ。それだけは絶対に回避しなければなりません。
posted by マーキス at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月17日

「極限時の危機管理」 想定外を想定せよ!

「未だ極限状態の被災地と閉ざされた輸送・物流網」


昨日、朝日新聞朝刊に載っていた記事を読んで目を疑いました。

----------
>>対応に追われる東京電力の社員の一人は、ため息をつく。「官邸は何でも事業者(東電)に押しつけてくる。事態の深刻さは承知しているが、私たちが報告する相手は本来、保安院のはずなのに」
----------

浮世離れしているとは、このことです。
コメントから、とても「事態の深刻さは承知している」とは思えない。

未曾有の危機に晒されているのです。
政府官邸も原子力安全保安院もない。
政府関係者からドヤされることに嫌気がさす気持ちも分からなくはないが、事はそんなレベルの話しではありません。

保安院だけでなく、国民に説明する義務と国を運営・束ねる責務を持つ政府には逐一報告するのは当然の事だし、同時に即時国民に報告・説明するのも当然。
そのためを含めて現場で直接作業をしない背広組がいる。
身内だけでコソコソ対策を話し合って、勝手にやっていい訳がない。当たり前の話しです。

また、4号機から再び煙が上がりましたが、東電は離れた場所から眺めただけで鎮火と判断し、消火活動を怠っていたことが原因だったそうです。
他のことを優先しなければならなかったり、放射線量が多くて近づけなかった等が釈明理由ですが、危機意識が薄いといわざるを得ない。

地方の同じ電力会社社員の、原発の運転に従事していた定年まぎわの方が、志願して福島に向かったとの報道もありました。
本人も語っていたとされるように、大変な使命感を持っての行動でしょう。どこか他人事のような東電の背広組とは雲泥の違いです。





「燃料が足りない!」

被災地に救援物資が届かないようです。
全国から救援物資が届けられていますが、それを現地に運べない。特に燃料が足りない。トラック輸送業界も被災地で給油できないから運べないと嘆いています。

確かに都心部、並びにその周辺地域・近隣地域からは難しいのでしょう。
しかし、距離はありますが西日本からの協力体制は築けなかったのでしょうか?

一部の地域を除いて、西日本はまだ燃料があります。一般車両も普段と変わらず普通にガソリン・軽油の給油できていますし、一般家庭も普通に灯油が買えているのです。

西日本から、「物資を運ぶ車両」「物流車両の給油のみを目的とした専用車両」を同時に輸送させる。
また、輸送時に途中給油できる所を把握し、協力・提携し合い、途中で給油できるならばなるべく途中でも給油する。

こうなることは判っていたでしょうから、早めに対策を取っていれば間違いなく可能だったはずですが、多分、問題はこのようなことではない。
物資や燃料を輸送するのに許可証が必要だったりその許可証を発行するのに手間(時間)がかかったりしているのでしょう。

なんとワザワザ警察署に通行許可を取りに行かなければならないのだそうです。通常、平常時はこのプロセスを辿り、そして、すぐに許可がおりるわけではありません。

しかし、今は平常時とは違います。この期に及んでも普段と変わらぬ典型的な御役所仕事。
「臨機応変」「現場での機転」という言葉は、彼らには存在しないのでしょう。普段機転を働かす「クセ」がついていない人に、急にそのような判断は無理です。

また、輸送に及ぶ石油会社との連携を企業だけに任せ、他力本願で政府が調整役をしないことも原因です。
そう、極普通に融通を利かせていれば、すでに物資は被災地に沢山届けられていたはずです。




「危機状態が続く原発」

現在の福島第一原発の危険レベルはスリーマイル島の事故より深刻な状態だといえます。
6基ある福島第一原発の1基でも、誰も近づけない本当の制御不能となれば、連鎖的に他の5基も同じ運命を辿ることになります。


また、テレビに出演している学者たちはだれも最悪の事態に関しては話そうとしませんし、放射線のなかでも中性子線の怖さに関してもだれも説明しません。
電荷を持たない中性子線は透過性が高く、人体通過時に細胞の分子構造を変えてしまいます。

〇〇マイクロシーベルト以上は危険だとか、その程度では何々以下だから問題ないだとか、そんな話しばかり。

中性子線がどれくらい危険で、そもそも、大きな事故となった場合に一般の人々が大量の被曝を受けないためにはどうすればいいのか。

その答えは、原発から途方もなく遠く離れるという答えしかなく、それが正解であり、当たり前ですが、もしものことを考えるとそうするしか方法はないのです。
(但し、風に乗って広範の地域まで飛散する場合もあります。また、遠くに拡散イコール濃度も薄くなるということでもあります。)

しかし、政府や学者、マスメディアがそのような「話し方・説明」をする訳がない。
彼らの考えは、もしものことが起こらないことを前提とした考えであり、報道です。

つまり、言葉を変えれば、「もしものことは考えるな」「もしもの考えは必要ない」「大丈夫、もしもの事にはならない」 と言っているのです。

「屋内待機」の場合は窓を開けるなとか、換気扇を止めろだとか、ある程度の原発事故で被曝の心配はあれども、放射線量がそれほど深刻ではない場合の対策話ばかり。
(現在の放射線量に関する値や、その値の人体に影響を及ぼすレベル等、並びにその値での対策等の報道は必要なことであり、その内容自体のことを言っているのではありません)

一部の専門家たちが言っている、原子炉・格納容器・建屋の何重もの分厚い防御は、炉心溶融が起きても破壊されないという説は本当なのか…



原発事故に限らず、世の中の出来事で「もしも」のことは起きないと、神様以外だれが判るのでしょうか?

もちろん、私はいたずらに不安を煽っている訳ではありません。
ですが、至極当たり前の事を言っているつもりです。このような発言は間違っているのでしょうか?

その道の専門の人の言うことを100%鵜呑みにしてもよいはずはありません。現場の対策・計画・行動如何によって物事は大きく変わってきます。
机上の理論では通用しませんし、また、そのような生身の人間の対策の仕方や行いは机上で計算出来るものではありません。

それとも、政府・学者・マスメディアのいう通りの説明と対策だけを信じて行動していればよいのでしょうか。

平穏な場合の物事の判断と違い、私が危惧していることが「取り越し苦労」なら、それでよいのではないでしょうか。事は命がかかっているのですから。

パニックと途方もない数の国民を避難させることの大変さを考えてしまう人達の考えも分からなくはないのです。
ただ、純粋に政府や学者等の言うことを多少の疑問を持ちながらも信じている人たちを憂いているのです。
少なくとも、もう少し避難範囲を拡大しなければなりません。


自分の頭で考え行動しなければ大変危険です。
もちろん、その危惧が取り越し苦労で終わることを何よりも望んでいます。

posted by マーキス at 14:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月20日

メディアコントロール

「救助活動の多難」 「原発危機の光」

「阪神淡路大震災」を超える歴史的な大災害。東日本大震災の死者・行方不明者は2万人を超えました。
今後もさらに被害者の数は増えるのでしょう。

救助隊の救援活動、行方不明者の捜索も困難を極めているようです。
阪神淡路大震災の時は崩れた建物の瓦礫の下を捜索すれば、被害に遭った人を探し出すことができました。
しかし、今回の震災の場合は、遙か遠くに流されていてどこに人がいるのか分からない。瓦礫の下にも当然いない。

巨大津波の被害の恐ろしさは、亡くなった方々を探し出すこともできないのです。
用意してきた、瓦礫の下のどの部分にいるのかを調べることのできる最新機器も、その瓦礫に下にいないのですからまったく役に立たない。救助隊の方々も悲痛の思いでしょう。

救援物資もまだまだ届かないようです。厳しい寒さの中、燃料も相変わらず足らない。早く被災者に物資が届くよう我々は祈るしかありません。



東電は1・2号機の電源復旧に向けたケーブルの敷設を完了しました。また、海水の連続放水、並びに非常用の発電機が稼動したのと電源車を使うことにより、5・6号機の温度も下がり始めたようです。
冷却システムの復旧にしばらく時間はかかりそうですが期待がかかります。

いっぽう、一定の安定した状態にあるとされていた3号機で、格納容器の圧力が高まっています。
圧力を下げるため配管の弁を開放するようで、放射性物質が放出されるとともに再び予断の許さない状況にあるようです。

また、壊れた機器の把握と修理、緊急炉心冷却装置が使えないことによる注水の代替案・方法等、課題が残ります。

政府や東電は詳しい情報開示をするべきです。状況に至る理由等をはっきりさせない小出しした情報の発信の仕方をいい加減改めるべきでしょう。
ようやく一部では一筋の光が見えてきたようでもありますが、正確な情報・詳しい情報が国民に伝わっていません。




「情報の多様」

メディアが発信する情報には、多種多様なあらゆる思惑が交差したものがあります。

http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-90850/1.htm


上記の記事で、米政府は「半径80キロ以内」にいる米国人に避難勧告をしています。
他の国々でも同様で、シンガポールは100キロ圏内、これには記載されていませんが、110・120キロ圏内としている国もあります。

ここで、米政府の判断に対して米国内からも異論も挙がっているとし、日本の判断は「健康面への影響を最小限に抑える点で十分と考えられる」と日本政府の判断を評価。
そして、スリーマイル島の事故では、約16キロ圏内の住民に屋内待避措置。チェルノブイリ原発事故は、最終的に約30キロ圏内の住民が強制的に避難させられたと結んでいます。


このニュース記事は、情報の捉え方として非常に分かりやすい例だったので取り上げてみたのですが、まず、日本政府の判断をよしとした米国内の発信元は、「米原子力エネルギー協会」であり、そのスポークスマンです。

原子力エネルギーを推進する立場の組織が、そのような発言と発信をするのは至極当然であり、つまりそこには発信元の「ポリティックス」な思惑が含まれています。

また、スリーマイル島の事故にしろ、チェルノブイリの事故にしろ、実際にはもっと広範囲の住民が避難しており、スリーマイルでも今回米国が発令した圏内で、多数の被曝による癌等の病気や体の異変、そして野菜や動物の突然変異などが起きています。

何度も言うように「危機管理」は最悪の事態、あるいは相当な安全マージンを取った対策を行うべきであり、他国が広範囲の自国民に避難勧告をしたのは、政府の「危機管理」として当然の措置であります。

「米原子力エネルギー協会」(米エネルギー省も)の見解は、「現時点・現段階」の状況からの判断なだけであり、その後のリスク等を考慮しない判断は「危機管理」とは到底言えるものではありません。

スリーマイル島の事故があった当時、米政府は今回の日本の政府と似たような避難勧告しか行っておらず、自国の震災ではない日本で起きた事故では、「ポリティックス」の思惑から解かれた避難勧告の判断となっているのです。


国民には様々な人がいます。その中には上記の記事を読んで、その内容を額面通り捉える方も沢山いるはずです。
上記記事は、まだ読み手の判断がつきやすく、分かりやすい非常に稀な例です。

他には巧妙なディスインフォメーションもありますし、情報を上手く歪めたものもあります。
そのような情報の中には、「真実」を微妙に散りばめながら最終的に偽の情報を掴ませるなどの手法もよく用いられる方法です。

ほとんどが判断の難しいものばかりですが、少なくともその「発信元が誰であるか」、「どの組織に属する者であるのか」、「生い立ちからくる判断の違いや宗教的な思想の違いはないか」、その情報で「得する者・損害を被る者は誰(何)か」、発信元に「影響を与えた(与える)人物(出来事)は誰か」等。
多様な角度からの判断と、そのひとつの情報に対しての様々な情報収集・チェック(あるいはダブルチェック)が必要とされます。

現実には、一般の方がそのようなことまではしないでしょうし、不可能な部分もあります。
ただ、自分自身でできるだけのことは行い、自分の頭で考え自分の頭で判断することは重要なことだと思います。



なにか大変なことが起きた場合、いたずらに危険を煽ることは慎むべきだとの判断で、風評被害を懸念する声と考えも根強い。
しかし、たとえ心情としてはよくはない情報だとしても、「風評」と「近い未来に起こり得るであろうリスクを考えた危機管理」はまったく次元が違います。

今回の災害では、何度も言うように危機管理というものは想定外の物事を想定すべきものであり、その危機管理からくる措置が取り越し苦労であった場合・無駄で終わった場合よりも、「逆であった場合の被害の方が甚大」である場合を考え危機意識を持つことが必要とされるのであり、逆であった結果より良いのならばそうするのが正しい判断で、そのような判断から措置を行い、国民がすぐに判断・行動が起こしやすいよう、迅速に決定を下し、明確な情報発信を行うのが真のリーダーシップです。



メディアはありとあらゆる情報発信をして来ます。
特に主だったニュースでは、大きな組織・権力・力・財力を持ったものたちからの情報となり、そこには様々な思惑からくるコントロールが行われるのだという事だけは、頭の中に常に入れておく必要があるでしょう。
posted by マーキス at 17:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月28日

世界を変えてしまう「指導者の器」

「崩壊している気概と品格」


福島第一原発の3号機で、下請と孫請の作業員が溜まった水に浸かりながら被曝した事故において、2号機建屋地下の溜まり水が、1・3号機同様、通常運転時の1万倍の高濃度の放射性物質含んでいるとされることを明らかにしました。

また、18日に毎時500ミリシーベルトの放射線が2号機で測定されていながら、26日まで公表していなかったことも明らかにされました。

このような情報と測定結果があるにもかかわらず、作業員にそのことは知らせず、誰も作業前の点検・調査を行わなかったのです。
もちろん、それを行っていれば事故は間違いなく防ぐことができた訳です。マスメディアがいつもはぐらかす「防げた可能性がある」とは違います。

被曝の危険性があるような作業に対し、なにも事前の対策を行わず、作業員が身に付けていた防御に必要な服・靴等の装備にも何も気を配らなかったのです。

作業員の安全など微塵にも考えていない。命を完全に軽視し、安全対策は完璧に放棄したことによるこの事故は、結果が認容できない「過失(認識ある過失)」によるものではなく、そうなる事が予見され実現することが認容されていた「未必の故意」によるものであり、つまり確信犯であって、刑法に基づき処罰されるべきものです。
(この判断は当然の如く難しいもので、且つ、その判断によって処罰の有無がかかってくるものであるので、刑法上、大変重要な意味を持つものであります。但し、過失であっても民法上の賠償責任は逃れられません。)

------------------
※注: 実際に裁判が行われた場合は、故意とは判断されない事例だと思います。まず「過失」となるでしょう。
作業員が注意を怠ったことも指摘されるでしょうし、非常時の混乱から連絡が上手くいかなかったなど、まず重大だとはされない比較的軽微な業務上の過失の判断となるでしょう。(つまり、多分に私の感情が含まれています。私的には、東電側はそう言われても仕方のない行為・対応だと思っています。悪しからず…)

なお、労働基準法の観点からも、使用者は「安全配慮義務」を負っており、契約上の使用者の責務として安全配慮義務があり、使用者がその義務違反により事故を生じさせてしまった場合は、債務不履行契約が生じます。
この場合、労働基準法所定のものだけでなく、民法の規定により生じる損害全部となります。
(誤解を招くおそれがあるので念のため追加記述しました)
------------------


言葉もありません。

彼らには責任感というものがコンマ1パーセントも存在していない。
いや、もはや責任感という類で語られることのできるレベルではなく、人としての一線を越えてしまっている。

私は仕事上の関係で法曹関係からの依頼等の絡みから、いわゆるヤクザ組織に属する人物の話を聞く機会があったのですが、数々の無機質な対応の仕方をする東電と姿を見せない社長などに対して、彼らからして、「あいつらこそ本物だ(話の流れとして、この会話の場合は「狡さを極めた悪党」という意味で)」と言っていたくらいです。


翻って、天皇・皇后両陛下が、お住まいの皇居・御所の電気を一定時間使わない「自主停電」を15日から続けられている との報道がありました。

自分の置かれた立場を自覚された行動は、まさに身をもって範を示すお手本です。

ご自身が病気を患われたばかりだというのにまったく頭の下がることであり、私達も見習わなければならないと素直に思える行いでした。

これが「人の上に立つ者が皆に示す行いの見本」であり、今回の震災と原発危機で、自分たちの置かれた立場というものをまったく自覚していない政治指導者や東電の上層部の者達とは、まさに天地のへだたりです。

素晴らしい能力と国民性を兼ね備えた日本人ですが、日本という国を実質動かしている中枢にいる人物達が、頭は良くても身をもって範を示す気概と気骨、潔く清らかな精神をまったく持ち合わせていないのが最大の不幸ともいえます。


短い人間の人生に置いて、一人の人間が様々なものを身につけるのは難しい部分もあるのは確かでしょう。
厳しい資本主義社会の中で、人より上に行こうと思えば受験勉強・受験戦争に打ち勝つ努力も必要なのは偽りのない「現実」といえますが、その忙しさにかまけて親や指導する立場の人間が、人にとって大切なものを教育し指導することをお座なりにして来たといえるのでしょうか。



東日本大震災での犠牲者は、死亡者だけで1万人を超えました。まだ多くの犠牲者の遺体が発見されていません。
この自然災害による犠牲者だけでなく、人災といえる原発事故を原因としてこれ以上の犠牲者を出すわけには行きません。


平安時代に起きたとされる「貞観津波」の調査をした研究者が、2009年に行われた審議会で、福島第一原発を大津波が襲う危険性を指摘していたことが分かりました。

東電側の対応は、地震想定の引き上げも津波想定も行わず、つまり完全に無視。
もし、対策をしていたら非常電源なども被害から逃れ、このような恐ろしい原発事故は防ぐことができた可能性が大きい。
それに掛かる費用は、やらなかった場合のリスクと、もしもの事を考えた場合の甚大な損害に比べたら、微々たるものであったはずです。


また、政府は放射線に対して、「ただちに人体に影響を与えるものではない」と繰り返しています。

この放射線の与える影響等の調査では、「原子力発電所周辺での小児白血病の発生率」を調べた、ドイツの連邦放射線防護庁の疫学調査報告が世界中のどこの調査よりも詳細に調べています。

なんと、1980年から2003年の間に小児がん登録された5歳未満の小児がんを発症した子供すべてについて、原発施設から25メートル毎!に細かな調査を行ったようで、原発施設から5km以内に住む子供の、小児がんと小児白血病の発症のリスクが高いという実態が浮き彫りになりました。

ドイツ国内の16ヶ所の原発周辺での通常運転での調査です。
原発事故が起きた場合の影響は計り知れません。
世界でこれ以上の詳細な調査は行われておらず、日本の政府・学者の判断の信憑性は如何ほどなのか。


少なくとも、問題ないと言った政府関係者、並びに学者たちは、客観的な議論をするために、ドイツを含め外国からの専門家も沢山呼んで徹底的な議論をし、それを日本の国民、いや、全世界に情報公開するべきであろう。

放射線の怖さは、認識が甘かったじゃ済まされない。皆が大変なリスクを背負っているのです。
検証が乏しいかもしれない情報、知識が満たされていないかもしれない情報、あるいは隠蔽されかねないような情報をそのまま鵜呑みにすることなどはできない。

日本の政府発表も、身体に影響云々以前に平常時と比べて明らかに高い値なのに、問題ないと言い切ることのできる明確な資料と根拠を示していない。
少なくとも、通常より明らかに高い数字が与える影響に対する、ドイツの調査並みの資料があってはじめて言えるものであるはず。

そうでなければ、それは憶測に近いものであり、専門家はどの程度の知識や調査から政府にアドバイスをしているのか。
人類にはまだ完全に分かっていないことや、調査が足りず不確かなことが沢山あるのは至極当たり前のことで、それは例え専門家だろうが偉い学者だろうが、現時点では知り得ることのできない、全解明は不可能な知識のはず。


さらに、もうすでに誰もが承知しているように、3号機は「プルサーマル発電」で、プルトニウムを含む燃料を使っています。プルトニウムの半減期は数万年!といわれています。
専門的なことは分かりませんが、問題が起きた場合、非常に危険な原子炉であるのは間違いないようです。



