2011年07月27日

狂った果実

「電力が足りない?」

26日の新聞によると、電力会社の発表では特に西日本の5社、九州や中国、四国、北陸、関西電力等の来年度の電力や五年後の電力が足りないという試算となっているようです。

その記事の中で、電力会社は電力供給量の内訳を公表していないとされています。
相変わらず事のすべてを話す気、発表する気はないらしく、小出しにしてお茶を濁しています。


供給力の増加対策を施した場合の供給力で足りないのは関西、九州、中国、四国電力となっているようです。
これも数日前に経産省から出された内容と少し食い違っていますね。どれが本当の数値なんでしょうか。

西日本は60Hzの送電エリアですので、比較的予備率の高い中部電力(中部も60Hzエリア)からの融通や、そのときの状況により他の電力会社同士融通し合うことで補うことができるのではないでしょうか?

また、火力発電所だけで全国に95ヶ所ほどと関連会社9ヶ所、その他、内燃力発電所(コージェネレーションシステム)が58ヶ所ほどあり、火力発電及び水力発電だけでかなりの電力は賄えるはずです。

火力発電所のかなりの数は止まっているといわれます。点検で停止中のものは除いても、なぜ沢山あるのにそれほどの数をわざわざ止めているのか。

理由はひとつしかありません。止めても十分電力が賄えてきたからです。

東北の震災以前からトラブル続きであった原発の電力供給量はせいぜい23〜26%ほどでしかありません。
それくらいなら他の発電所でカバーできるようにも思います。

もちろん化石燃料を燃やす火力発電が完全にクリーンとは言えませんし(二酸化炭素の放出等)、古くなった施設も当然あります。長く止まっていた機械物を再び動かすには少々の時間と多少のコストも掛かります。

大型の火力発電所も止まっているようであり、稼動しえる発電所がフル稼働しても、現在の状況ではもしかしたら足りないのかも知れません。

しかし、原発施設も20〜30年以上経った古い施設も沢山ありますし、原発の寿命も当初謳われていた耐用年数よりはるかに短いことも露呈しました。

そして原子力のとてつもない危険性に比べたら火力発電のマイナスの部分は微々たるものに思えるほどです。

また、コストが安く済むとの謳い文句も化けの皮が剥がされてきています。そして原発はトラブルが起きれば天文学的なコストの支出ともなります。
使用済み核燃料の処理や高濃度放射性廃棄物の処理コストも物凄く高いはずです。



また、水力発電所・火力発電所の中には、東電や関電、中電等のいわゆる「一般電気事業者」ではない電力供給会社で「電源開発株式会社」というものが存在します。

元々国策としての性格を持って設立された事業所で、その発電能力はひとつの電力会社に匹敵する能力を持ち、四国電力の発電供給能力を上回るほどです。

26日の新聞での発表は「一般電気事業者」に関しての記事であって、「電源開発株式会社」の存在は隅に置かれている数字ではないですか?
これも内訳が分からない事には判断ができません。まあ、含まれていないでしょうが…

この「電源開発株式会社」は、「一般電気事業者」に対し、「卸電気事業者」に属し呼ばれているもので、他の「特定電気事業者」、「特定規模電気事業者」等の事業所の発電力も足せば、特定の地域・特定の場所に限られたりもしますがさらに供給可能電力量が増えます。

電力事情を少しでも調べた人ならば誰でも知っていることでしょうが、マスメディアはこの事に関してあまり触れませんね。




さて、わかりきっていたことですが、肉、野菜、魚、すべての食品の汚染とその汚染された食物の出荷が行われています。
一般庶民には到底食品の汚染の判断など無理な話です。

しかし、あくまでも自分自身の身は自分自身で守るしかありません。


たとえば富裕層が食品をどう調達しているのか。

今現在、高性能のガイガーカウンターその他の機器を駆使し、産地等を含めあらゆる角度から徹底的に事前検査して、安全だと確認された食品だけを宅配サービスする事業が展開されています。

私のところにもパンプレットが送られてきました。(あ、私は富裕層ではありません(笑))

料金は当然のことながら通常スーパー等で買うものより高いです。
ここにも当然の如く「生活格差」が現れます。

東電幹部や政府関係者たちの家庭は、このような事業制度を活用している人も多いでしょうね。言わないでしょうが…

富裕層には間違いなくこのような事業者からのパンフレット、DM、電話・FAX等の連絡が来ます。
事業を展開する会社も商売ですから、富裕層は徹底的に調べているはずですからね。


だからといって、富裕層ではない方々も出来る限りの自己防衛はしなければなりません。

政府・東電・マスコミ等の言う言葉を鵜呑みにして、例えば許容値を上げた等によって放射線量の多い地域で放射線をあびることにより、もし病気になった場合どうなるのか。

建前上は置いといて、金銭的な面でも国は補償してくれないと見るべきです。
症状が出る、病気になるのはもっと後の話になりますし、数年後、十数年後の病状と放射線、放射性物質との因果関係の証明は困難を極めます。

