2011年04月15日

ジャーナリストという名の プロフェッション

「レベル7」

既に報道でご存知の通り、国際評価尺度で最悪の「レベル7」と引き上げられた、福島の原発事故。

言われる前に、すでに多くの人が承知していたことでしょうが、改めて事故の深刻さを皆が認識したのではないでしょうか。

IAEAや、フランス、ロシアの専門家等は、レベル7は誇大評価だと言っています。
しかし、まだ「福島」は収束していない。

ヨウ素換算での放出量で、チェルノブイリの約10%ほどとのことですが、復旧と封じ込めのめどさえ立っていない状況なのです。
チェルノブイリを超える可能性は限りなく高い。

ロシア側の見解は逆に明らかに過小評価の意見も多いようで、福島の状況が把握できていないか情報があまり掴めていない。あるいはそれ以外の思惑があるのか。

チェルノブイリが原子炉1基だったのに対し、福島は4基。潜在的危険値の高さは説明するまでもないでしょう。
チェルノブイリの事故は原子炉の実験中に起きた事故で、教育が疎かだったことからくる作業員の認識不足や、不安定な状態で無理矢理実験を強行したことなどが原因とされています。

それに対し福島の場合は、甘すぎる地震・津波対策と事故後の悠長な対応等からくる人災といえるものであるとはいえ、それを誘発する最初の起因となったのは大地震です。
今回のようなものすごく大きな地震の場合、3ヶ月経っても非常に大きな余震がくる場合があるといいます。

まだ先が見えない状況の中で、大地震と変わらない大きな余震が襲った場合、ダメージを受けている福島原発の原子炉は耐えられるのか?
また、進められている作業に支障が起きることにより、冷却等その他の復旧ができなくなる可能性はないのか。
まだまだ、まったく予断の許さない状況です。


私は、たまたま12日に行われた菅直人首相の会見を見ることができました。
首相の会見はもとより、そこに集まった記者達の質問は酷いものでした。

どこの記者だったか、「菅首相の存在自体がこの危機の最大の障害だ」という主旨の内容の質問というか意見を述べていましたが、この期に及んでまだ事の重大さが分かっていないようです。

この記者に限らずそのような意見は当然多いでしょうし、菅首相の教科書通りの対応と返答を見る限り、言いたいことも怒りも理解できますが、これはいつもの平時での記者会見ではないのです。

今後の状況次第では、真の最悪の事態となった場合、国家の滅亡以上の出来事となるかもしれない、まったなしの「有事」での重要な会見だったはずです。


国民の意を酌んでいるもっともな意見ともいえるでしょうが、間違った認識と言わざるを得ない。

ミスをしたからといって、「しまった」と百回唱えようが、千回唱えようが、状況はなにひとつ変えることは出来ません。
嘆く前、ミスをした直後に、有効且つ適切な行動を即座に行うことができなければ、窮地は回避できません。
指導者を何万回罵ろうが、間近に迫った危機的状況が好転する訳がありません。崖っぷちにぶら下がり握ったロープが切れそうになっている状況で、そんなことをしている余裕はない。
直に事態と向き合う、現場の人間と専門家の事態収束能力なしに、直前に迫った厳しい状況は打破できない。


あの会見での意見や考え、あるいは政府や総理に対する糾弾等は、新聞・雑誌・レポート・ネット等の、違う媒体を通していくらでも情報発信と意見を述べることが出来ます。
それだけの情報発信能力と社会に影響を与えることのできる力を持った、大きなメディアの組織に属しているのですから。

あのような追求と意見は、発信能力は著しく乏しいですが、私たち一般人でも、このようなブログ等を通して行うことができます。

彼らはそれを本職とした記者です。私たちが出来ない・聞けない事を彼らが引き出さなければ、誰がやるのでしょうか。
それが彼らに託された使命であり、彼らのプロフェッションです。

少なくとも、あの会見では別の質問をするべきだったように思います。


原発の現状に安穏な認識を表す首相に、その根拠となるものを示さすことや、アメリカをはじめとした外国の専門機関との具体的な連携はどのように進めるのか等の、具体案の詳細な内容の追求。
知識的、並びに技術的「素人」である政府要人や保安員・東電のスポークスマンに対し、誰が技術的な指導と対策の主導権を握り要人たちと連携しているのか。
現場の作戦遂行の中心的立場であろうはずの専門家は、誰たちであり、何人の優秀な専門家がブレーンとして横に就いているのか。
そして、その専門家達の具体的、且つ透明性のある意見としては、どのような考えと内容なのか。
また、米軍に処理を頼むと共に官邸に米関係者らを迎え入れるべきではないのか。すでに四の五の言える状態ではないのではないか。


あの会見は、国を束ねるリーダーの重大な会見だったはずです。
追求するなら、今後の具体的対策に対してこそ、もっと徹底的に追求するべきだったと思います。
(この会見だけに限らないかもしれませんが)

そのことによって、同じように悠長に構えている首相と政府に、事の重大さを改めて認識させる意味も見出せたでしょうし、国民がもっと知りたい切実な情報をホンの少しでも引き出せたかもしれません。

今、原発がどのような状態にあり、現在行っている作業が失敗に終わった場合、どのような危険を呼び起こす可能性があるのか。
収束しきれない間に再び大きな地震や余震が襲ってきた場合はどうするのか。それら場合のオプションは存在するのか。


現実は直視しなければなりません。
強く迫るキツイ言葉以外は、差迫った現実がないかのような平時と変わらぬ総理大臣への意見と糾弾では、一般人の行動と何ら変わらない。
ジャーナリズムを担う人間として、国民に伝えるべきものは他にあるのではないでしょうか。

餓死寸前の状態で、狩の失敗をした村長を罵っているだけでは空腹は満たされず、共倒れするしかない。
危機が差迫った、超現実の命が掛かった真剣勝負の世界では、次なる対策を即座に模索し、新たな狩に出掛ける決断をしなければ生き残れないのです。



「レベル7」となった未曾有の大事故ですが、本当の最悪の事態はまだ先にあります。
この分野の専門家は分かっているはずです。認識が出来ている人ほど真剣に恐怖を感じているはずです。

しかし、言えない。それは考えるのも恐ろしい結末だからです。

だから、そうならないよう今現場では必死の作業が行われています。

専門家のその言えない気持ちは分かります。いたずらに真実を述べることが正しいとはいえない場合もあるでしょうから…

しかし、だからといって様々な危機管理まで疎かにしていいわけがありませんし、そのようなことが全てに対して変に隠し事をするような風潮に変わって行ってはなりません。
透明性のある情報発信は不可欠なものです。

国民も自らの意思で考え判断することや、学ぶ行為を惜しまないことが、時代を変えて行く力になってくるでしょうし、淘汰から逃れる術でもあるのではないでしょうか。

ただ、中途半端な学びは大きな誤解を生じてしまうことが多々あります。大きく間違ったまま誤解しつづけてしまう時もある。
私もよく陥ってしまうことで、反省することも数え切れません。そして反省しきりの毎日です。

凡人で俗物の私には難しいです。ただ、小さな事柄をコツコツと続けることにより、そこに継続性が生まれ、その実践の先に大きな実りが待っています。


今はもう、日本が立ち直ることを信じ、祈るしかないのでしょうか。
勤勉な人も多い日本の将来にも必ずや大きな実りがあることを確信したいし、そうしなければなりません。

日本がこければ、世界が終わってしまいます。
posted by マーキス at 00:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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