東電の責任とその東電のズサン極まる姿勢を見ぬふりをしてきた当時の自民党政府の責任はとてつもなく大きい。また、アメリカにさえにも情報を渡さない、事の重大さが未だに分かっていない、現日本政府の低すぎる知性と器の小さすぎるくだらないメンツ。

そして、深く考えず政府の言いなりのまま、思考を他人に依存してしまった我々一般庶民自身も…




この福島第一原発の事故は明らかな人災です。この罪はどんな重たい刑罰でも償う事はできません。
これは、日本国民が自国の人間達に落された原爆であり、そして日本だけでなく全世界に宣戦布告をした戦争なのです。

そして、たとえ運良く最悪の事態は逃れたとしても、我々は自分達の子孫に大変重たい十字架を背負わすことになるのです。
posted by マーキス at 01:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月05日

FLASH IN JAPAN

「真実はどこに」

福島第一原発の修復は困難を極め、状況は一向に改善せず出口が見えてきません。

事故で放出されたセシウム137の濃度は、チェルノブイリ原発の事故で検出された数値を上回っているそうです。
米国の原子力工学研究者は、「試算が正しければ、フクシマは今や史上最悪の原発事故になっている」と警告。日本の当局が国際原子力機関(IAEA)や諸外国政府の支援を受けるのをためらえば「事態はさらに悪化する」と断言しました。(4月4日のニュースから)

また、京都大助教授が福島の飯館村の土壌汚染の評価をしています。
(下記リンク参照)
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20110328000068

東京でも、水道水から放射性物質が検出されました。(水道水の使用に関する明確な規則は存在しません)相変わらず、「ただちに影響はない」を繰り返していますが、今も放射性物質は垂れ流され続けているのです。「ただちに影響はない」は、長期的には影響があるという言葉の裏返しです。
基準値を超えた放射性物質が今後も放出され続けるのです。影響がないわけがない。

また、基準値そのものを上げたり、摂取限度を欧米の常識よりも高く見積もるなど、まったく信用できません。
いったいなんのための基準なのか。そのような操作をしたら何の意味もありません。危険値を変えたら危険なものも危険でなくなってしまう。子供でも騙せないようなあからさまな操作を平気で行える神経はどこからくるのでしょうか。


また、東電側は、事故が起きて3日目の14日に「全員撤退したい」!! と政府に言ってきたというのは、すでに誰もが知っていることですが、そのあり得ない無責任さに、菅総理をはじめ政府関係者が激怒したのは当然です。

政府が東電側と上手く連携が取られていないことを批判する報道も一部ありましたが、少なくともこれに関しては東電側に非があり、政府が東電に不信感を持ちギクシャクしてしまうのは当たり前といえるでしょう。

予備電源が使えない場合の想定などはまったくしておらず、初動措置が急務で大事なはずなのに、東電側は信じられないほど悠長に構えていて、メーカーの専門技術者も最初は話し合いに加えてもらえず蚊帳の外に追いやられていたそうです。
もっと早く対策が取られていれば…


また、静岡県にある「浜岡原発」は、福島第一原発よりもはるかに弱い地盤の上に建てられているといいます。
設計に携わった人が、耐震に関する補強はできず、たぶんそのままゴーサインとなったであろうとのことを暴露していた記事がありました。

以前から叫ばれている、「東海・東南海・南海地震」がもし勃発すればどうなるかは、この福島第一原発の事故を見れば明らかです。日本は間違いなく壊滅状態となります。


さらに一番危険な状態だとも云われているのが、福井県敦賀市にある、高速増殖炉「もんじゅ」です。
1995年にナトリウム漏洩火災事故が起きましたが、ここでも事故現場の様子を撮影したビデオの一部を隠蔽したことが発覚しました。

(翌年に、動燃の総務部次長が、ホテル8階の非常階段から飛び降り自殺しましたが、初動捜査で間違いなく行われるはずの第一着地点の写真すらなく、遺族が霊安室で見た遺体の損傷状態と警察の発表とは明らかに異なっているとし、また、警察は鮮血が滴っているはずの背広を含めた遺品の殆んどを遺族に返還する事を拒否。遺族は他殺によるものだとして告発しています。)


そして、昨年の8月に炉内中継装置(重さ3.3t)がつり上げ作業中に落下する事故が起きました。
幾度となく行われた引き揚げはすべて失敗に終わり、「復旧も廃炉も出来ない」 つまり、手がつけられない状態となっているようで、放置された状態です。

そして、今年の2月に燃料環境課長が山中で自殺をはかったとみられ、遺体で発見されました…
(もんじゅは将来の核兵器・核武装のためではないかとの疑念ももたれているようです。)



ちなみに、ずいぶん前のことで一度だけですが、ある仕事の関係で、私は静岡県の「浜岡原発」の中に入ったことがあります。

かなり前で記憶が相当薄れているので間違っているかもしれませんが、当時これといった厳しい安全講習なども行われず、確か、多少の手続きと、施設の中でのある程度の安全に関する注意事項の説明、そして空港などにある金属探知機(空港と同じで銃器類・火気類・爆弾等の危険物の侵入防止対策)を通っただけで中に入れたように思います。
(施設の中に入っただけで、建屋の中には入らないので、その程度で済まされたのでしょうが…)

まだ右も左も分かっていない若い頃でしたが、若いなりにも、こんなんでいいのかな?と、拍子抜けした記憶が残っています。
いくら建屋の中に入らず、原発の仕事とは直接関係のない私たちなのだとしても、金属探知機以外は他の原発と違う施設より対応が甘いくらいで、厳しさを感じませんでした。安全に関する意識は、どの原子力発電所も希薄なようです。

若い頃でしたので、建屋の中以外でも施設の中にいる人は防御服みたいなものを着ているのだろうと勝手に想像していましたが、そこで見掛けた方々は極普通の作業着を着ていました。
作業員の方たちの休憩所には、ドラム缶を輪切りにした大きな灰皿!が所々に置いてあったのはよく覚えています。
また、部外者の私たちを珍しそうに見る作業員の方たちの好奇心溢れる様子がとても印象に残っています。



原発修復のリーダーとなる、東電、原子力安全保安院、政府、お目付役の原子力安全委員会。
度重なるミスと悠長な対応と判断、通り一遍の報告と薄い危機意識、決断力のないリーダーシップ、現場を知らない甘すぎる作戦、働かないお目付役。

そして、叩かれること・責任から逃げるためと、保証を最低限で済ますためなどからくる、優柔不断な小出しした判断と情報操作と隠蔽工作。


人間の心理は、甘い判断から徐々に数値を上げていっても動けるものではありません。指示を仰ぐ側の人間の判断も、甘く鈍重になってしまう。

有事の危機管理、有効且つ能率的な作戦遂行、兵法、彼ら指導者たちの判断と行動は全てにおいてアマチュアな行動でもあり、強い使命感と信念をもとに、責任を取ろうという人も誰もいません。
保身しか考えない人達に「有事の決断」は到底ムリな話しです。

福島第一原発の1号機は圧力容器内の圧力の推移から、震災の最初から圧力容器が損傷していた可能性も大きい。対応があまりに悠長だったことから、そのことは隠蔽されている可能性も否定できません。

仮にもしそうならば、大津波による被害からきた起因だけでなく、地震そのものに耐えられなかったということになる。東電や保安院が隠したくなるような事実ともいえます。

なにが本当で、なにが嘘なのか。一般人に大きな不信感を抱かせることは、次なる民衆の行動の妨げともなります。肝心な時に適切な行動が取れず、動けなくなる。
リーダーシップの欠落は混乱を招いてしまい、被害をさらに拡大してしまいます。少なくとも透明性のある迅速な情報開示をしてもらいたい。



恐れていたことは現実となっています。これから私たちは危険なレベルではなくとも、放射性物質が含まれた食物を摂取しなければなりません。たぶんそれは避けられません。何らかの形で必ずそれらは出荷されてきます。

私たちはまだいい。しかし我々は、20代、10代、そして少年・少女、幼児、乳幼児の未来ある子供達に償いきれない罪を被せてしまいました。

さらに、もうひとつの大変重要な問題。
たとえ原発がなくなろうとも、未来永劫続くであろう「放射性廃棄物」の処理の行方は、未来の子孫達に委ねなければなりません。言葉では表せないほどの重たい十字架なのです。

今の世代の人間達・大人達にできることは、クリーンエネルギーへの変換しかありません。


「FLASH IN JAPAN」

日本の将来・未来に降りそそぎ、包まれる閃光は「ピカドン」なのか、それとも、世界のニューリーダーとして新たなエネルギー先進国と生まれ変わった姿なのか。

前者だった場合は、少しも大袈裟な話しではなく日本という国の消滅です。ですが、日本の技術と能力、そして耐え忍ぶ国民性と勤勉さがあれば、根本的なエネルギー変換は必ずできます。

逆に、それを全世界で最初にやれるのは、類稀なる秩序と協調性を兼ね備えた日本人にしかできないかも知れません。

現在の老害ばかりの権力者達には、それを成し遂げることのできるリーダーはいません。
今までとは違う開拓者精神を持った新たなリーダーが現れない限り、日本は墜落の一途を辿るだけです。
鍵は地方からの若い力。

「ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ」が、第35代アメリカ合衆国大統領に就任したのは若干43歳の時でした。

彼は「カトリック」だったため、最初は誰もが勝てないだろう(大統領選に)と思っていました。
いわゆる、「WASP」(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)の支配階級による地位が絶大だった時代です。(ワスプ  現在もそれは続いている特権意識と差別です)

彼がいなかったら、キューバ危機でとんでもない戦争が起きていたかもしれません。
また、彼や彼の右腕として働いた司法長官で、ジョンの死後、次期大統領候補だった弟の「ロバート・フランシス・ケネディ」の存在なくして、黒人の大統領は絶対に生まれていません。

彼らの存在と行いが、人種差別の壁や各国々の民主化等、様々な時代の流れを大きく変えたのです。

彼らに触発された世代の人達が、クリントンやゴアなどの方々です。その世代の方だけでなく様々な世代、多くの国々の人々、そしてオバマ大統領も「ジョン」「ロバート」、そして、「マーチン・ルーサー・キング牧師」の影響は必ず受けているはず。
彼らの存在はアメリカの将来、並びに世界の将来を変えました。

いつの時代でも大きな変革を成し遂げることのできるのは、エネルギーとバイタリティーに溢れた、若者の大きな志なのです。

posted by マーキス at 20:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月15日

ジャーナリストという名の プロフェッション

「レベル7」

既に報道でご存知の通り、国際評価尺度で最悪の「レベル7」と引き上げられた、福島の原発事故。

言われる前に、すでに多くの人が承知していたことでしょうが、改めて事故の深刻さを皆が認識したのではないでしょうか。

IAEAや、フランス、ロシアの専門家等は、レベル7は誇大評価だと言っています。
しかし、まだ「福島」は収束していない。

ヨウ素換算での放出量で、チェルノブイリの約10%ほどとのことですが、復旧と封じ込めのめどさえ立っていない状況なのです。
チェルノブイリを超える可能性は限りなく高い。

ロシア側の見解は逆に明らかに過小評価の意見も多いようで、福島の状況が把握できていないか情報があまり掴めていない。あるいはそれ以外の思惑があるのか。

チェルノブイリが原子炉1基だったのに対し、福島は4基。潜在的危険値の高さは説明するまでもないでしょう。
チェルノブイリの事故は原子炉の実験中に起きた事故で、教育が疎かだったことからくる作業員の認識不足や、不安定な状態で無理矢理実験を強行したことなどが原因とされています。

それに対し福島の場合は、甘すぎる地震・津波対策と事故後の悠長な対応等からくる人災といえるものであるとはいえ、それを誘発する最初の起因となったのは大地震です。
今回のようなものすごく大きな地震の場合、3ヶ月経っても非常に大きな余震がくる場合があるといいます。

まだ先が見えない状況の中で、大地震と変わらない大きな余震が襲った場合、ダメージを受けている福島原発の原子炉は耐えられるのか?
また、進められている作業に支障が起きることにより、冷却等その他の復旧ができなくなる可能性はないのか。
まだまだ、まったく予断の許さない状況です。


私は、たまたま12日に行われた菅直人首相の会見を見ることができました。
首相の会見はもとより、そこに集まった記者達の質問は酷いものでした。

どこの記者だったか、「菅首相の存在自体がこの危機の最大の障害だ」という主旨の内容の質問というか意見を述べていましたが、この期に及んでまだ事の重大さが分かっていないようです。

この記者に限らずそのような意見は当然多いでしょうし、菅首相の教科書通りの対応と返答を見る限り、言いたいことも怒りも理解できますが、これはいつもの平時での記者会見ではないのです。

今後の状況次第では、真の最悪の事態となった場合、国家の滅亡以上の出来事となるかもしれない、まったなしの「有事」での重要な会見だったはずです。


国民の意を酌んでいるもっともな意見ともいえるでしょうが、間違った認識と言わざるを得ない。

ミスをしたからといって、「しまった」と百回唱えようが、千回唱えようが、状況はなにひとつ変えることは出来ません。
嘆く前、ミスをした直後に、有効且つ適切な行動を即座に行うことができなければ、窮地は回避できません。
指導者を何万回罵ろうが、間近に迫った危機的状況が好転する訳がありません。崖っぷちにぶら下がり握ったロープが切れそうになっている状況で、そんなことをしている余裕はない。
直に事態と向き合う、現場の人間と専門家の事態収束能力なしに、直前に迫った厳しい状況は打破できない。


あの会見での意見や考え、あるいは政府や総理に対する糾弾等は、新聞・雑誌・レポート・ネット等の、違う媒体を通していくらでも情報発信と意見を述べることが出来ます。
それだけの情報発信能力と社会に影響を与えることのできる力を持った、大きなメディアの組織に属しているのですから。

あのような追求と意見は、発信能力は著しく乏しいですが、私たち一般人でも、このようなブログ等を通して行うことができます。

彼らはそれを本職とした記者です。私たちが出来ない・聞けない事を彼らが引き出さなければ、誰がやるのでしょうか。
それが彼らに託された使命であり、彼らのプロフェッションです。

少なくとも、あの会見では別の質問をするべきだったように思います。


原発の現状に安穏な認識を表す首相に、その根拠となるものを示さすことや、アメリカをはじめとした外国の専門機関との具体的な連携はどのように進めるのか等の、具体案の詳細な内容の追求。
知識的、並びに技術的「素人」である政府要人や保安員・東電のスポークスマンに対し、誰が技術的な指導と対策の主導権を握り要人たちと連携しているのか。
現場の作戦遂行の中心的立場であろうはずの専門家は、誰たちであり、何人の優秀な専門家がブレーンとして横に就いているのか。
そして、その専門家達の具体的、且つ透明性のある意見としては、どのような考えと内容なのか。
また、米軍に処理を頼むと共に官邸に米関係者らを迎え入れるべきではないのか。すでに四の五の言える状態ではないのではないか。


あの会見は、国を束ねるリーダーの重大な会見だったはずです。
追求するなら、今後の具体的対策に対してこそ、もっと徹底的に追求するべきだったと思います。
(この会見だけに限らないかもしれませんが)

そのことによって、同じように悠長に構えている首相と政府に、事の重大さを改めて認識させる意味も見出せたでしょうし、国民がもっと知りたい切実な情報をホンの少しでも引き出せたかもしれません。

今、原発がどのような状態にあり、現在行っている作業が失敗に終わった場合、どのような危険を呼び起こす可能性があるのか。
収束しきれない間に再び大きな地震や余震が襲ってきた場合はどうするのか。それら場合のオプションは存在するのか。


現実は直視しなければなりません。
強く迫るキツイ言葉以外は、差迫った現実がないかのような平時と変わらぬ総理大臣への意見と糾弾では、一般人の行動と何ら変わらない。
ジャーナリズムを担う人間として、国民に伝えるべきものは他にあるのではないでしょうか。

餓死寸前の状態で、狩の失敗をした村長を罵っているだけでは空腹は満たされず、共倒れするしかない。
危機が差迫った、超現実の命が掛かった真剣勝負の世界では、次なる対策を即座に模索し、新たな狩に出掛ける決断をしなければ生き残れないのです。



「レベル7」となった未曾有の大事故ですが、本当の最悪の事態はまだ先にあります。
この分野の専門家は分かっているはずです。認識が出来ている人ほど真剣に恐怖を感じているはずです。

しかし、言えない。それは考えるのも恐ろしい結末だからです。

だから、そうならないよう今現場では必死の作業が行われています。

専門家のその言えない気持ちは分かります。いたずらに真実を述べることが正しいとはいえない場合もあるでしょうから…

しかし、だからといって様々な危機管理まで疎かにしていいわけがありませんし、そのようなことが全てに対して変に隠し事をするような風潮に変わって行ってはなりません。
透明性のある情報発信は不可欠なものです。

国民も自らの意思で考え判断することや、学ぶ行為を惜しまないことが、時代を変えて行く力になってくるでしょうし、淘汰から逃れる術でもあるのではないでしょうか。

ただ、中途半端な学びは大きな誤解を生じてしまうことが多々あります。大きく間違ったまま誤解しつづけてしまう時もある。
私もよく陥ってしまうことで、反省することも数え切れません。そして反省しきりの毎日です。

凡人で俗物の私には難しいです。ただ、小さな事柄をコツコツと続けることにより、そこに継続性が生まれ、その実践の先に大きな実りが待っています。


今はもう、日本が立ち直ることを信じ、祈るしかないのでしょうか。
勤勉な人も多い日本の将来にも必ずや大きな実りがあることを確信したいし、そうしなければなりません。

日本がこければ、世界が終わってしまいます。
posted by マーキス at 00:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月03日

終りなき聖戦

「終わらないテロリズムと悲劇の連鎖」


アメリカ同時多発テロを首謀したとされるテロ組織アルカイダの指導者、「ビンラディン」容疑者が、激しい銃撃戦の末、アメリカの特殊部隊(CIA並びSEALSの精鋭チーム)に殺害されたというニュースが流れてきました。

ホワイトハウスの前では事件を知った多くの人が集まり、歓喜に沸いたようです。


しかし、このオペレーションは、成功とは言い難いミッションだったのではないでしょうか?

戦争や、あるいは何かの凶悪な事件が起きた場合の事件現場での対応などと違い、通常、暗殺を目的としたヒットチームは、銃撃戦にできるだけならぬよう、信頼できる筋やエージェントからあらゆる情報を集め、徹底的な調査をして緻密な戦略とオプションを用意し、「きれいな仕事」をしようとするのが常です。

確かな情報からくる潜伏先、 ターゲットの時間帯等による行動パターン、 ガードの数と配置状況と武器、 潜伏先の建物の間取り・構造・周りの状況、 侵入経路並びに脱出経路の詳細な把握と手順・計画・役割、等々、 徹底的に分析して挑んでいるはずです。 


銃撃戦が起きた場合は、味方にも死傷者が出る可能性が高くなります。

「計画的なミッション」を行う場合、味方を失うリスクは最小限に抑えようとするのは作戦の遂行手順・計画として当然のことであり、通常、そこには特攻的な行動と場当たり的な戦略はありません。


ましてや、ターゲットは「9・11」の主犯格とされる「ビンラディン」なのです。
アメリカ人にとって、「9・11事件」は特別な意味を持っているはずです。

あのテロ組織の指導者を、「9・11」の犠牲者達、犠牲者の遺族達の前に立たせ、裁判にかけ、すべての犠牲者、すべてのアメリカ人の前で裁定を下す。
それが、自国民から託された聖なる任務なのではないでしょうか。

このミッションは、彼を拘束して連れ去る。生け捕りとするのが本来在るべき計画だったのではないかと思います。

少なくとも、激しい銃撃戦の上での任務遂行は避けたかったでしょうし、連れ去るのが無理だったのならば仕方のないオプションだったのかも知れません。その意味でも完璧なミッションではなかったのではないかと思います。
(もちろん、今回のような急襲とも言える、犯行現場の制圧のような作戦?や、あるいは難しい任務の場合は最初からそのリスクを織り込み済みなのでしょうが、あくまでもそれはオプションのひとつだったのでは?)