また、その証明の立証責任はたぶん被害者本人になります。

そう、被害者がその医学的根拠に基づいた因果関係を自分で調べ、証明が可能となるデータ・資料等を添付し立証しなければならないのです。

まず証明は不可能です。なんとか国が認める方向に被害者及び世論が持って行くしかありません。

以前、薬害の問題などでもどれだけ被害者が長い間戦って苦労したか思い出してください。

そして、長い裁判を戦い、仮に国が過失を認めてくれたとしても、もう生きてはいないかもしれませんし、たとえ生きていても、病気とも長い間戦ったあげくの残りの人生は短いはずです。

裁判自体困難を極めます。間違いなく国は払わない方針、因果関係を認めない方針で来ます。

過去の事例からも難しい。地裁・高裁に限りませんが、裁判官、裁判長は過去の判例から大きくずれた判決はしない場合が多いと見るべきです。

それは出世がかかっているからです。極端に言えば、そのような判決を下した人は、判決が間違っていると判断されることと同時に、厳格なる過去の裁判と司法そのものに喧嘩を売っていることと同じになります。

つまり、過去に判決をした最高裁の歴代の「偉い人たち」を否定することになるからであり、厳格で間違いがあってはならない司法判断を否定する行為となるからです。

過去の判例を覆し、判例を覆す難しさに毅然とした態度で挑み、新たな視点からの判決を下した人は、出世街道から転がり落ちることになります。
大きな力に抹殺されるわけです。決して新たな風は吹かないようになっている現実だけでも、皆が知り、認識しなければなりません。
(もちろん、下級裁判所が下した判断が明らかに間違っている場合も当然あります)


殺人事件における「永山基準」が長い間判決の基準・参考にされていたのも、一人だけを殺害した犯人が極刑を回避してきたのも上記のことが理由なのです。

注: 判例というのは、重大事件にかかわらず司法判断において最も重要なもののひとつとなるもので、また、「そうしなければならない」ものでもあります。
決して、判例を軽く見るべきではないことは言うまでもありません。
その意味でも「永山基準」が長く参考にされていたのも当然だろうとも思います。)


このような「圧倒的な力」を変えることができるのは、世論の力、及び、政治に超特大の台風が吹き、とてつもない指導者が現れるしかありません。
それを生み出すのはもちろん国民です。

少なくとも許容値を上げた数値などは鵜呑みにしてはなりません。
何度も言ってしまいますが、ケガは自分持ちです。



また、フジ・メディア・ホールディングスの監査役に、東京電力の元社長が留任することが少し前に話題になりましたね。
この事実はどういうことなのか説明するまでもありませんし、このようなことは氷山の一角なのも説明するまでもありません。

逆に、この期に及んで政府、電力会社、マスコミ、各省庁等のいうことを信じる人、あるいは支持する人の神経がわかりません。

もちろん私も報道をすべて否定するような単細胞ではありません。電力供給量に関しても知識の浅い私には確かに想像の域をでないものです。足りるのか足りないのか。専門家の中でも様々な意見があるようですね。

一般の方でも、日本の経済事情等から原発を稼動させるべきだと思っている人も沢山いるでしょうし、データを顕示し、やっぱり足りないよと訴えている方も沢山いるのではと思います。

しかし、そのような方は「足りる足りない」「日本経済」以前の問題なのだということに、誰がどう言おうが、どうしても思考がその方向には動かないようです。

ある意味、そのような意見を言う人には賢い人が多いような気もします。しかし、怒られるでしょうが典型的なマニュアル人間であり、秀才の弊害です。日本にはこのようなタイプも多いのでしょうね。


「原子力は人類には制御できない」 この極めて当たり前のことを認識しなければなりませんし、世界はその方向に向かっています。

それとも「原発が収束できなくなる時はまだ来ない」ことを前提とした考えこそが日本人の代表的なメンタリティーなのでしょうか。
予測・希望通りとなる保証はどこにもないはずです。


日本だけでなく、現在の世論は脱原発に向かっています。少なくとも日本では、もう原発の「増設」はあり得ない。
そうであれば、古くなった原発は近い将来に必然的にも廃炉の方向に向かうことになります。

「増設があり得ない」ことの意味は大きい。
このことはマスコミも現時点では認めているはずなのに誰も指摘しませんが、これは原発施設が徐々になくなって行くことを意味し、「必然として」原発ぬきでの電力の供給方法をこれからの課題として考えて行かなければならないと言う事です。

「増設があり得ない」のならば、脱原発は希望ではなく、リアリスティックな課題とすでになっていなければならないはずです。

逆にもし、増設が今後もあり得ることとなるのならば、権力への完全なる敗北を意味します。
それがどういうことを意味するかは、説明するまでもないはずです。


物の使用の対価として受けるべき金銭その他のものを、果実(法廷果実)といいます。
電力会社から多額の資金が流れているマスコミは、原発増設に向かう希望を失ってはいないからこそ、上記のことを誰も指摘しないし気にもしないのでしょう。

今後、国民はどう判断するのでしょうか?
狂った果実と運命を共にするほど愚かではないことを信じています。
posted by マーキス at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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