なお、そのビンラディンの遺体はアフガニスタンに運ばれ海に水葬された!と報道がありましたが、何かの間違いではないでしょうか?
アフガニスタンは、今回作戦が実行されたとされるパキスタン、イラン、タジキスタン、トルクメニスタン等に囲まれた、完全な「内陸」です。

そう、海はない。
このニュースは、ニューヨークタイムズの記事によるものだそうですが、趣味の悪いブラックジョークなのか、私が読んだニュースが記述を間違っていたのか。
いくつかチェックしてみましたが同じような記述でした。これはどういうことなのでしょうか?


景気対策の効果が見られず、落ち込む消費と失業率等の底止まりが払拭できないアメリカ経済の今後、来年の大統領選、経済不況等から陰りが見えはじめたオバマ大統領への求心力。
ビンラディン殺害ニュースでは様々な憶測が流れていますが、それが事実だったにせよ、この時期に行われたこの工作は何らかの思惑が交差しているのかも知れません。

また、今回の一連の工作は、「存在の抹殺ありき」のようにも思え、犠牲者の遺族、アメリカの自国民に対しても、『 「9・11事件」の聖戦としての出来事としては 』、余りに工作の詳細・説明が不透明で、どうにも腑に落ちません。



「アメリカの憂鬱」

多種多様な人種を受け入れ、テロ組織の支援者となりえる人々があらゆる場所・機関に根付いているアメリカのテロリズムに対する問題は根深い。

「IRA」はアイルランド系アメリカ人を巧妙な手口を使って取り込もうとします。それは脅し・脅迫等から、ナショナリズム・ノスタルジアに訴えた洗脳まで、様々な手を使って取り込み、アメリカ社会全体に勢力を根付かせています。
アラブのテロリストに対抗する非政府組織も、イスラム、アラブテロリストとやっていることに変わりはありません。

また、左翼的組織だけでなく極右組織も、その狂信的な思想から自分達とは違う人種・グループに対し、非道なテロ行為を行っています。

そのような組織を動かしている人間に共通するのは、浅い大義です。

組織の生き残りをかけて、思想や大義名分がまったく違う他の組織と連携もしています。
自分達が組織として生き残ることが、大義やイデオロギーに優っているのです。


報復は憎しみの連鎖しか生みません。アメリカがやってきた事も大義があるとは言い難い。
どの国、どの人種にも存在する人間のサガとも言うべきもので、大変難しい問題です。

アメリカの民衆の気持ちは理解できますが、ホワイトハウス前での歓喜がこの問題の根深さを象徴しています。


-------------------------
(注):追加コメント
米国防総省が、ビンラディンの遺体をアラビア海北部で水葬に付したと発表しました。

アフガニスタン云々の、お粗末過ぎる記事は何だったのでしょうか?
アフガニスタンに運んで、その後別の場所に運んでどこかの場所で水葬したのなら説明が必要でしょう。

意図的なミスリードとまでは思いませんが、そうでなければお粗末な報道ですね。

さて、パキスタン北部のアボタバードの大きな邸宅に潜伏していたとされるビンラディン容疑者。
あの場所の大きな邸宅に異様な家主の行動。つかんでいた側近の監視。予測ですが、ずっと前にリードは取れていたのではないでしょうか。

なぜこの時期に、しかも捕らえることなく殺害してしまったのか。
この作戦のリスクが大きいのならば、別の場所・別の時期・別のオペレーションを模索するべきではなかったのか。
泳がせていた部分もあったのでしょうが、「9・11」の象徴とも言うべき人物を、長年かけて最後はあっさり殺害してしまったことに、やはり非常に違和感があります。

追加コメントなのでこれくらいで…  

続報を待ちたい。
-------------------------
posted by マーキス at 01:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月08日

廃炉こそ使命

「首相の原発停止要請」

菅総理大臣が浜岡原発にある全原子炉を停止するよう中部電力に要請しました。
東海地震の想定震源域のほぼ中心にあるとされる浜岡原発の停止はやむを得ないことです。


その影響の大きさから様々な意見が交差しています。「唐突な決断」「経済の影響」「諸外国への影響」等など。
しかし、経済等云々などと言っているレベルの話ではありません。

様々な社会的な運営施設や物造り、人々の生活においての様々なシステム等は、あらゆる法的・公的、あるいは私設の基準を設け、それを担保にして、それでも補えない分を保険や、半強制と自主的な積み立て等でカバーにして運営されています。

このような事を基準とした考えで、原発の運営や原発の施設の建造とその点検等は社会のシステム上の基になされ、それを無視した要請は経済損失等を含め、おかしいのではないかとの意見も根強くあるようです。

そのような考えの人とは、話しが平行線になることが常です。

物事というのはすべてを杓子定規では計れません。通常の物事、並びマニュアル的には上記の意見は間違っていないのかも知れませんが、原発が福島を超える制御不能に陥り皆が死んでしまっても、そのような「通常の」社会システムのことを語り続けるのでしょうか?
社会のシステム・社会の考え方、諸外国への影響、そして経済のことも生きていればこその話です。

私は、電力の供給がされず電気が止まっても、経済がメチャクチャになり失業しても、草の根かじってでも生きのびるほうを選びます。

社会システムや経済のほうが生きることより大事な人とは共倒れする気はありません。


「東海・東南海・南海地震」がいつ襲ってくるか、襲ってくるとすればその規模はどれくらいなのか、その地震の性質は直下型の揺れそのものが物凄いものなのか、横揺れのみなのか、津波を伴ったものなのか、震源地は予想した範囲なのか、ずれてくるのか… 自然の驚異は誰も予測できません。

襲ってくるのは、100年後かもしれませんし、1ヵ月後かもしれない。

反対する人は、「すぐには大地震が襲ってくることはない」「福島のような大災害は起きない」という希望的観測が前提にないと言えない意見のはずです。
その姿勢が東電のような体質を生んだのではないか。

福島の大災害を教訓として、皆が原発の危険さを再認識しました。
もっと大きな不幸が訪れないよう中部電力は要請を受け入れるべきです。

原子炉が止まれば、経済的な事を中心とした大きな不都合とそれに伴う大きな犠牲が生じます。
しかし、止めるリスクより逆であった場合の被害の方がはるかに甚大だから止める話をしているのです。

原発を停止する代わりに、政府は他のエネルギー開発、並びに他の発電施設の運営のための援助をする義務があるでしょう。
また、電力会社も自らの犠牲をいとわない努力が必要です。

そして、もちろん企業・国民にも覚悟が必要となります。

また、停止しただけではその危険性がなくなるわけではないのは、「フクシマ」が教えてくれています。
「廃炉」を前提とした方向に世論も政治も向かわなければなりません。

今、この時期の大きな改革のための行動が、未来の子供達から託された現代の大人たちの使命なのです。





「Holy Mission」 ビンラディン急襲に関して


ビンラディン殺害に関するその後の報道を読むと、どうも想像通りの存在の抹殺ありきの作戦だったようです…

銃撃戦というのは明らかに誇張された発表だったようで、ビンラディン及びそこにいた家族たちは抵抗したとはいえ武器を持っていなかったようです。
戦闘のプロ達が武器を持たない非戦闘員を殺害することなく制圧することはわけのないことだったはずで、アメリカ政府の弁明にはあまりに無理があり過ぎ、非常にきな臭さを感じます。


この作戦と結果は、「9・11事件」の犠牲者並びに遺族を愚弄・冒涜する裏切り行為であり、絶対に許されるものではありません。

オバマ大統領は、「正義はなされた」と声明を発表しましたが、冗談ではありません。
正義を貫くならば、容疑者を司法の場に連れて行き、犠牲者の前で裁判で裁かれるべきです。

あの作戦の遂行者達は、「9・11」の犠牲者、犠牲者の遺族、テロの犠牲者、すべての人々を代表して託されていた者達だったはずです。自分達の都合だけで判断してよい相手ではありません。勝手な行動が許されるはずはない。
捕らえることが出来たはずなのに…

この事件に関しては、日本人の犠牲者の遺族の方のほうがアメリカ人より的確な指摘をしていましたね。


イスラエルが、ユダヤ人虐殺の指揮を取ったSS将校「アドルフ・アイヒマン」を捕らえたときとあまりに対照的です。
(アイヒマン: ナチ政権による、ユダヤ人を絶滅収容所へ移送して絶滅させる「ユダヤ人問題の最終解決」の任務を遂行した)

あの時、そのオペレーションに携わったすべての者達は、溢れる怒りと憎しみを抑え、殺害の欲望にとらわれながらも誰もアイヒマンには手を出しませんでした。

作戦にたずさわった者達のなかには、愛する家族に対してナチが行なった壮絶な悪夢、無残に殺される家族の姿や泣き叫び収容所に連れ去られる姿を目の前で目撃し、言葉では表せない悲惨な経験した人達も沢山いたのです。

しかし、彼ら・彼女らは自分を必死で抑え我慢しました。
誰もが「聖なる任務」だと自覚していたからです。


アメリカ政府の行動と判断はあまりに軽すぎると言わざるを得ない。
これでテロがなくなるわけがありませんし、憎しみの連鎖は続きます。

戦いを欲しているのか?そこに軍産複合体の影はないのか?
就任当時の大統領の言動と今回の行動とは乖離があります。
アメリカの真意を知りたい。
posted by マーキス at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月03日

歴史の重み 真の信念と主張

「君が代訴訟」


先に行われた裁判で、最高裁は、「卒業式などの君が代斉唱の際、学校長が起立を命じることは思想、良心の自由を保障する憲法19条に違反するとはいえない」 との判決を下しました。

学校長の起立・斉唱の職務命令は合憲とする初の最高裁判断です。

まず、当然の判決だと思います。
ただ、この判決が間違った解釈で一人歩きしないよう気を付けて行かなければなりません。


君が代に関して、軍国主義を連想させることが、反対している教師たちの主な理由だと思われます。

君が代の由来、歌詞の意味等に関しては、その道の研究者・歴史の専門家たちの間でさえ様々な研究成果・意見があり、つまり、はっきりしないというのが本当のところなのでしょう。

歌詞の「君が代は」の部分を二人称で捉えるならば、ある特定の誰かに対しての意味を持ちます。

本来、仮にそのような意味だったとしても、戦時中の士気を高めるためにそれを天皇に置き換えることを、当時の権力者たちがそれとはなしに促したことも否定できません。


「君が代は」の部分は、古今和歌集には「わが君は」となっているようです。和漢朗詠集でも「わが君は」となっており、これに関しては大方の研究者が一致することであると思います。

そうすると、天皇よりももっと身近な特定の人物に対して詠われているようにも思え、詠まれる流れから本来の意味は天皇を示すものではない可能性が高いようにも思いますが、結局は大変古い歴史のある詩の意味を、およその特定をするのならばまだしも完全に解釈・決定付けするのは不可能に近いでしょう。

また、この詩は、「題知らず」「詩人知らず」となっています。このことからも解明はやはり不可能に近い。
「わが君は」が天皇を示すのならば、何らかの示しがあるのではとも思いますが、それがない。


ただ、このような解明や解釈は別にして、本来どのような意味があったのせよ、違った意味があったにせよ、この詩が軍国主義の意を汲むのに意図的かどうか解りませんが、少なくとも歪んだ考えで使われた可能性があるわけで、反対する教師にとっては意味を紐解くことより、軍国主義を連想させる・させた「国歌」であることがそもそも納得が行かないのでしょう。


思想や考えは自由です。反対する教師たちの考えはたぶん少数派かも知れませんが、それは尊重しなければなりません。
そのような方々に、ある種のレッテルをはるのも間違っていると思いますし、彼らを含めた多くの議論が必要です。


しかし、私個人の主張としては、私は彼ら教師の考えは間違っていると思います。

歴史というのは負の部分も含めて受け入れなければならないものです。
負の部分、負の歴史を含め、その上で今の私たちが存在するのです。

現在の私たちの姿。繁栄・衰退・幸せ・不幸、暮らし・環境等、すべての物事は過去の正と負両方が先人達の歴史と行動の元に存在するのであり、負の部分も当然あろうが、先人達が大変な苦労や、あるいは命をかけて守ってきたことの延長線上に私たちがいるのです。

それは、受け入れなければなりませんし、すべてにおいて感謝しなければならないことでもあります。

「君が代」も「日の丸」も、歴史的つながりのなかで、正と負すべてを受け入れながら母国と自らのルーツに対するアイデンティティとして皆が育んできたものではないでしょうか。

負の部分も「君が代」「日の丸」そのものなのであり、それを受け入れた上での敬愛すべき「国歌・国旗」なのです。


「負の遺産だけは断固として拒絶する」 それはあまりに御都合主義で身勝手な考えではないでしょうか。

間違っていたなら、それをよい方向に向かわすよう国民皆で努力し、議論をするのです。

戦争は間違った行為だからそれを象徴するものは排除する。負の部分は気に入らないから拒絶する。というようなやり方はあまりに短絡であり稚拙過ぎます。

その教師達はそれをすることによって、議論をするための問題提起としての行いだと信じているのでしょうが、歴史の重みを軽く見ていると言わざるを得ない。

また、子供達・生徒達の門出を祝う卒業式の祭典の中で、自らの主張のためにそのような行動を起こすということは、生徒達・卒業生達の存在も軽くみていることに他なりません。
そのような行動を起こすことにより、門出を祝う大事な卒業式の進行に支障をきたすのです。


最高裁が下した判断は至極当然のことで、校長が教師に国歌斉唱や起立を求めたとしても、それはあくまでも教師の「職務としての行為」に対してであって、思想・信条まで問題にしているわけではありません。

「保全される」思想も、それが外的な行為として現れる場合には「公共の福祉による制約」を受けるのです。
思想や考え等の自由の侵害とは根本的違いますし、訴えた元教論は法の解釈というものを理解していないのではないか。

[憲法が「侵してはならない」とする内心の自由は、最大限に保障されるべきである] という意見はその通りですが、この裁判の内容とその主旨は微妙に相容れないことであることを、元教諭側は理解しなければなりません。

ただ、その裁量がどの範囲まで行われることが許されるのか(命令に従わない場合、どれくらいの罰則等が適当か)の大きな課題はまだ残されたままです。
この裁判の件での処分については一応の裁定が下されましたが、そのことに関してはまだまだ多くの議論が必要です。


どちらにしろ、どれだけの信念を持っているのか知りませんが、その信念は子供達の門出を蔑ろにしてでも貫かなければならないほど大きなものなのでしょうか?

戦いを憂い、戦争やそれを行った行為を拒絶する気持ちはもちろん分かります。しかし、そのことと、公共の場や祝う場での職務としての行動は切り離して考えるのが大人の行動ですし、最低限のマナーと秩序を守らなければならない国民の「義務」なのです。

たとえば、宗教的な儀式が違い、誰かのお葬式で自分たちの儀式とは異なるし考えも違うからといって、亡くなった方の葬儀の儀式に逆らうような行動は明からなルール違反です。

ほとんどの方がまず、そのような無礼なことはしないはずです。
当然ですね。亡くなった方の人権、並びに遺族の方の人権を尊重しているからです。

自分の主張と信念があろうが、卒業式の門出でのそのような教師達の行動は、上記のことで葬儀をぶち壊す行為となんら変わりません。

生徒達・卒業生達の人権を本気で尊重するならとてもできない行為です。生徒・子供達を軽く見ていることに気づいてもいない。

信念を貫くことと卒業式での振舞いを同じ土俵で考えるのはあまりに世間知らず、且つ幼稚でしかないのではないでしょうか。

そのような場でそのような行動を取り、校長に起立等の命令を厳しく諭されたとしても、そのことで信念や個々の思想が保全されないわけではありません。
まず、これが保全されないと考える時点で他の方との意見の擦れ違い、並びに法解釈の隔たりが起きます。

『真の信念と真の自信を持った人、真に強い人はどのような行動と態度を示すのであろうか』

教育者ならば、法を含めた社会での常識的な物事、ルール・在り方、実社会での物事の捉え方をもっと学ぶべきでしょう。
昔から揶揄されていることですが、「教師は世間知らず」と言われてもこれでは仕方がない。



たぶん、銃弾が飛び交う中、敵地・激戦の戦地に乗り込み、実際に命を懸けて戦った英霊の方々は、そのような行動は取らないように思います。
それは、真に国を愛し家族を愛し、本気で命をかけることができたからです。

だれでも愛する我が子のことは、いい部分・悪い部分、すべてを含めて受け入れているはずです。
まずそこに真の愛情がある。だから受け入れられる。

皆、君が代に反対している教師たちの気持ち自体は理解していると思います。
それでも、多くの人がその行動に疑問を投げかけていることの意味を、心を真っさらにして考えてほしい。

私は少数派の人の意見のほうが間違っているなどと考えたことはありません。
むしろ、その逆である場合も多いのではないかと思います。

しかしこの件に関しては、卒業式等で起立を拒否したりする教師たちの考えと行動にどうしても疑問を持ってしまいます。


「日の丸を愛することが国を愛することという思考は短絡的」と教論側は述べたらしいですが、そもそも誰もそのような考えを主張しているのではないということにすら気づいていないようです。

そのような意見こそが短絡的であり、彼らこそ表面的にしか物事を捉えていないようです。
一見するとそのように彼らは思うのでしょうが、本質はそこではありません。




------------------------------
追伸: 雑談です

記事とはまったく関係のない雑談ですが、最近、たまにですが昔のレコードなどを引っ張り出してきて聴いてみたりしています。
(年かな?)

ふと、若い頃好んで聞いていた歌い手の方々の近況などをパソコンで検索してみたら、お亡くなりになられていた方がいました… 合掌

その歌手は、「松原みき」さんですが、2004年に亡くなられていました… 
ご存知だった方も多いと思いますが、私はぜんぜん知りませんでした。
(若い方は彼女自身を知らないかな?)


松原みきさんのヒット曲、「真夜中のドア 〜 Stay With Me」は、当時、なぜかとても好きな歌でした。

彼女のご冥福をお祈りしますとともに、追悼の意味でリンクを貼っておきます。

懐かしいと思う人も、若いのでその時代の歌手はあまり知らないという人も、よろしかったら聞いてみてください。

http://youtu.be/k-KAY_Glmn4


↓素晴らしい国歌独唱
http://youtu.be/_ORh8TKxsMU


ブログ右サイドバーのリンクバーにも、今後テーマを気にせずランダムに動画や昔聞いていた歌等も載せてみようかなとも思っています。
いよいよ、なんのブログか分からなくなってきましたね(笑)

まあ、お店・会社等のブログではなく、他愛のない個人ブログなのでご了承ください。
------------------------------
posted by マーキス at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月02日

節電の夏

「暑さ対策による節電」

今年もすごく暑いですね。皆さんどう御過ごしでしょうか。

政府が電力使用制限を発令し、各企業、各家庭も様々な節電対策を模索しています。

自動車産業を筆頭に製造業は「土・日」操業を始めたようです。
「木・金」を休みとして土日に操業するそうですが、大手製造業が根づいている地域の各自治体の教育委員会等は、今相当慌てているようです。

自動車産業等が町の中心的産業となっている地域では、自動車メーカー並びに下請けを含めた関連企業に勤める従業員の方たちの中でも、共働きをしている人たちも相当な数に上ります。

土日操業になれば子供の面倒が見れない。
近くでお祖父さん・お祖母さん等、面倒を見てくれる人がいる方はまだいいですが、そうでない方たちも沢山います。

突然の生活環境の変化に簡単には対応できない。
各自治体も児童保育所等の増設を図っていますが、人員の確保等を含め大変なようです。

どうも、企業の計画等と自治体との疎通がスムーズに行われていなかった?ようで、確かに例え早めの疎通が行われていようと時間的余裕は少なかったでしょうが、相当慌てているみたいです。
市民生活においてとても重要な問題ですので、早急の解決がなされることを願います。




省エネルギーが重要なテーマですが、各種建築物の一次エネルギーの消費量の多くは「空調」「照明用」が占めています。

事務所ビル等では、空調関係が約50%、照明・コンセント用が約30%ほど。百貨店もそれら両方で約70〜75%ほどを占めています。
(病院やホテル等も、空調関係が多く、給湯用が占める割合も多い)

建物の使用時間が長い病院やホテル等の原単位は大きく、2交代制や3交代制で稼動している製造業の工場等も当然大きいです。


そのため、省エネルギーの手法として様々な対策があり、あらゆる場面で施しされています。

機械設備を使用して太陽光を利用する「アクティブソーラー」

機械力を使用せず、太陽光を利用する「パッシブソーラー」

外気を地中埋設管を経由して、地中の恒温性を利用し外気の予熱・予冷を行う「クールチューブ」(ヒートチューブ)

発電の際の排熱を冷暖房や給湯の熱源としてエネルギーの有効利用を図る「コージェネレーションシステム」
(ひとつのエネルギー源から電気と熱の二つを同時に取り出す)

地域のプラントにおいて製造された「冷水」「蒸気」「温水」等の熱媒体を、その地域の他の複数の建築物へ供給する「地域冷暖房方式」
などなど


また、外壁をガラス面とし、ガラス面の内側に壁を設けて蓄熱体とする「トロンブウォール」。外壁をガラス面とし、ガラスを前後に2重(2層)に覆い、空間を季節に応じて利用する「ダブルスキン」という手法もあります。
これは宝石店等でも有効活用できる手法ですね。


さて、一般家庭ではどのような手法、あるいは暑さ対策をすることによる節電が考えられるでしょうか。
多くの家庭で取り入れているのが、「よしず」などをぶら下げて直射日光を遮ることですね。
これは大変有効で、且つ、手軽にできる好例です。

夏場(夏至)の太陽は高いため、水平面の日射量が一番多く、また、南側鉛直面より、東西の鉛直面の方が日射量が多くなります。
一応、学問的には南北を中心とした左右(東西)の日射量は均等にみますが、実際に体に感じる感覚は若干東側鉛直面の太陽の照りが酷い。

夏場は、この東西側鉛直面が受ける(つまり、主に東西側壁)と水平面(つまり、主に屋根と地面)が受ける日射量や熱量等がものすごいものとなります。

夏場はこの方面側の熱対策が重要となります。

なお、夏の太陽は高いため、南側の「鉛直面」の日射量は少ないです。
(たぶん、皆さんが想像する以上に少ない)

通常の日本家屋では、南側の夏の太陽は庇で日射を遮ることができますが、最近の家屋は南側に限らず、庇のない家が増えてきました。

庇は太陽を遮るだけでなく、雨の多い日本では雨仕舞いに都合がよいですし、窓からの延焼の防止(正確には抑制)の役目もするのです。
つまり、最近は自然を無視した建築、家造りが非常に多くなっていますね… いにしえの工人たちが築いた家造りには重要な意味があることを知っておいていただきたいと願います。


私は仕事を平屋建の事務所内でもしていますが、この事務所には「素屋根」というものを施しています。

これは、建物の上にさらに屋根を施しているもので、簡単に言えば、建物の周りに車庫(の屋根)をかぶせたようなものです。
柱と梁の骨組みに屋根だけを付けて、事務所の上にかぶせているのです。

これをすると、当然ですが水平面の日射が遮ることができ、この事務所の素屋根は屋根だけで、側は外壁等は何も張っていませんので、事務所の屋根と素屋根の間の空間の熱された空気も停滞しません。

大げさな施しと思うかも知れませんが、骨組みに中古資材と屋根材はホームセンターで売っている安いトタン(プラス、その他の部材)を利用したものなので、それにかかった費用はしれています。
掛かった費用は、はっきり覚えていませんが15万円ほどではなかったかと思います。
(新品の場合は倍プラスαの費用は掛かると思いますし、手間代は別途ですが。)

その素屋根の東側に「よしず」を垂らして日射対策はバッチリです(笑)
(西側は高い壁があり日陰となっていますので、よしずは垂らしていません)

これを施すと当然ですが全然違います。エアコンも高い温度設定でもよく効きますし、カンカン照りではない日の場合は、エアコンなしの通風だけでも(あるいは扇風機だけでも)まかなえる日もありますので、かなり消費電力を節約できます。

小規模で、1階建ての(平屋建ての)店舗や事務所などにはお勧めの対策なんですが、やっている所は他に見たことがありません。

この素屋根は見た目は気にしない考えで施したので、見栄えを考えると、もっと綺麗な仕上げで造ることになりますので当然もう少し費用が掛かりますし、確認申請等の面倒もかかってきますからね。
やり方・工法次第では、それでもかなり安価でできるのですが…


自宅の熱対策には通風、換気、並びに断熱が当然ながら重要ですね。

屋根から来る熱はものすごいです。瓦などと違い、最近多いカラーベストの屋根材ではまともに屋根裏・小屋裏に熱が伝わります。

昔からの工法は、、下地材に無垢の野地板を隙間を空けながら張って行き、杉皮などの上に土を葺き、瓦を葺く工法で、相当な日射を防ぐことができましたが、最近の工法は、コンパネにルーフィング、カラーベストの乾式が多くなりました。
資材も工業製品ばかりの材料で、熱もまともに伝わります。

断熱材は必須ですが断熱材のみならず、最近では棟換気という工法があります。文字通り棟の部分から換気をするのですが、最近はやりのカラーベストの屋根にかなり有効です。

空気は暖かくなると(温度が高くなると)軽くなり、冷たくなると重くなります。
棟換気はその特性を利用し、軒裏等から給気し、棟の天辺から排気を促す方法です。

また、室内の換気経路ですが、ある高さで室内外の圧力差がゼロになる部分があります。
これを中性帯といいますが、室温が外気より高ければ、中性帯より下の開口部から上方へ流れ、外気より低ければ、中性帯より上の開口部から下方へ流れます。

条件によりますが、地窓と呼ばれる床面に近い位置に窓を施した部屋で、すごく風通しのよい部屋もありますね。

(追記: 温度差による換気量は、流量係数、開口部面積に比例し、上下窓(開口部)の中心間距離の垂直方向の「平方根」、室内外の温度差の「平方根」に比例します。)

冷房のある建物は、当然ですが気密性が高い方が効率がよく、消費電力を抑えられます。

また、夏季の一日の日射量を考えると、建物は東西軸を長くしたほうが有利となります。通常の住宅はほとんどがそうなっていますよね。

窓からの日射熱流入を抑える対策は有効です。
庇は当然のことながら有効ですね。

ルーバーなどは外部側に設置するほうが効果的です。西側の窓は太陽高度が低くなりますので、可動式の縦型ルーバーが効果的とされていますが、通常の水平ルーバーでも可動式ならば有効でしょう。

先に記したように夏場は水平面での日射量が多いので、家の周りに施されている「犬走り」などのコンクリートの土間からの照り返しは酷いので、何かその上に敷物をする等の対策も必要です。

打ち水も有効でしょうが、熱されたコンクリートはすぐに乾いてしまうので根気が要りますし、ずっと濡らした状態でないと蒸発による湿気を生んで、よけい蒸し暑くなってしまいます。

長くなるので今回はこれくらいで…
熱対策を施すことにより、省エネ・消費電力の節約になりますので、一考してください。


昔から日本では、「家造りは夏を旨とすべし」、と云われています。

雨が多く高温多湿の日本という国の気候を考えて、夏季での生活環境を主体に考えた家造り、並びに自然環境が建物に与える影響を考慮した家造りは、人にも家にも好ましい家造りとなり、そのような家造りは人に優しく、家は長持ちするという先人たちの知恵です。





「原発再稼動要請」

海江田経済産業相が原発の再稼動の要請をしました。
狂っているとしか言いようがありません。あり得ない要請です。

福島第一原発もまだ収束できていないこの状況下で、「各原発の安全対策は適切と判断できた」とは、どういう神経を持っていたら言えるのでしょうか?
現時点で、たったひとつの原発すら手に負えない状態なのです。

本物の詐欺師でもそのようなあからさまな嘘はつけない。
完全に国民を舐めて馬鹿にしているのでしょうね。どうしようもない。


しかし、彼のような政治家を生んだのは国民です。
このような政治家を生んだ国民も彼と同じレベルなのです。


日本経済のために原発を動かしたいのならば、「安全対策はまだ整っておらず、もしもの大災害が起きれば未曾有の被害を覚悟しなければなりませんが、経済の建て直しのために、死を覚悟した究極のリスクを背負っていただきたい。」と国民にお願いすべきなのです。

理解を得られる・得られないは別として、それが真剣に生きている責任ある人の行動と覚悟です。

日本国と日本人の将来のことを本気で必死に考え、その結論として、彼の頭の中で往きついた先の最善と思う考えが原発の再稼動なのならば言えるはずです。

子供騙しのような呆れた言葉でしか要請できないのは、真に国と国民のことなど何も考えていないので自分の考えに信念が持てないからです。

政治家として命を懸ける覚悟のない人はなるべきではない。
安易な志しで務められる仕事ではありません。






---------------------------------

元祖歌姫? シーナ・イーストンの曲をいくつか よろしければ…

化粧品メーカーのCMで使われ、日本でヒットした「リトル・テンダネス」は、なぜかフルバージョンがユーチューブにはありませんでした。
(CMの動画のみでした)


Just Another Broken Heart
http://youtu.be/ifBRP3p6nx4


Telephone Lines
http://youtu.be/izkWyWE9GCo


Morning Train
http://youtu.be/huNejF17gzg

---------------------------------
posted by マーキス at 20:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月12日

電力供給と情報と個々の責任

「正念場の今年の夏」

数年前から節電や省エネは皆の心の中に重要なテーマのひとつとして根付いてきました。

ただ、普段の心掛けとしての節電はとても意味のあることですし、よいことなのは確かでしょうが、日本人にありがちなどこでも右に倣えの節電には少々疑問があります。


この前、休みができた日に図書館に行った時の事。その図書館でも冷房等の明らかな節電がなされていました。

もちろん暑いというほどではないのですが、明らかに温度設定が高く設定されていました。
個人的な意見としては、読書をするような施設においてまでそのようなことをするのはどうかと思ってしまいます。

汗が滴るほどではないにしろ、温度が若干高ければ手のひらから汗の分泌も起こりやすいですし、それは書物にとってよい環境ではありません。

図書館を利用して勉学に励んでいる方もなかにはいますし、図書館や、あるいは美術館のような温湿等の管理が重要といえる施設、知識や文化を学び感じ取る施設まで一律に同じようなことをするのは間違っています。

それと同じく、老人の方たちのいる施設、あるいは老人の方が無理に冷房等の節電をする必要もありません。


そもそも、まずそんなことはしなくとも電力は足りるはずです。

電力会社のプロパガンダやディスインフォメーションに踊らされてはだめです。

電力会社が経産省に届けている電力量から、原発がなくとも電力は足りる計算となりますし、大きな企業が若干の節電対策を施すことにより、他の施設、一般家庭は節電なしでも電力は足りるはずです。

それが足りないというのならば、明確な根拠と資料を持って詳しく国民に説明する義務があるはずですが、それをしようとしない。


夏場の消費電力のピーク時に電力が足りなくなる理由として、施設・機械等の定期点検のために一部稼動をとめなければならないことを挙げているようですが、そんなことは理由にならない。

電力会社に限らず、大きな施設、機械等は定期的な点検・メンテナンス等は必須事項ですが、そのようなことは年間、あるいは数年の事業計画として、稼動に対する必要量・要求量・生産量が少ない時期に行うのは事業者として至極当然の計画のはずです。

なぜ、わざわざ必要電力がピークとなる真夏の時期を選んでやらなければならないのか。
原子力発電所が必要だと思わせるための工作というのがミエミエです。


大きな企業や権力者たちがこのようなことをしても裁かれることはありません。

少し強引かもしれませんが、これは欺罔(ぎもう)行為によって錯誤(さくご)に陥れようとすること(詐欺・詐術)とも考えられ、経済の秩序に反する行為ともいえ、公序良俗違反であり、また、権力者たちが「危険だと分かっていて」放射能の許容値を上げたり、「危険だと分かっていて」原発周辺地域の放射線量や放射能は安全だと言う行為は、意思の欠缺であり、心裡留保という違反行為であると言えなくもありません。

但し、これ(心裡留保)は相手方が知っていたり、知ることができたのに知らなかった場合(過失)は無効となりますし、証明も難しいので、まず、そのことに関しては問われませんし、知ることができるのに政府の言うことを鵜呑みにし、それを知ろうともしなかった人は政府に対して責任や違反等を問える立場も権利もないといえるでしょう。

この事は重要な意味があることが分かりますね。
極端に言うことが許されるのならば、無知なことや最低限の知識を得る努力を怠った人間に、相手方を責める(罪に問う)権利は認められない「可能性がある」ということです。

(ちょっと上記のことは法律に無理矢理はめ込んだと言えるでしょうが、社会の現実の厳しさの一部を表現してみたいと思い、あえてこのような記述をしてみました。)

----------------------
※追記です:【心裡留保】− 厳密には「意思の欠缺」というのは違反行為という種のものではありませんし、この心裡留保とよばれる表意者の「意思表示」も原則的に無効ではありません。
ただ、たとえ相手側の過失であろうが状況により誰かが被害を被る可能性があるもので、このことに限らず、意思表示にはさらに多方面からの視点・観点で考えなければならず、すべてが重要な意味を持ちます。上記の表現の方が意味がつかみ易い?と思いますが適切な表現ではありません。また、強迫のような瑕疵ある意思表示とは違います。

この「意思表示」ひとつ取ってみても、効力の問題や受領能力、その他諸々、様々な事を説明しだしたら膨大な文章となりますが、「意思表示」は法律行為の最初の柱ともなる極めて重要なものです。
ご興味のある方は基本的なことだけでも調べてみてください。
----------------------


また、社会人なら誰でも理解していることでしょうが、詐欺に遭った方を法律では強く保護していません。

このことは善意の第三者には主張できないことからも明らかです。
関係のない人を詐欺にあった人のために犠牲にすることはできないからですね。

さらに、本人に錯誤がある場合も至極当然ですが法律は(強く)保護しません。

詐欺にあった人にしろ、本人自身に錯誤がある場合にしろ、強迫等による意思表示に比べたら、本人にも明らかに過失があるからです。

(錯誤による意思表示は「一応」無効となりますが、本人に重大な過失があると認められる場合は、自らの無効を主張することはできません。)



自分自身の身は自分自身で守るしかありません。

法律の基本原則は、 誰でも権利の主体になれる(個人の平等の原則)、自分のものは自由にできる(所有権絶対の原則)、誰かと取引することの自由(私的自治の原則)等がありますが、自由には責任が伴うことを忘れてはなりません。

権利を行使するには、公共の福祉の原則等があり、個人の権利の行使は社会全体の利益との調和がなされていなければなりません。
(このことは、先の記事で取り上げた「君が代裁判」の教師の行為などが該当しますね。)

権利を主張するのならば義務と責任を果たさなければなりませんし、自由にも大きな責任が伴います。
政府や電力会社やマスコミの言葉を鵜呑みにするのも信じるのも自由です。しかし、その自由は自分の責任において対処しなければなりません。ケガは自分持ちなのです。

自分の責任において取った行動を他人のせいにすることはできませんし、仮にそのことを起因として病気等になった場合、これに関しては自分自身の体の問題ですから物理的にも他人に責任を取ってもらうことは不可能となります。

(その代わり、金銭等での保障等になってくると思いますが、病気になった体は…何もなかった元の体に戻すことは不可能です…)

もちろん、私が電力は足りるはずだと思っていることも私自身が自己の責任として対処しなければならないことです。




さて、今年の夏はほとんどの原発が止まります。本当に電力は足りないのか。原子力なしでは電力の供給は一時的にストップしてしまうのか。原子力なしでは本当に庶民の生活と企業の正常な稼動はストップしてしまい、経済的、社会的大混乱に陥ってしまうのか。

そのことを見極めるためには、電力会社等の嘘のない情報開示と偽りの操作のない電力供給計画が不可欠です。

そのことが成された上で、この夏の電力消費量がピークの時になんとかなるのであれば、脱原発の意義はさらに加速して行くはずです。








---------------------------------------

1970年代〜80年代にかけて、ディスコミュージックが流行りました。

「ボニーM」は、当時全世界で?大ヒットし、私の世代や数年上の先輩達には懐かしいはずです。
(若い世代の方はディスコミュージックは馴染まないかな?ごめんなさい。)

私はディスコに行くような性格ではなかったので、誘われてもディスコには行きませんでしたが、ミュージックはよく聴いていました。
軽快で魅力的なディスコミュージックが目白押しの時代でしたから。

街にはエネルギーが溢れていました。元気があった時代なのでしょうか?



「ボニーM」
ダンス担当の唯一の男性メンバー、ボビー・ファレルは亡くなっていました…合掌


「Sunny」
http://youtu.be/dhudMc0jfsc

「Ma Baker 」
http://youtu.be/TdNG0yNiKRg

「怪僧ラスプーチン」
http://youtu.be/kvDMlk3kSYg




「アラベスク」


「Keep The Wolf From The Door 」
http://youtu.be/CpWGUqhsiqc

「Nights In The Harbour 」
http://youtu.be/TzSV3O3cei8

「フライデーナイト」
http://youtu.be/pwzlZ3DRiHc

「Make Love 」
http://youtu.be/HZOXTkHuRw0



---------------------------------------

ラベル:節電 電力
posted by マーキス at 15:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月27日

狂った果実

「電力が足りない?」

26日の新聞によると、電力会社の発表では特に西日本の5社、九州や中国、四国、北陸、関西電力等の来年度の電力や五年後の電力が足りないという試算となっているようです。

その記事の中で、電力会社は電力供給量の内訳を公表していないとされています。
相変わらず事のすべてを話す気、発表する気はないらしく、小出しにしてお茶を濁しています。


供給力の増加対策を施した場合の供給力で足りないのは関西、九州、中国、四国電力となっているようです。
これも数日前に経産省から出された内容と少し食い違っていますね。どれが本当の数値なんでしょうか。

西日本は60Hzの送電エリアですので、比較的予備率の高い中部電力(中部も60Hzエリア)からの融通や、そのときの状況により他の電力会社同士融通し合うことで補うことができるのではないでしょうか?

また、火力発電所だけで全国に95ヶ所ほどと関連会社9ヶ所、その他、内燃力発電所(コージェネレーションシステム)が58ヶ所ほどあり、火力発電及び水力発電だけでかなりの電力は賄えるはずです。

火力発電所のかなりの数は止まっているといわれます。点検で停止中のものは除いても、なぜ沢山あるのにそれほどの数をわざわざ止めているのか。

理由はひとつしかありません。止めても十分電力が賄えてきたからです。

東北の震災以前からトラブル続きであった原発の電力供給量はせいぜい23〜26%ほどでしかありません。
それくらいなら他の発電所でカバーできるようにも思います。

もちろん化石燃料を燃やす火力発電が完全にクリーンとは言えませんし(二酸化炭素の放出等)、古くなった施設も当然あります。長く止まっていた機械物を再び動かすには少々の時間と多少のコストも掛かります。

大型の火力発電所も止まっているようであり、稼動しえる発電所がフル稼働しても、現在の状況ではもしかしたら足りないのかも知れません。

しかし、原発施設も20〜30年以上経った古い施設も沢山ありますし、原発の寿命も当初謳われていた耐用年数よりはるかに短いことも露呈しました。

そして原子力のとてつもない危険性に比べたら火力発電のマイナスの部分は微々たるものに思えるほどです。

また、コストが安く済むとの謳い文句も化けの皮が剥がされてきています。そして原発はトラブルが起きれば天文学的なコストの支出ともなります。
使用済み核燃料の処理や高濃度放射性廃棄物の処理コストも物凄く高いはずです。



また、水力発電所・火力発電所の中には、東電や関電、中電等のいわゆる「一般電気事業者」ではない電力供給会社で「電源開発株式会社」というものが存在します。

元々国策としての性格を持って設立された事業所で、その発電能力はひとつの電力会社に匹敵する能力を持ち、四国電力の発電供給能力を上回るほどです。

26日の新聞での発表は「一般電気事業者」に関しての記事であって、「電源開発株式会社」の存在は隅に置かれている数字ではないですか?
これも内訳が分からない事には判断ができません。まあ、含まれていないでしょうが…

この「電源開発株式会社」は、「一般電気事業者」に対し、「卸電気事業者」に属し呼ばれているもので、他の「特定電気事業者」、「特定規模電気事業者」等の事業所の発電力も足せば、特定の地域・特定の場所に限られたりもしますがさらに供給可能電力量が増えます。

電力事情を少しでも調べた人ならば誰でも知っていることでしょうが、マスメディアはこの事に関してあまり触れませんね。




さて、わかりきっていたことですが、肉、野菜、魚、すべての食品の汚染とその汚染された食物の出荷が行われています。
一般庶民には到底食品の汚染の判断など無理な話です。

しかし、あくまでも自分自身の身は自分自身で守るしかありません。


たとえば富裕層が食品をどう調達しているのか。

今現在、高性能のガイガーカウンターその他の機器を駆使し、産地等を含めあらゆる角度から徹底的に事前検査して、安全だと確認された食品だけを宅配サービスする事業が展開されています。

私のところにもパンプレットが送られてきました。(あ、私は富裕層ではありません(笑))

料金は当然のことながら通常スーパー等で買うものより高いです。
ここにも当然の如く「生活格差」が現れます。

東電幹部や政府関係者たちの家庭は、このような事業制度を活用している人も多いでしょうね。言わないでしょうが…

富裕層には間違いなくこのような事業者からのパンフレット、DM、電話・FAX等の連絡が来ます。
事業を展開する会社も商売ですから、富裕層は徹底的に調べているはずですからね。


だからといって、富裕層ではない方々も出来る限りの自己防衛はしなければなりません。

政府・東電・マスコミ等の言う言葉を鵜呑みにして、例えば許容値を上げた等によって放射線量の多い地域で放射線をあびることにより、もし病気になった場合どうなるのか。

建前上は置いといて、金銭的な面でも国は補償してくれないと見るべきです。
症状が出る、病気になるのはもっと後の話になりますし、数年後、十数年後の病状と放射線、放射性物質との因果関係の証明は困難を極めます。

また、その証明の立証責任はたぶん被害者本人になります。

そう、被害者がその医学的根拠に基づいた因果関係を自分で調べ、証明が可能となるデータ・資料等を添付し立証しなければならないのです。

まず証明は不可能です。なんとか国が認める方向に被害者及び世論が持って行くしかありません。

以前、薬害の問題などでもどれだけ被害者が長い間戦って苦労したか思い出してください。

そして、長い裁判を戦い、仮に国が過失を認めてくれたとしても、もう生きてはいないかもしれませんし、たとえ生きていても、病気とも長い間戦ったあげくの残りの人生は短いはずです。

裁判自体困難を極めます。間違いなく国は払わない方針、因果関係を認めない方針で来ます。

過去の事例からも難しい。地裁・高裁に限りませんが、裁判官、裁判長は過去の判例から大きくずれた判決はしない場合が多いと見るべきです。

それは出世がかかっているからです。極端に言えば、そのような判決を下した人は、判決が間違っていると判断されることと同時に、厳格なる過去の裁判と司法そのものに喧嘩を売っていることと同じになります。

つまり、過去に判決をした最高裁の歴代の「偉い人たち」を否定することになるからであり、厳格で間違いがあってはならない司法判断を否定する行為となるからです。

過去の判例を覆し、判例を覆す難しさに毅然とした態度で挑み、新たな視点からの判決を下した人は、出世街道から転がり落ちることになります。
大きな力に抹殺されるわけです。決して新たな風は吹かないようになっている現実だけでも、皆が知り、認識しなければなりません。
(もちろん、下級裁判所が下した判断が明らかに間違っている場合も当然あります)


殺人事件における「永山基準」が長い間判決の基準・参考にされていたのも、一人だけを殺害した犯人が極刑を回避してきたのも上記のことが理由なのです。

注: 判例というのは、重大事件にかかわらず司法判断において最も重要なもののひとつとなるもので、また、「そうしなければならない」ものでもあります。
決して、判例を軽く見るべきではないことは言うまでもありません。
その意味でも「永山基準」が長く参考にされていたのも当然だろうとも思います。)


このような「圧倒的な力」を変えることができるのは、世論の力、及び、政治に超特大の台風が吹き、とてつもない指導者が現れるしかありません。
それを生み出すのはもちろん国民です。

少なくとも許容値を上げた数値などは鵜呑みにしてはなりません。
何度も言ってしまいますが、ケガは自分持ちです。



また、フジ・メディア・ホールディングスの監査役に、東京電力の元社長が留任することが少し前に話題になりましたね。
この事実はどういうことなのか説明するまでもありませんし、このようなことは氷山の一角なのも説明するまでもありません。

逆に、この期に及んで政府、電力会社、マスコミ、各省庁等のいうことを信じる人、あるいは支持する人の神経がわかりません。

もちろん私も報道をすべて否定するような単細胞ではありません。電力供給量に関しても知識の浅い私には確かに想像の域をでないものです。足りるのか足りないのか。専門家の中でも様々な意見があるようですね。

一般の方でも、日本の経済事情等から原発を稼動させるべきだと思っている人も沢山いるでしょうし、データを顕示し、やっぱり足りないよと訴えている方も沢山いるのではと思います。

しかし、そのような方は「足りる足りない」「日本経済」以前の問題なのだということに、誰がどう言おうが、どうしても思考がその方向には動かないようです。

ある意味、そのような意見を言う人には賢い人が多いような気もします。しかし、怒られるでしょうが典型的なマニュアル人間であり、秀才の弊害です。日本にはこのようなタイプも多いのでしょうね。


「原子力は人類には制御できない」 この極めて当たり前のことを認識しなければなりませんし、世界はその方向に向かっています。

それとも「原発が収束できなくなる時はまだ来ない」ことを前提とした考えこそが日本人の代表的なメンタリティーなのでしょうか。
予測・希望通りとなる保証はどこにもないはずです。


日本だけでなく、現在の世論は脱原発に向かっています。少なくとも日本では、もう原発の「増設」はあり得ない。
そうであれば、古くなった原発は近い将来に必然的にも廃炉の方向に向かうことになります。

「増設があり得ない」ことの意味は大きい。
このことはマスコミも現時点では認めているはずなのに誰も指摘しませんが、これは原発施設が徐々になくなって行くことを意味し、「必然として」原発ぬきでの電力の供給方法をこれからの課題として考えて行かなければならないと言う事です。

「増設があり得ない」のならば、脱原発は希望ではなく、リアリスティックな課題とすでになっていなければならないはずです。

逆にもし、増設が今後もあり得ることとなるのならば、権力への完全なる敗北を意味します。
それがどういうことを意味するかは、説明するまでもないはずです。


物の使用の対価として受けるべき金銭その他のものを、果実(法廷果実)といいます。
電力会社から多額の資金が流れているマスコミは、原発増設に向かう希望を失ってはいないからこそ、上記のことを誰も指摘しないし気にもしないのでしょう。

今後、国民はどう判断するのでしょうか?
狂った果実と運命を共にするほど愚かではないことを信じています。
posted by マーキス at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月13日

「神風が吹いた日」

ご無沙汰していました。その分?、長文となります。
ご了承ください。


「米ドル不信」「ユーロ暴落」

世界的に「ドル」の不信感が止まらないようです。

市場がドル売りを続けるのは、アメリカ経済に不信感を抱いているからであり、アメリカの国民に厳しい現実が突きつけられたレイオフ、高い失業率と長期の失業。
アメリカ経済の惨状は私達の想像以上なのかもしれません。

当然、世界各国の投資家、及びアメリカの国民からの信用は著しく失ってきており、アメリカ経済の不信感がドルの不信感となり、そして世界の基軸通貨である「ドル」が崩壊?の危機に陥っています。  


アメリカの経済事情は深刻です。
慢心があったのでしょうか? アメリカは産業界が育っていない。
その予兆は随分前からあったように思います。

私は、日本に限らず、経済の屋台骨ともいえるアメリカの「自動車業界」は衰退するだろうとかなり前から思っていました。
顧客のニーズに合っていない車しか生産・輸出してこなかったからです。

まず、我々日本人から見て、どういう事情と思惑、あるいは規制?があったのか分かりませんが、一貫して右ハンドルの車を輸出してきませんでした。

舶来品として左ハンドルを有難がっていた時代などとうに過ぎていたはずです。

翻って日本の自動車メーカーは、輸出する国の交通事情に合わせることはもちろん、同じ車種でもその国のニーズにあった仕様に合わせることを徹底していました。

例えば、あまり経済発展していない国への輸出車などは、わざと塗装のグレードをかなり落とした仕様なども生産し、「高級過ぎない」仕様とすることによって、見た目も逆に受け入れやすくし?、顧客のニーズに応えるようなこともしています。

内装などのグレードもそうですが、サスペンションやアブソーバーなどの足回りなども、その国の好み・慣習、道路事情など、末端消費者のニーズを徹底的に調べ合わせることなどに努力を惜しみませんでした。
(もちろん、その国の規制や法規的なことをクリア・考慮しながらなのは言うまでもありません。)

上記のことはホンの一例です。アメリカ車が日本以外の国への仕様をどのようにしていたのかまでは私は知りません。

しかし、少なくとも日本仕様への「気遣い」は一切なかった。日本の自動車メーカーではあり得ないことです。

いつまで経っても燃費がそれほどよくない左ハンドルの大きな車を売り続けていました。
そのような姿勢ではいかにビッグ3といえども、物が溢れた厳しい時代には太刀打ちできるはずがありません。

ドイツ車も昔は左ハンドルが多かったですが、今はそんなことはありません。どんどん高性能な車に発展していっていますし、つまらない故障も弱かった電気系統も改善されました。


いつだったか、アメリカも小型車や燃費のよさなどの世界的なニーズに合わせるべく、「ネオン」という名の小型車を発表したときは日本も相当注目していました。

その「ネオン」を日本のメーカーがバラバラに分解して徹底的に調べたらしいのですが、あまりの溶接部分の少なさに驚いたそうです。

それは、技術的に優れているという意味で驚いたのではなく、まったくの逆で、別に革新的な部品の接合技術を駆使していたわけではなく、単に通常の溶接箇所が極端に少なすぎていただけであり、日本車ではあり得ないあまりにいい加減な仕事に日本の技術者は驚いたのです。

そんな仕事ぶりでは、日本やドイツの優秀な車に太刀打ちできるはずがありませんね。

能力とそれを発揮する資本はあったはずなのに、努力を怠ったビッグ3の衰退は必然的なものだったはずです。

ただそれでも超大国アメリカですので、自動車メーカーの衰退の予測はある程度はしていても、こんなにも早くここまでの惨状に至るとは思ってはいませんでした。

9:11、リーマンショック、ユーロ危機、様々な事情があったのでしょうが、すべてにおいて超大国故の慢心していた部分もあったのではないでしょうか。

ユーロも危機的状態が続いています。それがさらにアメリカ経済の衰退に拍車をかけています。
つまり、世界経済は何年も前からずっと危機的状態を続けている。


世界的な株価の暴落とドル不信。そして米国債というカードは中国に握られています。

今、世界経済は綱渡りの状態です。中国もこのカードの使い方次第では下手すれば自国の首を絞めることにもなりかねない。

アメリカ、ユーロ、日本のみならず、中国を含めたすべての国々が戦々恐々としているでしょうし、裏で慎重さを伴った様々な戦略的駆け引きが行われているはずです。


ギリシャ経済の破綻も懸念されます。どこも解決策を見出していません。
世界同時不況で墜落の連鎖が起きないよう祈るばかりです。





さて、デフォルトの危機にさらされているといわれる米国債ですが、借金大国といわれる我が国日本はどうなのでしょうか。

経済に明るい人は私などよりはるかに詳しく分かっているでしょうが、一応ここでは私の浅い知識を前提とした上で簡単に述べてみたいと思います。


「米国債」は中国や日本が莫大な額を保有しているように、海外の保有率が50%以上です。
翻って「日本国債」の海外の保有率は1割にも満たない5%ほどです。

これは何を意味するかというと、ある意味日本では身内のお金だけで賄えているということです。
外国や海外の投資家の資金の依存度が高いということは、不安定を意味します。

日本は稀なケースだと思いますが、ほぼ国内の資金だけで運営されているということは、ある意味安定を意味するのです。


日本国債の多くは各種金融機関が保有するものですが、これは間接的に預貯金等を預けている日本国民が保有しているということです。
つまり日本国民はお金持ちだということですね。

日本国民のみ(90%以上)で国にお金を貸して運営が成り立つことができているということであり、日本の個人金融資産は国の借金(約800兆円)を大きく?上まわっています。


デフォルト(債務不履行)が起こるということは国が財政破綻するということですが、単純には借金が返せなくなって経営が成り立たなくなった会社のようなものです。

債権の発行元の信用がなくなってくれば、高い金利でしか貸せない(つまり利回りがよくないと債権を買わない)ということであり、次第に高金利となり、財政がよくないのに金利を沢山払わなければならないとなると、金利の上昇に伴い借金が返せなくなって、終いに破綻していまいます。

このように、国の借金も大雑把に言えば個人の借金などと基本的には同じことですね。



世界的に見てもかなりの借金大国の日本ですが、現在の借金ではまず破綻は起きないと思います。

それを支える分母が借金の額上まわっており、堅実な日本人は資産を預貯金に回しています。(もちろん、預貯金がリスクがないというわけでは決してありませんけどね)

国民が納める税金(税収)のみならず、その莫大な個人金融資産(約1,400兆円を超える)が国債を支え国の財政を支えているともいえます。

ひとつの会社・企業と同じように、借金があれども母体に資金繰りを続けることができるキャパシティーがあれば運営を続けて行けます。

その意味で、単純には日本という国はリスクが少なく非常に安定性のある国であるといえ、ひとえに日本人らしい堅実な国民性がこの国の安定性を支えているとも言えます。


では日本は大丈夫かというと、そうともいえません。
まず、借金がこれ以上増え続けると確実に問題となるのでこれ以上増え続けないような対策が必要となってきます。

借金がたとえ大きかろうが、その金額を維持しているうちは大丈夫ですが、当然のこととしてどんどん増え続けることは問題となります。

景気を回復して経済復興し国を元気にすることはもちろん意味のあることですが、逆に景気が回復することによって個人や会社の資金の矛先(投資先)が株等の他の金融商品に移動すれば、国債の金利は必然として上昇傾向となります。

この事は、借金が増えることに繋がる可能性があります。

景気が回復しても単純に借金が減るという現象に必ずしもならないことに経済の難しさがあります。
商売をしている人はなんとなく感覚的に理解できるのではないでしょうか?

同じように、米国経済に先行きの見通しがついた場合、米国債から株やドル等に投資先が移動するようになります。
ややリスクを受け入れる方向に向かうということですね。

逆に、日本の財政不安が今以上募ることによって、同じく他の金融商品や他の外資などに資金が分散すれば国債の金利が上昇する傾向となります。
これはリスクヘッジの意味合いが強いということですね。


何かをきっかけとして金利の上昇が想像以上に大きくなれば短期的に日銀が介入して買い支えることになりますが、日銀が介入しすぎると札のダブつきに繋がり、円の価値が下がってしまいますので必要以上の介入はできません。

あくまでもこのようなことは市場が決める(生き物のような市場の動向による)ものなので、その動きがドラスティックなものになれば銀行や国がコントロールできるものではありません。




国の借金が増えるということは、歳出が歳入を上まわり、その補填のためという意味合いがあります。(元本、並びに利子の返済を含め)

国の支出の中に公共調達がありますが、公共工事などの建設・土木関係の仕事の他に、役所で使うデスクや事務用品などから自衛隊の装備品まで、ありとあらゆる様々なものが入札・契約されています。

なぜか一般の国民は建設・土木工事の無駄ばかりを取り上げますが、それ以外のものの調達ほうが無駄だらけです。

建設・土木工事ほどは叩かれない他の調達は、極端に言えば、昔ほどではないにしろ、今でも好き勝手な横暴・癒着・高額入札が蔓延っていますが、そのようなことがかなり改善され、特殊な工事や業者が極端に少ない業務以外はほとんど談合もなくなってきた公共工事ばかり未だに叩いています。

このこともメディアにコントロールされている典型例のひとつでしょうね。

また、このようなことを一般人に分かり難くすることは役人、あえていえば官僚の得意とするところです。
物品等の調達なども工事関係に比べると不思議なくらい情報量が少ない。
不自然です…


ちなみに、財務省の「外貨準備及びその他外貨資産」の表において、「証券」の中の米財務省証券(米国債残高)を公表していません。
官僚たちはいつもこんな感じで煙をまいているのです。

エリート達は完全に馬鹿にしているんですよ。自分達がある程度コントロールできると慢心しているんです。
しかし、悲しいことに現実はその通りです。


なお、契約書類の一部分では民間の企業が作成・調達している場合もあります。
金額は知れていますが、各自治体の限られた企業のほぼ独占です。
このことは情報量が少ないことも少なからず関係していると思われます。

このような工事関係以外のことを取り上げたらきりがありません。
上記のことは高が知れたことですが、物品、物件、その他の調達にはもっとすごい内容がありますよね。

天下りの関連企業が絡んでいるのはもちろん、高速道路の料金所のETCの作動機械や、自衛隊の……色々と考えてみてください。


また、入札、あるいは電子入札方式そのものにも、セキュリティーに関することや、ある金額以上の時の登録システムその他に、一部の企業が独占、あるいは10数社の認可企業が参加していて、入札に参加する者はそれらに関する手続きは必ずしなければならないシステムとなっており、それには手間のみならず、そのような認可企業がセキュリティー等を担っていることに対し、入札者側のお金の出費も当然必要となり、莫大な金額が動くこととなります。

このようなシステムに関して詳しく調べたわけではないので批判するつもりは現時点ではありません。

ただ、個人的にはそこまで徹底された、且つ、複雑なシステムの必要性に疑問符がつきますし、そのシステムを営むには大きなお金の動きがあるのは事実です。

公共の入札にセキュリティーがそこまで重要なのかも少し疑問です。ある意味、部分的には情報開示という意味でオープンでよいと思うからです。
(入札前の守秘性は必要ですが)

もちろん、一部の調達にはセンシティブなものがあるのは分かりますが、そうではない通常のものがそこまで必要なのでしょうか?

少なくとも、複雑ゆえの事務負担がものすごく増えています。
アナログである、以前の紙入札のほうが「はるかに効率的」なのは間違いのないことです。

実際に以前は紙入札で問題なく行われていたのです。わざわざ非能率的、且つ、費用が掛かるシステムにするそのメリットは?

そこまでのシステムにしなければならないということは、以前の紙入札の時代には相当な問題があったということの裏返しの意味になりますが…

旧システムが能率が悪かったというのなら分かります。お金が多少かかってもITを駆使したほうが効率的だというのならまだ分かる。

実際には、現システムのほうがどうしようもなく非能率的。思い浮かぶメリットは、データの保存力が旧時代より上だろうくらいです。
少なくとも改善の余地は大きくあるように思います。



ちょっと話が飛んでしまいました。
この公共調達は小泉政権から大幅に削減されてきましたが、この支出を大きくすることによって、借金は増えるが個人金融資産は増えることにもなります。

逆にこの支出を大きく抑え削減すれば、個人金融資産は減って行くことにもなります。

この辺のバランス感覚が難しい。単に減らせばいい、増やせばいい、あるいは税収が増えればいいという事ではないのです。

借金の負担と経済規模のバランスをコントロールするには、これ以上の借金の増大を防ぎ、まずはプライマリーバランスを正常な状態に持って行くという、当たり前で基本的なことそのものが大変難しいことなのが経済の恐ろしさといえるでしょうか。




「脱原発と軍産複合体という怪物」

ドイツ等に見られるように、世界各国のなかには東日本大震災が起こる以前から脱原発を訴えていた国も多く、そのような国では大震災後にさらに脱原発を求める声が大きくなっています。

その一方で、中国やインドなどの新興国?に見られるように、原発拡大の意向を示している国々も多く存在するのも事実です。

また、そのような国々に技術支援等をする国も当然のことながら存在します。
そう、日本やアメリカなどの先進国ですね。

そして、アメリカの意向として、日本が脱原発に向かうことを手放しで容認するとは思えません。
原発に関係する様々な分野で利権に群がっているのは、なにも日本の原発や電力会社に絡む政治家やマスコミ、各特殊法人や経産省OBの天下り等だけではありません。

スリーマイル島の原発事故以来、アメリカでは現時点で国内での脱原発の様相を呈していますが、支配者たちは活動の土俵をシフトしているに過ぎません。

アメリカが主導する、「核兵器不拡散条約(NPT)」の条約には、「核不拡散」と「核軍縮」等が条文にある一方、「締約国の原子力平和利用の権利」も重要な目的とされているものであり、この条文(第4条)なしでは、この条約自体があり得なかったはずです。

特に超大国アメリカが、「第4条」なしでの核軍縮は絶対にあり得ないことですし、物事の急激な変化は中々望む事のできない国際社会での現実的な問題としても、当然の如く必要な条文でもあったのでしょう。

多くの日本国民が切望する脱原発はこのような思惑からも外れている行為であり、米国を裏から支配する軍需産業や国防を担う機関、米国の権力者たちが日本の脱原発を望むはずはないでしょう。



ただ、時代は大きく変わりつつあります。世界的世論の脱原発の意向が深まりつつある中で、幸か不幸か技術的な信頼を持つ日本で原発事故を伴う大震災が起きました。

アメリカのスリーマイル島の事故もそうですが、高度な技術と管理能力を持った大国でもまったく制御することはできないという姿を全世界に知らしめました。

特に日本の福島第一原発の事故は、日本ほどの技術大国がヘリ一機でバケツの水をかけるような原始的でお粗末な策しか講じられませんでした。
あの時、慌てたのはアメリカの方だったのかもしれません。

アメリカが積極的に日本に協力してくれたことは感謝しきれませんが、あのお粗末な姿を見たアメリカの首脳陣は驚愕したはずです。
さすがにほっておくことはできなかったのでしょう。

いくらなんでも日本が壊滅してしまったら、アメリカを含め世界的に計り知れないダメージがありますし、飛び交う放射線量はとんでもないことになる。

つまりあの時アメリカは、「日本だけでは最悪の事態を回避できない」「このままでは収束できない」と見切ったからこそ、自国アメリカへの不利益を避けるため、あわててさらなる積極的なコミットメントをせざるを得なかったのでしょう。



長い間行われていた事を急激に変えることは無理ですが、徐々にエネルギー市場は違うものに変わって行くと思います。

アメリカの力が弱まっていることは世界的に憂う状況といえます。アメリカの支配力が強かったことは弊害ももちろんありますが、恩恵も沢山受けてきました。

アメリカが弱体化することは、部分的には脱原発に弾みが掛かると同時に、国の発展のため原子力をこれからも積極的に推進する中国等の勢いのある国の躍進を抑えきれないということでもあります。


あらゆる意味で今までとは違った方向に世界は大きくシフトして行こうとしているように思います。




さて、不適切発言から辞任した鉢呂氏に代わって、菅政権で官房長官だった枝野幸男氏が経済産業相となりました。

菅内閣の後継色を払拭したい野田首相ですが、あまりに経験不足の人ばかりの入閣であり布陣でしたので、要請せざるを得なかったのでしょう。
民主党内でも不調和音が流れるのは必至です。

また、前政権の官房長官の入閣に自民党と公明党の批判は収まらないでしょう。


しかし、この「官僚」「自民党・公明党」並びに「電力会社」が警戒を強めている事実。
これこそが政権交代時に国民が望んだ、「脱自民」「脱官僚依存」の姿だったのではないでしょうか。

民主党も菅前首相への国民の失望だけに捉われていては、政権交代した真の意味と意義を見失ってしまいます。

菅前総理大臣は確かに想像以上に無能だったといえるでしょう。民主党そのものの国民の失望も分からなくもない。
ならば、他の政治家は有能なのか? 他の政治家ならば、この国の将来を健全な方向に進められたのでしょうか?
 答えはNOです。

あの日、あの時、自民党がもし政権を続けていたら、原発事故においての隠蔽工作は民主党よりはるかに酷く醜いものだったはずです。
この事の重大さが分かるでしょうか。想像しただけでも恐ろしいことなのです。

この意味、この事は、政権交代したことで、他のなによりもラッキーな事だったのです。
ツキは日本国民に味方した。


また、菅前首相のその考えが、皆が言うように、たとえ非常に浅はかなものから来ることだったにしろ、結果的に脱原発の意向を明確に示し、また、「浜岡を停めた」ことは、国民にとっても、旧態依然とした体制にとっても一大センセーショナルなことで、旧体制のままだったのならば絶対にあり得なかった事であり、その意義はとてつもなく大きい。

原発自体は停めるだけでなく廃炉にしなければ意味がありませんが、民主党内を含めて、他の政権・他の内閣だったのならば、浜岡原発は停止さえもあり得なかった。

その事実は、確実に流れる方向を変えたのではないでしょうか。

また、原発事故後、尋常を逸した無責任さを臆面もなく示した東電が事故後すぐに撤退を申し入れた時、菅前首相は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と幹部らに迫った事実は、良くも悪くも、菅前首相の性格が功を奏した典型例です。

もちろん、菅前首相のお粗末な政権手腕は呆れるほどのもので、とてもじゃないが一国の総理大臣としてのリーダーシップを発揮できる人ではありませんし、任せられる人ではありませんでした。

だが、それでも自民党政権ではなくてよかったと、私は心底思っています。



我が国は敗戦から不死鳥の如くよみがえり、世界有数の経済大国と技術大国となりました。
日本人の力と国民性がそれを可能としたのは間違いありませんが、様々な幸運や好条件も味方したのです。

そして今年の3月、不幸にも大きな震災が起きました。
ですが、震災前に政権が交代していて、震災時は菅政権だった。
この時代の流れとタイミングをよく考えてもらいたい。



2009年8月末日
この日、この時、日本に再び神風が吹いていたのです。

神様と世は、日本という国の力をまだ必要としているのではないでしょうか。
posted by マーキス at 16:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月12日

神戸にひっそりと佇む貴石 「MID-NIGHT SUN」


 「サンドロップ・ダイヤモンド」

相変わらず更新が滞っており、申し訳ございません。

まずはオークションでの話題をひとつ。

少し前の話題ですが、先月、サザビーズで「サンドロップ」と名付けられた世界最大のイエローダイヤ(110.03カラット)が、同種のなかで過去最高の金額で落札され話題になりましたね。
推定落札額の範囲内でしたが、予測されていた金額よりは低かったようです。
(原石は、昨年、南アフリカで発見された)

http://youtu.be/aoPpYsp_wH8

ロンドン自然史博物館で一般公開されていたペアシェイプ(ティアドロップ)の美しいイエローダイヤ。私はイエロー系の石が好きなので、とても魅力を感じます。

ファンシービビッドイエローのカラーで、クラリティーは「VVS-1」です。
一度見てみたいものですね。






「異人館に眠るビッグトパーズ」


先日、神戸・北野の「異人館」に行ってきました。

異人館は以前にも訪れたことがあり、今回は以前回りきれなかった所を見てくることがひとつの目的でしたが、その中で最大の目玉であったのは、「プラトン装飾美術館(イタリア館)」です。

訪れると中には何気なく 「ルソー」「コロー」「藤田 嗣治(レオナール・フジタ)」「ミレー」等、その他の貴重な絵画が飾られていました。

P1050003.JPG
P1050026.JPG




「テオドール・ルソー」「ジャン・F・ミレー」
クリックすると大きな画像でみれます



他にも、家具・銀器・食器・彫刻等の素晴らしい作品の数々。
「異人館」の中でもかなりお薦めの館のひとつです。


その「プラトン装飾美術館」の地下にあるレストランで(南庭テラスにあるカフェとは違います)、運良く予約なしで家族でランチを楽しむことができました。

ワインセラーの手前にある小さな部屋で、大きな200年前程のテーブル・椅子が一セットの席で、美術品等を眺めながら、ほぼ独占?で食事ができます!

なんと、「ロダンの彫刻」や「小磯良平のデッサン(リトですが)」、「王冠」、「大理石の中でも貴重で珍しい価値のある石材を使った彫刻」、「超高価であろう年代物のワイン(ワインは詳しくないので、どれほど凄いのか分かりませんが…)」等に囲まれながらのお食事です。

たまたまその時間帯に予約が入っておらずラッキーでした。装飾美術館と名前がついているとはいえ異人館ですので、普通の美術館ではちょっとあり得ない独特のものですね。


私は絵画も好きで特に日本画を好み、たまに美術館等の美術展を観に行きますが、この部屋に飾られていた、「鴨居 玲」の画にとても魅力を感じました。


P1050046.JPG
P1050043.JPG
「ロダン」「小磯良平」クリックすると大きな画像でみれます
(ガラスに反射するので、斜めから撮っています)





また、この館には他の美術館が喉から手が出るほど欲しがる美術品が目白押しだそうで、展示されていない貴重な作品がまだあるそうです。

そして、その中にとても大きなトパーズの宝石が佇んでいました。
重さは実に「2,005カラット!」だそうで、「真夜中の太陽(THE MID-NIGHT SUN)」と名が付いていました。

追記: この異人館に展示されているトパーズは、以前の記事にも記した、ポルトガルの王冠に飾られている有名な「ブラガンザ・トパーズ」より大きなトパーズです!!


P1050037.JPG
P1050039.JPG
「真夜中の太陽」クリックすると大きな画像でみれます
(写真が上手く撮れませんでした)




狭い部屋だから?なのか、そのような大変貴重な美術品・装飾品が、なにか無造作に置かれていたことに驚きました。
美術品等にそれほど興味や知識がない人は、まさかそのような貴重品が置かれていることにも気付かないのではないかと思えるほど、無造作な置き方(展示の仕方)でした(笑)

実際、そこは食事の場所兼展示室でもあるので、私達がランチを楽しんでいる間にも他のお客さんが何組か訪れていましたが、その中でロダンの彫刻に気付いた人はいませんでした!
単に古そうな彫刻が置かれているとしか思っていなかったようです。

しかし、トパーズには誰もが関心をもったようで、皆さんが珍しそうに仲間と会話をしながら眺めていました。
その貴重なトパーズも他の貴重品と同じく、無造作に隅の方に展示されていましたが、この館にそのような大きく貴重なトパーズがあるとは私は全然知らなかったので嬉しい驚きでした。

皆さんも機会があればぜひ訪れてみて下さい。


また、シーズンなので「神戸ルミナリエ」にも行ってきました。

P1040947.JPG
「ルミナリエ電飾」クリックすると大きな画像でみれます



光の電飾の美しさは、もちろん見事で綺麗でしたが、終点の公園?にある電飾のワイヤーの量には驚きました。大変な作業だったでしょうね。

P1040976.JPG
「張り巡らされたワイヤー群」クリックすると大きな画像でみれます



神戸には何か他の地域にはないものを感じます。すべての印象が心地よく、大好きな街のひとつです。
この街には、個々の能力と責任で物事を対処して行く社会、「世知辛さ」のない古きよき時代のなごりがまだ少し残っているように思います。
posted by マーキス at 20:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月21日

「核の申し子」の果て

「金正日総書記死去」

北朝鮮メディアは19日に金正日総書記が17日に死去したと伝えました。
先月から一部では死亡説?が流れていましたが、この発表によってアジア諸国、欧米の各国々が緊迫。政府、各主要機関等は早急の対応・対策に迫られます。


「核の連鎖」

金正日の権力の歴史は核の力による歴史でもあります。


アメリカに続き、ソ連が1949年に核実験に成功し、アメリカに対する抑止力を備えることができた後、金日成をけしかけて南進したのが、朝鮮戦争のはじまりです。
その後、ソ連との関係が悪化しだした中国は、ソ連に対抗できるよう核開発に血眼になることとなります。

J・F・ケネディ大統領暗殺でベトナム撤退の計画が頓挫。その後、アメリカが北ベトナムに北爆を開始するまでの間に中国は最初の核実験に成功。
(この後、ベトナム戦争は泥沼化し、アメリカは大きな傷を残すことになります)

中国はインドとも衝突していましたが、この核実験の成功によりその国境の紛争は下火となると同時に、インドはこの中国の核の脅威を思い知ることとなり、自国の核開発に躍起になることとなりました。

そのインドはパキスタンと長らく戦争を行っていましたが、今度はインドの核実験成功の脅威から、パキスタンも核開発を行うこととなります。

そして、そのパキスタンからの技術と、意図していた・していないは別にして日本からの高性能な精密機械が流れ、その恩恵により開発されたのが北朝鮮の核兵器なのです。
(もちろん、ソ連・崩壊後のロシアからの技術が、北朝鮮の核開発の発展に大きく寄与したのはいうまでもありません)


金日成時代に核開発に関する機関の権力を握りつつあったのが「金正日国防委員長」です。
アメリカとの会談で核の開発を諦める意向に傾いていた当時の金日成主席を余所目に、核の力が国家間のパワーバランスにどれほどの影響力を持つのか、また、自らの権力掌握のためにも核の存在が大きな力を持つことを理解していた金正日は、核の開発を止めずに遂にすべての権力を手中におさめることになります。

金正日が金日成を強制排除したという説もあながち事実なのかもしれません。

なお、北朝鮮が核開発のための莫大な資金調達に成功したのは、「太陽政策」で韓国から莫大な資金が流れた他に、日本の朝鮮総連等から送られた資金も潤沢なものだったはずです。
(もちろん、麻薬も外資獲得に大きく貢献?したのはいうまでもありません…)



「拉致問題の行方」

北朝鮮が核を保有したことは、事実アメリカを交渉の場に引きずり出すことに成功しています。
この事実は、拉致問題に対しアメリカは関知せず、アメリカの顔色を窺ってばかりいる日本の政府も本腰を入れることはまずないであろうことを意味しています。

金正日が死去したことにより、今後、拉致問題を含め対北朝鮮政策がどう変わって行くのか。
後継者の権力掌握力は如何ほどなのか。
その後継者と目される金正恩氏はどのような人物なのか。
その能力と側近の発言力はどれほどの力と影響力を持つのか。
権力闘争の行方と側近の中国とのパイプの太さ、その中国の支持・意向は?
北朝鮮内に大きな混乱が起きた場合はどのようなことが考えられるのか。
新体制は軍を掌握しきれているのか。軍が暴走した場合やクーデターの可能性は?


日本はこの大事なときに、危機管理体制がまったく築かれていません。
安全保障会議を欠席した山岡国家公安委員長を含め、連絡の伝達・情報の共有等ができておらず、そもそも事前に重要な発表「特別放送」があるとの報告を受けているにもかかわらず、「情報」というものの重要さ・大切さをまったく理解していない。

また、野田首相は総書記死去放送の可能性が十分にあることを伝えられながら街頭演説に行ったことが分かっています。

福島の教訓はまったく活かされていない。
一部の議員の中にはうなずける発言をしている人もいますが、そのような意見が取り上げられ議題・議論の対象にされ、実際に行動に移すシステムがなんら確立されておらず機能していないようです。

韓国の国家情報院ですら金正日総書記の死去を公式発表まで把握していなかったとされ、各メディアから一斉に批判・糾弾されているのです。

外事部門を有し、潜在的能力の高さをもつ公安警察は存在するものの、確固たる諜報機関が存在せず、ましてや知的ヒューミントを最大限に利用した対外諜報部門はなきに等しい日本は、なおさら悠長なことはしていられないはずです。

正直な話、この国に拉致問題等を解決できる能力などは存在しないと思います。北の政権が変わることによって各国々の情勢や政策にドラスティックな変化が起こり、何らかの幸運な出来事が訪れない限りは解決は難しい…



日本政府は長い間(今もですが)拉致問題解決よりも、日朝国交正常化・日朝交渉を優先してきました。それは政府が日本人の拉致が行われていることを認めた後も続きました。
主権国家が自国民や自国民の子供達を他国に拉致されたのにもかかわらず…

自分の家族を誘拐して返さない犯人に、莫大な額や量のお金やコメを送り続けているのです。異常だとしかいいようがありません。


当時の国家公安委員長、梶山静六氏が、北朝鮮による日本人拉致を認める政府初の公式答弁を行った後、この拉致問題はしばらく忘れ去られたような状況となっていました。

しかし、この問題のシンボリックな人物ともいえる「横田めぐみさん」の問題が取り上げられたことが非常に重要な意味を持っていました。
そのことによって、多くの国民に拉致問題の事実が知られるようになったのです。

これは、北朝鮮の元拉致工作員である、安明進(アン・ミョンジン)氏が、横田めぐみさんの存在を語ったことが大きかったのですが、それに加えて、めぐみさんの父親である「横田滋さんの存在」も大きかったように思います。

横田滋さんは元日銀の職員でした。このことは拉致問題に関する取り上げられ方に大きく影響を与えたのではないかと推測されます。

横田滋さんの日銀時代の同僚・後輩等には政治家・議員もいました。たぶん、元工作員の証言があるとはいえ、他の被害者だけでは現在のように取り上げられることはなく、被害者並びに被害者家族を舐めきっていた当時の政府・官僚、及びマスコミの意向によって、一般国民の多くが知らぬ間に闇に葬られていた可能性も少なからずあったのではないでしょうか。

仮にもしそうだとすれば、日本に帰ってくることができた5人の拉致被害者とその家族も帰ってこれなかった可能性もあったということにもなります。


ご両親たちの苦悩は計り知れないものです。我が身を振り返り、もし自分の子供が他の国に拉致されたならと考えただけで身震いしてしまいます。

拉致被害者家族が政府に必死に訴えているさなか、1999年当時の外務省アジア大洋州局長は「たった数人のことで日朝交渉に支障が出では困る」などと言い放っていたそうです。

自分達が国を動かしているんだという、驕り過ぎたエリートのプライドは、人の心も簡単に踏みにじることができるものであるようです。


他の国、欧米諸国ならば、他国にここまで舐められて黙ってはいません。
イスラエルならば、モサドが地の果てまで追いかけるでしょう。
(兵役に行った我が子が、前線でいつ死ぬかもしれない犠牲心をもたなければならないこの国の親とその犠牲に応え報いるイスラエル政府と平和な日本とでは、そもそもすべてにおいて「覚悟」が違いすぎますが…)


国を支え、その国をどの国の人よりも愛しているのはその国の人々です。その国の将来を担うのはその国の子供達です。

人間は最後はだれもが死を迎えますが、たとえその時期が来ようとも、必ずや母国の地で永眠することができる安心を国民に与えることができるよう、国は最大限の努力と保障と覚悟をするべきです。
それが、真の独立した主権国家であるはずです。この問題は絶対に風化させてはなりません。
posted by マーキス at 21:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月14日

情報の絆

愚行以外なにものでもない「消費税増税」

野田首相は12日から始まった参議院の予算審議でも消費税増税の実現に決意を示し、年度内の提出を目指して全力を尽くすと語っています。
消費税増税法案になぜそれほど固辞するのでしょうか。

出口が見えない長引くデフレ不況の中での増税案、しかも消費税増税は愚行・愚策以外のなにものでもなく、景気はさらに冷え込み、税収は逆に減ってしまうことになるのは明白です。

私は長期的には消費税率は上げるべきではあるとは思っていますが、もちろんそれには「時期」というものがあります。

増税というものは好景気の時期、消費支出と意欲が上がっている時期にやるべきものです。

デフレは言うまでもなく、需要に対して供給過多となっている状況です。つまり買い手市場な訳であり、供給側は、いわば価格競争を強いられている状況といえます。

デフレ不況の時期は、当然デフレなのですから商品の値段が高ければ消費者に買ってもらえません。

この状況で増税、特に消費税増税となれば、その増税の分の負担は企業側が負担することになります。
このデフレの時期に増税の分を価格に反映すれば、消費者が商品を買ってくれないからです。

そうなると、そのぶん企業の利益は減ることとなり、国の税収も減ることとなります。
さらに、必然的に余力のない零細企業・個人事業主等は、余力のある企業や大手企業のような真似はとても出来ず、その負担に対応できなくなります。

その行き先は、不況で喘ぐ零細企業の倒産の連鎖です。そうなれば、さらに税収は減ることとなります。


また、買い手側ももちろん消費税増税の負担感がつのり、消費支出と消費意欲は下がります。
企業が儲からなくなれば、サラリーマンの給料も上がりませんし、下手をしたら給料が減りボーナスカットとなります。さらに消費意欲は減退して行くことになります。

そうなれば、企業の収入と利益はますます減ることとなり、さらに税収も当然減ることとなります。

そう、デフレスパイラルにさらに拍車をかけることになるだけですね。つまり、まったく意味がありません。それどころか、さらに悪化させてしまいます。何のための増税なのでしょうか。




また、以前にも話をしたことがあると思いますが、企業・商売人が確定申告のときに一括で払わなければならない「消費税」「地方消費税」は、直接税の意味合いが濃い。

消費税は商売人にとっては「直接税」と言えるものであり、一般消費者が物を買ったときに商品の価格の中に含まれていて、何時の間にかに払っている感覚の「間接税」とはいえない部分があります。
消費税に関しては、供給側と供給を受ける(消費する)側とでは、明確な違いが現れるのです。

「消費税」「地方消費税」は、単純に言えば、その性質から商品の価格に対して掛かってくる、つまり、売り上げに対して掛かってくるものです。これは儲かっていない企業にはとてつもなく厳しいはず。
所得税のように、利益に対して掛かってくるものではありませんから。

この大きな違いは説明するまでもありませんね。所得税ならば、たとえ利益があまりなかろうが、それに応じた税金を納めれば済む話です。
(それでも、給料を受け取る前に引かれ払った意識も薄いサラリーマンより、所得税の納税も商売をしている人にはけっこうきついものだと思います。)

理論上は価格には消費税が含まれているとはいえ、「後で」一辺にそれを払いなさいと言われても、不況であえぐ業者にそれはあまりに難儀な注文でしょう。

集金形態がすべて「掛商売」での商売をしている企業は特に厳しいかもしれません。
企業間・業者間同士の取引きで、特にその企業間で弱い立場にある企業等は消費税分はサービスしている、あるいはサービスしている事となんら変わりのない低価格での取引きの場合が多いからです。

また、現金商売と違い、掛商売はさらに収入と支出のバランスを取るのが難しい。集金は数ヶ月後になるからです。
(なお、商売が立ち行かなくなった場合の債権の取立て、あるいは裁判・弁護士費用等の捻出等は、掛商売の方が多少の費用を引き出しやすいです。)


デフレ不況の時期というのは、商品の価格を上げられないどころか、逆に大幅に下げているのです。
つまり、消費税分を価格に反映せず企業側が渋々呑んで負担しているどころか、それ以上の値下げをしている状況です。それが「デフレ不況」なのです。
(わざわざあらためて言うまでもない話ですが)

その状況で、直接税的に税金を一括でまとめて払えとなると、不況で喘ぐ零細企業や個人事業主のなかには払えない人が出てきます。
さらにそれが増税されたら、そのような企業はひとたまりもありません。
この時期での消費税増税は、零細企業・個人事業主の倒産の連鎖を招くのは必至となります。



また、所得の多い人が高い税金を払う所得税などと違い、消費税は間接税として、裕福な者もそうでない者も平等な支出(納税)であるかのようですが、厳密には低所得者の負担が大きくなります。

食費や衣類等の生活に欠かせない物の消費は、裕福な者もそうでない者も同じように必要となります。
そうであるならば、全体の収入に対するその支出の割合が所得の低い者の方がはるかに大きいという事になりますので、消費税増税となれば所得が低い人が不利となり、負担感が増すことになります。

配当や利子等のいわゆる不労所得には消費税がかからず、そのようなものを沢山甘受できる裕福な人にくらべ、そのようなシステムを作り生み出す余裕のない所得の低い人から見て、消費税増税はより不平等感を生むことになります。




自民党政権下での消費税導入は遅すぎたのです。また、もっと消費税率を上げなかったのは失策だった。

竹下内閣で消費税の導入がありましたが、もう少し前にやっておくべきでしたし、バブル経済の兆候が訪れ、景気がうなぎのぼりになりつつあったときには(あるいはその少し前に)、あのような狂ったバブルにならぬよう、10%(あるいはそれ以上?)に上げておくべきだったのです。

そして、デフレ不況となった時期に、ここまで長引く前に、中途半端ではない思い切った「減税」をするべきだったのです。

増税と減税を行う時期が、まったくの的外れです。

そもそも、もしかしたら、適切な時期に適切な増税を行っていれば、あそこまで狂ったバブルは起きなかったかもしれませんし、そのバブルの反動からくる長引くデフレ不況もここまで酷くなかったかもしれません。

(もちろん、経済は生きものですので、あの時代の流れは抑えきれなかったかも知れませんが、抑えられた可能性もゼロではなかったはずです。)





その存在の重要度を幾度となく?言っていますが、公共工事等の公共事業はデフレ経済にも必要不可欠な存在です。
この長引くデフレ不況の中で公共工事の削減を行うなどということは、大きな火事の現場で、せっかく来た消防車を退去させるようなものです。

また、単に事業の拡大から来る日本経済への影響のみならず、公共工事は安全にも寄与するものです。

スーパー堤防や耐震改修工事事業は、明らかに国民の安全に係わってくるものです。
実情を知らない素人のパフォーマンスでしかなかった各種の事業仕分けで、公共工事も大幅に削減されました。

耐震事業が遅々として進んでいないのは当然ですね。特に一般住宅の耐震事業は各自治体も補助金等を出していますが、当初の思惑と違いまったく進んでいません。

また、予算を小出しにしかできないからだと思いますが、公共建築物の耐震工事に関する入札でも、ひとつの建築物に対し、一部分のみの耐震改修工事を幾度となく「分けて」行っていたりします。

これでは非能率的なだけでなく、その度に(入札の度に)請け負う業者も変わり、企業の経済状況の回復に対してもまったく効果が得られていません。

(現在のような、ほぼ最低落札価格の低価格で落札せざるを得ない公共工事において、建物全体に対して請け負うのならいざ知らず、一部分の小工事ずつを請け負ってもほとんど利益が出ません。また、当然のことですが、工事の度にコロコロ業者が変わるのは非能率的であり、無駄が増えることになります。)


また、現在の最低価格ばかりの落札金額での工事では、工事全体の質が落ちてしまうかもしれない懸念は否定できません。

政府も国民もよかれと思ってやった公共工事の削減は、自らの安全と生活を脅かしているのです。

公共的な物事の遂行には無駄やロス、並びに一部の者への私的権益は避けられない現実があります。しかし、小さな物事に捉えられていては大局的な見地を見失ってしまいます。
(もちろん、日々常々の監視とチェック、間違った行いの摘発、指摘を行いながら、事業を適切な規模と内容で進めて行かなければなりません。)

なお、この超低価格競争の中でも想像以上に工事の質はそれほど落ちてはいません。日本人の仕事に対する気高さと職人気質は素晴らしいものであると思います。
(しかし、その気質が仇となった?のか、公共工事にたずさわっていた中小・零細企業の倒産件数は増え続けていると思います。)


-----
もしこのまま消費税増税に突き進めば、確実に経済は失速します。眠ったまま国内にお金が回らなくなる。

インフレなど恐れずに日銀は金融緩和を突き進め、政府はくだらないバラまきをやめ、思い切った減税を行い、公共事業を大幅に拡大する。
政府と省庁は、中小・零細企業向けの金融円滑化をデフレ脱却まで断続、さらに最大限の支援と猶予、及び出口支援を行う。そして国民は恐れずに必要な消費ならば迷わず出費する。

これが最善、且つ、至極当たり前の「デフレ脱却へのシナリオ」です。




「震災から1年」

東日本大震災から1年が経過しました。あらためて亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された方々には、一日でも早い復興をお祈り申し上げます。


1年が経ちましたが、まだまだ様々な問題と課題が残されており、原発も収束の方向に向ってはいるものの事態の完全収束には全く至っていません。


被災地内で処理しきれない瓦礫の受け入れも呼びかけていますが、各自治体の受け入れ態勢も様々であり、思ったように進んでいないようです。

受け入れを拒んでいる各自治体の心配は、もちろん放射線量等の安全に関してです。

放射線量、偽りのない根拠のある許容量、瓦礫の量、処分費用、それにかかる手間・日数等の、明確な情報開示と透明化なしでは、受け入れる側も「はいそうですか」とは行かないでしょう。


また、被災現地でのさらなる処分の遂行、並びに大規模な現地での処分場施設の新設等は行わないのか。

そのことを遂行するのであれば、仕事の確保に困った人々を対象とした多くの雇用を生むはずだが、それを行わないとするならば、それはどのような理由からなのか。

現地で処分するより、地理的に離れ、運送経費と手間がかかりロスが大きい他地方での瓦礫受け入れの方が、雇用等の問題を差し引いても経済的且つ、効率的な理由はいかなるものなのか。

瓦礫があまりに多すぎることによる現地の切実な弊害と困難の詳しい状況と説明等の、各都道府県の自治体への要請をしなければならない緊急を要することからくる明確な理由と数値等。

たとえ大規模な処分場を新設したとしても、被災地の瓦礫の量が現地だけではとても処分しきれないほどの莫大な量であるのかもしれませんが、具体的な情報開示と説明が必要となるはずです。


そのような情報共有と提供をせず、首相が会見で述べたような、「日本人の絆」に訴えるような発言からの要請は、素直で純粋な日本人の性格を利用した体のよい誤魔化しであって筋違いであり、一般庶民の安全を守らなければならない重責を担う各自治体の責任者達が納得するはずはありません。

各自治体も庶民に対して説明と説得もできませんし、不確かなまま責任を負うこともできません。個人的思惑で責任のある立場の人が行動に移すわけには行きません。立場が違うのです。

感情的には受け入れたくても、庶民の安全を考え皆を束ねる責任ある立場にいる人が、解らないまま無責任に受け入れはできません。情報の透明化がなされていなければ議論すらできないでしょう。
(もちろん、根拠のない受け入れ拒否理由や根拠のない風評は論外ですが)

また、各地域へのやみくもな受け入れは対外的に見てまずいという意見もあるでしょうし、マスコミの報道や政治家からは現地の声も聞こえてこない。(現地の声の中でも、情報操作した一部の声のみではダメですが…)

今必要なのは、情報の大切さを皆が認識し、放射線に関することや現地の状況や原発の真の情報等を共有し、皆が嘘偽りのない情報の絆を結ぶことが、軽々しい感情論からの訴えよりも大事なことのはずです。




-----------

※ :朝日新聞がランダムに選んだ電話での世論調査で、原発の再稼動を容認している人は、男性で41%ほどもいるそうです。(反対は47%ほど。残りは無回答か、わからないの回答)
女性の回答は男性よりはるかに反対の人の割合が多かったのですが、仮にこの調査は信憑性があると仮定してみた場合、この調査結果の男性の回答は意外でした。

明確な回答をしなかった人を除いて回答した人のみでの割合を考えれた場合、容認する意見の人は46%を超えます。
女性の回答は、ほぼ想像に近い回答でしたが、男性の回答には驚愕しました。条件付きの容認が含まれているとはいえ、これほどの高い数字が出るとは…

調査の信憑性はわかりませんが、考えてみれば頷ける部分もあります。
私が原発に関する話を誰かに向けても、確固たるその人なりの意見があまりかえってこない場合も多いのです。テレビで見た情報のみからくる漠然とした答えしか返ってこない場合も多い。

これは、悲しいかな学歴や学力の低い人ほど顕著です。知性が高い思われる人との会話では、様々なその人なりの意見がかえってきます。

つまり、この調査の結果は、知識不足、情報収集不足等からくるものも多分にあるのではないかと推測していますが、間違っているでしょうか?
女性は危険に関することや子供に影響を及ぼすものに敏感ですから、私が想像していたのとそれほど違わない結果となったのだと思います。
(元々女性のほうが生存本能が強い)

とても憂う状況です。私も人のことは言えませんが、知識を得ない者は、知識・知恵・知性を持ち、要領のいい悪知恵の働く者に体よくコントロールされてしまいます…
それに立ち向かうためには、こちらも知識を得る努力をし、理論武装する必要性があると思うのですが…

この回答結果が、そのような知識不足、知的好奇心の欠如、無知等からくるものではないのであれば、逆に恐ろしい結果であると言えます。

------------





「FLASH IN JAPAN」

以前記事にした題名です。他の記事の題名は自分で適当に考えたものですが、この記事の題名に限っては、最初アメリカのみで発売された(後に日本でも発売)、「矢沢永吉さん」のアルバムから拝借させていただいたものです。


矢沢永吉さんのことはあまりよく知らなかったのですが(失礼)、このアルバムはモータースポーツドキュメンタリー映画「グッバイヒーロー(1986年?)」の主題歌にこのアルバムの中の曲が起用されていたので、知ることが出来ました。
(私はモータースポーツファンなので)

とても気に入ったので、映画を観た当時、お店にすぐに探しに走りました。

「広島の原爆」をテーマにした曲です。どうぞ、聞いてみてください。



     矢沢永吉「FLASH IN JAPAN」

画面上側のタイトル名をクリックすれば、ニコニコ動画で大きな画面で観ることができると思います。(ニコニコ動画でのログインが必要です)

posted by マーキス at 19:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月02日

権力の行方

迷走する権力者達

「消費税増税案」、「原発停止による電力問題」、「尖閣買取」、「名張毒ぶどう酒事件裁判」 等その他、様々な出来事がメディアから発信されていますが、重要な物事に決定権や裁量権、決まり事を作り出す力を持つ各機関の首脳陣・権力者達は首を傾げるような迷走を繰り返しています。



先日「名張毒ぶどう酒事件」の差し戻し審が名古屋高裁でありましたが、再審開始を取り消す決定を下しました。

呆れてものが言えないような判決であって、あまりに稚拙な審理であり、検察ですら主張していない独自の理由、科学調査にまったくの素人であるはずの「裁判長独自の勝手な憶測」からくる理由を持って新証拠の証拠価値を否定した決定でした。


「推定無罪」とされなければならない事件であり、当時の強要を含めた自白による証拠に驕り、それに頼り切った捜査側の不手際からくる証拠不十分な事件であるのは明白であり、疑わしきは罰せずの基本原則に則り、「無罪」とならなければおかしい。

自白の強要で様々な冤罪事件が浮き彫りになり大きな社会問題となってきたなかで時代に明らかに逆行する判決であり、司法は「推定有罪」「疑わしきは罰する」の決定を下したことになります。

信じられない司法の決定と在り方であり、これでは「完全に」法治国家ではなくなってしまいます。社会秩序が保てない。
もしこのままで終わってしまうのならば、司法の存在の意義・意味がなくなってしまいます。

奥西被告(死刑囚)が犯人なのかそうではないのか、今となっては誰にも判らないでしょう。
もし冤罪だったらどうするのか。

仮にもし真実は奥西被告が犯人だったのかもしれないと仮定してみても、司法というものが神様のみが知りえる真実において、「疑わしきは罰する」の判断は決してしてはなりません。

あり得ない名古屋高裁の裁判長の判断は国家犯罪でしかない。
この判決理由は法治国家であることと社会秩序の保全を放棄した誠に身勝手な理由と決定であり、社会と国民全体に不利益を与える重大な犯罪と言えるもので、逆に彼らこそが厳しく裁かれて然るべきことのはずです。



なお、このような科学調査が重要視される事件をはじめとして、専門性のある事件等は、暫し裁判官の偏見や独自の考えからくる判決が下されることは、実は珍しいことではありません。

法律の専門家は法律の知識には当然のこととして明るいですが、他の専門性のあることなど、いくら彼らの頭脳が優秀だからといって裁判官も弁護士も専門外のことまで知りませんし、専門外の知識のなさは他の一般人となんら変わりはありません。

まあ、当たり前の話ですよね。いくら彼らでも何でもかんでも知っている訳がありません。

しかし、物事の善し悪しを判断するためには、その専門性のある特殊な事項に関して当事者の専門家なりから内容を聞き出し、最終的には判断・判決を下すしかありません。

そして裁判の中での短い陳述や裁判所に提供された資料等のなかで、裁判官や弁護士等の法律家がその専門性からくる内容や、あるいは特殊性をすべて把握できる訳がないのです。

そのため、裁判官によっては偏見が消えずに専門家の意見がほとんど無視される場合も実際あるでしょうし、専門家の説明等が上手く伝わらない場合も当然あるでしょう。裁判官も人の子ですから。


私も一度、自分のことではないのですが、ある裁判のことで専門家による調査、並びに見解資料の作成を弁護士事務所から依頼されたことがあります。

もちろん、その裁判所の裁判官も双方の弁護士もその分野の専門的な知識は持ち合わせていませんでしたので、参考資料として(弁護士が裁判所に提出する資料として)私に依頼がなされ、相手側弁護士とも立会いをして、後に資料を提出した訳です。

上記の私が経験した例では、まず問題が起こる可能性は低い事例でした。問題が起こるとしたら逆に私自身に何か降りかかった時ではないかと思います。

つまり、仮にですが、例えば私が誰かから訴えられ、私の専門の分野に事件の担当裁判官がたまたま強い偏見を持っていた場合などの例です。

数ある裁判の中では、「名張毒ぶどう酒事件」に限らず、非常に理不尽な判決が下されることも決して珍しくはないのです。





「原発再稼動」

大飯原発の再稼動が事実上決定される見込みのようです。

技術的安全の確認、容認・決定までの期間があまりに短く、専門家による十分な検討と精査はほとんどされなかったはずです。

経産省が取りあえず出してきた曖昧な資料を基に政府が政治的決定を下したということだと思いますが、専門家による技術的確認の徹底的な検討なし、並びに重大事故が起きた場合に影響を受けるであろう範囲の地域内の住民・庶民の合意なしでの政治判断はするべきではないのは言うまでもないことです。

またストレステストをはじめとした、各機器等の安全に関するプラントの専門家等の検証みならず、建屋、原子炉等の耐震そのものの精査・検討は今後も十分に行われない可能性は大きい。(ストレステストはもちろんそれも含まれてはいるのですが)


地質地盤の再調査や杭を含めた基礎等の耐震性の検討は十分に行われるのでしょうか?

すでに浜岡原発などは地盤が緩く、耐震性に関する設計基準が満たされないまま原発の建設にゴーサインが出されたのを当時の設計者が暴露しています。

あの耐震偽装事件、姉歯事件レベルの話ではありません。
一介の一個人事務所の下請けの構造設計者でしかない(もちろん重要ではありますが)姉歯氏ですら国会にまで呼び出されたのです。

浜岡原発の建設に係わった人間、特に決定を下し命令を出した人間は厳しい刑事処罰を受けなければならない極めて重大で悪質な犯罪です。

マスコミは一介の民間人たちは徹底的に叩いたのに、この事実にはほとんど触れず話が消えてしまいましたね。


他の原発はどうなのか?
あらゆる利権が絡み歪んだ国家政策といえる原発の建造が、正常なプロセスと技術的検討が十分に行われずに建設された公算が大きいのは容易に想像できます。

また、原子力等の専門家達はまだしも、政治家や各省庁の官僚等は、東日本大震災と福島第一原発の被害を基に、至極極端に言えば津波による被害等の検討を重視しているようにも見受けられ(特に政治家は)、地震そのものの揺れによる被害や耐震そのものに対する意識が薄いように思えます。

確率論からいえば、津波などよりも地震による「強い揺れ」の被害を第一に検討しなければならないのは当たり前の話であり、地震大国である日本でも、年数千回はあるといわれる数多くの地震のなかで、大きな地震だけを比べてみたとしても東北のあのような大津波の被害の例は、「地震の強い揺れ」による被害の例と比べれば稀な例であるはずです。

もちろん、津波による被害の検討も十分に行わなければならないのは当然ですが、すべてが疎かにならないよう、各専門家を交えた徹底的な議論と検討・検証が必要です。
そしてそれには多大な時間が掛かるはずです。こんな短期間でこれほど重要なことを決めたということは、まったく検討が行われていないことの証左であり、あまりに愚かです。




原発は地震による被害だけでなく、普段からナトリウム漏れ等様々な重大な事故が起きているのはご存知の通りです。

配管等の技術は難しいものであり、また、末端の技術者への単価は下げ続けられています。

配管、配管の製作そのもの、及び配管の計画と配置計画、設置・建て込みの技術等が、溶接のみならず非常に高度な技術と経験を要求されるものであり、プラント建設を含めた建設全体のなかでの職人という職業は、時代の流れで有能な人物が離れ、あるいは廃業し、不況の時代に若い職人の育成はままならず、職人全体の質は下がってきています。

原発のように利権が絡み裏では潤沢な資金がある仕事は、元は金額がでているのかもしれませんが、少なくとも現場で実際に仕事をする職人には回ってはきません。

足元から支える人たちを疎かにしていて、果たして安全は確保できるのでしょうか。






電力会社というのは、「総括原価方式」で、コストが掛かった分は電気料金に上乗せできるようになっています。
また、固定された「公正報酬率」により利益が決められているのです。

つまり、利益が確実に出ることを保証されているということです。
誰もが絶対に必要とし間違いなく利用する公益事業といえるものであり、独占企業であるため、上記の計算方法による運営は100%の利益確保を保証されているということです。

現実に丁半博打ともいえる、常に様々なリスクが存在する通常の商売、普通の民間企業ではあり得ない運営方式ですが、公共的・公益的な要素が大きいための措置なのでしょう。

すぐにお気づきの方も多いと思いますが、この運営方式には大きなデメリットがあります。
コストに対する意識が希薄になってしまうということです。費用削減の意識に乏しくなり、不必要な設備投資を行わせる誘因となってしまいます。


さらにそれどころか、コストを掛けるほど儲かるシステムだということでもあります。

これは大変恐ろしいことなのです。
単に無駄遣いが消費者への価格(電気料金)に上乗せられるという単純な問題ではありません。

コストが掛けられるということは、それに絡むすべての企業を牛耳ることもできる力を持つことができるということです。
当然ですね。関連企業からみれば、とてもいい単価でお金が回ってくるのですから。

これは広告費なども含まれます。この意味はすぐにわかりますね。マスメディアは電力会社には逆らえない構造になってしまうということです。

そう、電力会社は公共的且つ独占的企業であるがゆえに、政府・国に守られながら巨大な力を持ってしまった怪物なのです。

当然のこととしてそれだけの力と経済力を持てば、各省庁の天下りから政治家の息がかかった人物や身内の就職、企業間の癒着、その他諸々。もうとても手が付けられないような超大な利権構造となってしまっています。

権力を持った人間達がすべて群がっているのです。この強固な牙城を崩すのは容易なことではありません。現時代では不可能に近いといってもいいかも知れません。

ただ、人間が造ったシステムを人間が変えて行くことに不可能はありません。

それには官僚の中にこのシステムにメスを入れる勇気と気骨がある人物が複数人いることが不可欠でしょう。そして世論の強力で大きな後押しがなされなければなりません。

また、鍵のひとつは、「発送電分離」です。 そして、自然エネルギーとスマートグリッドです。(長くなるのでこの事に関しては今回は割愛します)



欲が人間を愚かにしてしまうのでしょうか?
欲自体は人間に必要なものですが、物事はすべて良いこと・悪いことが表裏一体です。

迷走する権力者達にブレーキをかけるには、国民一人ひとりの意識を高めることしか術はありません。







-----------------------------------------------

【話題】
個人的な話題です。悪しからず…



「挑戦し続ける日本のサムライ」


アメリカで行われた自動車レースの話題です。
ご興味のない方は閉じてください。ごめんなさい。


この前の日曜日に、世界の三大レースのひとつであるアメリカのインディ500レースが行われました。

今季、レイホール・レターマン・ラニガン・レーシングというチームから出場している日本の「佐藤琢磨選手」

ラスト2周で前を走っていたディクソン選手を見事に追い抜き2番手になって、この世界の三大レースで日本人として初の制覇という偉業を成し遂げるため、トップを走るダリオ・フランキッティ選手に対し、最終ラップに時速約370kmのバトルの中で献身のアタックを挑みましたが、残念ながらスピン・クラッシュしてしまいました。


琢磨選手は高校時代たった一人で自転車競技のクラブを立ち上げて、さらにインターハイ、全日本学生選手権で優勝することを成し遂げ、その後レーサーへの道を歩むため早稲田大学を休学し、「鈴鹿サーキット・レーシング・スクール・フォーミュラ(SRS-F)」への入門基準に満たされないと知るや、責任者に手紙を書き直談判し、直接自ら面接の機会を作ってもらって責任者を熱意で説得して選抜方法を変えさせてまでして入門し、いわゆるレーサーの卵達の中でも各地方で子供の頃からレーシングカート等で名の売れたエリート達の中に、他のライバル達に比べて明らかに経験の少なかった無名の人間が無理矢理スクールに入り込み、レーサーへの道を自らの努力で切り開いて行きました。(「SRS-F」は首席で卒業!)

その信念と行動力と絶対に諦めない精神には敬服してしまいます。
レースという枠だけでなく、人生において常にチャレンジとアタックをし続ける琢磨選手に賞賛をおしみません。

自動車レース並びにレーサーという職業はヨーロッパ発祥のスポーツだからなのか、日本での地位と知名度は低すぎますが、スポーツの世界で個人的には琢磨選手は日本の至宝だと思っています。

モータースポーツが好きな人間だからというのもありますが、常に挑戦し続ける彼の走りを観ていると、眠っている熱い心が呼び出され魂がふるえます。

ご興味のない方には申し訳ありませんが、生粋のレーサー佐藤琢磨選手のチャレンジングスピリットをぜひ観ていただきたいと思います。





「ラストラップ」
http://www.youtube.com/watch?v=GnXsRffhDXI&feature=colike
↑ぜひ音量を大きくして(笑)観客の大歓声も聞いてみてください


「インディ500表彰セレモニーでの琢磨選手のスピーチ」

画面上側のタイトル名をクリックすれば、ニコニコ動画で大きな画面で観ることができると思います。(ニコニコ動画でのログインが必要です)




「ラスト4ラップ」
http://www.youtube.com/watch?v=GB_sXxdLLvQ&feature=colike


---------------------------------------
posted by マーキス at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月15日

権力の行方A

「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」


東電の責任者や官邸の首脳陣が参考人として招かれた、東京電力福島第一原発事故を検証する事故調査委員会で、最終的な報告書が提出されるようです。

まったくの茶番でしかありませんね。
東電寄りの東電に有利な見解がなされた報告になるのはやる前から想像できることであり、身内による身内の事故調が提出する報告書に信憑性を期待できるはずがありません。

これは「国会の」事故調査委員会ではなく、厳密には東電の「社内の」事故調査委員会といってもいいのではないかと思います。
また、委員長の黒川氏は東電が研究資金を出している東大の教授。

さも、まったくの第三者機関が調査しているかのごとく国会での参考人招致の茶番劇。

まだ記事の冒頭にカッコで「(東京電力の社内調)」と記述しているマスコミは良心的な方で、「国会の事故調査委員会」と表現している所がほとんどです。
(ただ一応、「法に基づき国会に設置された機関」ではありますから表現自体は間違ってはいません。また、内閣が設けた「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」とは少し主旨が異なります。)


内閣が設けた委員会も同様ですが、このような調査委員会は電力会社等の息が掛かっていない機関等の委員の選抜が不可欠のはずなのは子供でもわかることです。
口だけ公正な判断をしているなどと言っても、コンマ1パーセントも説得力がありません。


この委員会で、「全面撤退の意思はなかった」と当事者の東電トップは説明しています。

現場の人間は上層部から撤退の意思表示があったと言っていたとの情報もありましたが、そのことに関してマスコミを含め誰も徹底的な聞き取りや調査もせず、上層部の人間の意見しか聴こうとしません。

当事者はいくらでも嘘がつけます。裏付け調査なくして真実がわかるはずもない。ましてや身内を主体とした調査委員会など笑止千万。

また、清水社長(当時)トップ自ら体調不良を理由に雲隠れし、当の本人がしばらく「撤退」してたくせにまったく説得力がありませんし、都合の悪いことは「記憶にない」で終わりです。

東電の首脳陣の発言や事故調の報告から、当時の菅首相や枝野氏をここぞとばかりに批判しているマスコミも多いですが、騙されてはなりません。
全面撤退の件のみならず、事故・震災当時の東電の醜さを思い出してください。


菅前首相は確かに無能だったかもしれませんが(歴代の日本の総理大臣を見る限り、菅氏に限らないでしょう)、原発利権には絡んでいない政治家でもあります。(他はなにか絡んでいるかもしれませんが)

以前にもいいましたが、あの当時日本は菅政権で本当にラッキーだったのです。
(無能故にたとえ他に沢山の弊害があったにせよ)

これがもし、官僚や原発利権の権力者たちの操り人形ともいえる野田現首相や、自ら原発の歪んだ国家政策を遂行した自民党が事故当時の政権を握っていたといたら、東電とズブズブだったはずです。
また、東電や保安員、経産省からの適切な情報が上がってこなかった問題等もあったでしょう。

もちろん、事故当時の菅氏・枝野氏をはじめとした官邸に問題がなかったはずはありません。
指摘されている専門的なことへの介入を含め、他の判断ミスも当然あったでしょう。
それでもあの時あの政権でよかったと私は今でも思います。

最悪の場合、私もこのようにブログの記事など書いてはいられなかったでしょう。たぶん生きてはいなかったと思います。

皆が批判する「過剰介入」も現場の作業に関しては支障をきたすことは当然あるし、弊害になる確率のほうが高いのかもしれません。

しかし、菅前首相が東電幹部への「過剰介入」をしていなければ終わっていた。

これはべつに大袈裟なことでは決してありません。そして独断で海水の注入を続行し原子炉の冷却を続けた、あの吉田所長の現場での判断もなかったと思います。

(当時、海水注入の中断は菅首相の指示とも云われましたが、後に東電自らの判断によるものと訂正されました。
一方で、官邸に情報がうまく伝達されておらず、情報が錯綜していたことを明らかにしました。
何れにしても、菅前首相が「過剰介入」していなければ、そもそも現場の人間の多くは撤退し、吉田所長はたとえそこに残っていたと仮定しても、残された人員であの決断もなかったはずです。)


清水社長は「完全撤退を考えたことはない」を繰り返しています。私はまったく信じていませんが、この言葉を信じるか、信じないかも国民一人ひとりの判断です。

枝野氏も他のことに関しては反省の弁を述べたり意見が変わったりもしていますが、こと「完全撤退」のことに関しては、東電側の主張に対し、頑なに異を訴えています。

また、現場の人間・専門の人間に、首相の基礎的なつまらない質問等でよけいな労力を使っただとか、ぶざけたことを平然と言っています。

あの未曾有の大災害と大事故が起きたときに、いくら素人とはいえ電力会社が政府官邸に逐一情報を提供する・知らせる義務があるのは当然ですし、政府官邸が知りたがるのも当たり前の話です。
少なくとも、重い腰を上げようとしない人間の尻を叩くのは国の長ならば当然ではないでしょうか。

それとも、これが他の政権だったら、素人だからと何も聞こうともしないのでしょうか。
国民も政府官邸が何もせず東電にすべてを任せ、知らぬ存ぜぬの方がよかったとでも言うのでしょうか。
馬鹿なことを言ってはなりません。

また、政府への対応、並びに各方面への情報の伝達等を含めた東電側の危機管理体制は完璧だったとでもいうのでしょうか。
とてもそうだったとは思えませんね。それこそ危機管理にはまったくの素人だったのを事故当時露呈していたではないですか。

誰も経験したことがない未曾有の大災害時だったのです。事故調査委員会は、菅前首相をはじめとした官邸の不手際で結論付け、東電の不手際にはほとんど言及しないまま調査を終わらすつもりなのでしょうか。


事故後も原子力発電所の現場は、孫請け・曾孫請け・玄孫請け・来孫請け・昆孫請け・仍孫請けの赤の他人頼り。

もちろん、どの世界でも下請け業者の協力は不可欠となるもので曾孫・玄孫請けなどは珍しいことではありませんが、会社の規模と原子力発電というその職種の社会的重要度からすると、あまりに正社員の関与が少な過ぎる。


なお、吉田(元)所長は病気のこともありますが、今後メディアにはほとんど出てこないでしょうし、出されないでしょう…




菅前首相はあの浜岡原発停止要請の後、踏み込んではいけないタブー、「発送電分離」のタブーにも踏み込んだのだと思います。

元ライブドアの社長、堀江貴文氏が放送界のトラの尾を踏んでしまった状況に似ているともいえます。

このような場合、原子力村の権力者たち、並びに産業界から間違いなく吊るし上げを食らってしまうことを国民は理解しなければなりません。

このことは逆に言えば、菅氏はかなりの部分である意味クリーンだったとも言えますし、純粋に自分が考える政策を、たとえ浅はかだとしても素直に実行しようとしたということでもあるのです。

これは、まったく違う性格の人種からみれば、それこそ馬鹿で無能で浅はかな行為と思えるのでしょう。

「菅おろし」は「菅リスク」とも揶揄されながら、国民を上手く唆したまま、福島第一原発での事故の悪者にされたまま幕を閉じることになるのでしょうか…






強大な権力を持った者たちのプロパガンダやディスインフォメーションに惑わされてはなりません。

彼らはいつも「少しだけ真実をちりばめながら」もっともらしい情報を出したり、物事を上手く誤魔化しています。

大マスコミに限らず、一般の方々もブログやホームページ、あるいは掲示板・SNS等で当時の官邸の至らなさを叩いています。それは確かに真実を突いている部分もあるでしょうし、事実かもしれません。

しかし、一部の事実のみに惑わされていれば大局を見失ってしまいますし、それは権力者達につけいるスキを与えてしまうことにもなりかねません。


情報の元の元は誰か、その情報で得をするものは誰か。
誰が力を持ち、誰が得をし、誰が損をし、誰が犠牲になるのか。


私の考えや判断ももちろん間違っているのかもしれませんが、国民皆が溢れる情報にコントロールされないよう徹底的な検証をし、日々の研鑽を重ねた上で熟慮しなければなりません。

日々の積み重ねられた研鑽なしでの判断は、否応にして誤ってしまう確率が高くなるでしょう。





以前にも話しましたように、世論の意向が原発の増設(新設)を許さないものならば、耐用年数が限られている以上、近い将来確実にすべての原発は廃炉の方向に向かいます。

その意味は、次期代替エネルギーを「必然的に」考えなければならないということです。もちろん「今すぐに」です。

それはもちろん国益となるものでもあります。
国家戦略室は一応原発なしでのエネルギー戦略を導こうとしているようですが、他の勢力、つまり経産省の官僚を含めた原発利権に絡んだ勢力はことごとくそれを潰して行っています。


他の国々は、メタン・ハイドレート等の新たなエネルギーの産出を含め、環境エネルギー・自然エネルギーも大きく視野に入れて、全世界に対し、次期代替エネルギーのイニシアチブを握ろうと考えているはずです。

他国、特に大国は、単に自国内のエネルギー事情に限らず、原発やあるいは化石燃料のことなどと平行しながら、国家戦略としてそのようなエネルギーの効果的で先進的な技術の開発に予算を与え力を注ぎ、国益のため未来を見据えていると考えるのが、至極当たり前な分析といえるのではないでしょうか。


原子力だけに頼らない新しいエネルギー戦略は、国内の切実な電力事情のことに関する国民の生活の直接的な利益はいうに及ばず、このようなエネルギーの開発と販売・輸出戦略等に他国より一歩抜き出ることができれば、とてつもない国益となるのは容易に想像できます。

中国はだから日本の海域に眠る宝の山ともなるかもしれないエネルギーに魅力を感じているのですし、尖閣を含め自国の権利をたとえ強引だろうが主張しているのです。

化石燃料に頼らない路面交通技術、大容量送電技術、代替石油技術、そしてメタン・ハイドレートの探査・採掘・産出技術、風力発電、太陽エネルギー、バイオマス、等々。

中国は一次エネルギーのなかで石炭の需要がまだ非常に多い国ですが、今後は日本・韓国・アメリカ・ドイツ等の消費構成に近づいてくるでしょうし、先進的技術の開発にも力を注いでくるはずです。


注: なお、原発の廃炉は、これもとてつもないコストと途方もない時間が掛かります。これも国民に課せられた大きな負担とリスクだということも同時に認識していなければなりません。そして、未来の子孫・子供達のために受け入れなければならない負担とリスクでもあるのです。
また、ここにも廃炉ビジネスの大きな利権が絡むリスクがあります。100%間違いなく大きな利権が必ずからんで来ます。このことも、国民がしっかり認識し、監視して行かなければなりません。)



各エネルギー開発費のなかで、日本の原発関連の開発費・予算はとてつもなく巨大で他国と比べても飛び抜けて多い。
それに比べて再生可能エネルギー等の他のエネルギー開発費は驚くほど少ない。

この原発関連の予算を他のエネルギー開発費に回せば、日本が元々持っている技術の高さと相まって、飛躍的に効率的且つ革新的な環境エネルギーの開発、並びにその設備・施設等の推進が可能となるはずです。

原発関連の予算を半分にしたとしても、まだまだ他の国々より割合がはるかに多いのです。あまりに異常です。

いかにこの利権が強大で恐ろしいものかということに、あまりそのようなことに関心のないタイプの人々も、いい加減に気付かなければなりません。
(少しでも多くそういうタイプの人達も関心を抱かない限りは世論は動きません)

また、この研究開発費は原発の運営コストのなかに含まれていなければならないはずです。
この事だけに限らず、原発の発電コストなど全然安くはない。



原子力村の忠犬と化している野田首相の行いと考えでは時代の流れに逆行してしまいます。それは子供達の未来と国家の長期的な展望として将来を見据えた場合、国賊ともいえる行為です。

大飯原発の再稼動は序章に過ぎません。これらの行いを彼らの望む通り許しておけば、肥大化した「怪物」は再びすべてを飲み込んで行ってしまうでしょう。
あの恐ろしい津波のように…



posted by マーキス at 21:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。