2011年07月02日

節電の夏

「暑さ対策による節電」

今年もすごく暑いですね。皆さんどう御過ごしでしょうか。

政府が電力使用制限を発令し、各企業、各家庭も様々な節電対策を模索しています。

自動車産業を筆頭に製造業は「土・日」操業を始めたようです。
「木・金」を休みとして土日に操業するそうですが、大手製造業が根づいている地域の各自治体の教育委員会等は、今相当慌てているようです。

自動車産業等が町の中心的産業となっている地域では、自動車メーカー並びに下請けを含めた関連企業に勤める従業員の方たちの中でも、共働きをしている人たちも相当な数に上ります。

土日操業になれば子供の面倒が見れない。
近くでお祖父さん・お祖母さん等、面倒を見てくれる人がいる方はまだいいですが、そうでない方たちも沢山います。

突然の生活環境の変化に簡単には対応できない。
各自治体も児童保育所等の増設を図っていますが、人員の確保等を含め大変なようです。

どうも、企業の計画等と自治体との疎通がスムーズに行われていなかった?ようで、確かに例え早めの疎通が行われていようと時間的余裕は少なかったでしょうが、相当慌てているみたいです。
市民生活においてとても重要な問題ですので、早急の解決がなされることを願います。




省エネルギーが重要なテーマですが、各種建築物の一次エネルギーの消費量の多くは「空調」「照明用」が占めています。

事務所ビル等では、空調関係が約50%、照明・コンセント用が約30%ほど。百貨店もそれら両方で約70〜75%ほどを占めています。
(病院やホテル等も、空調関係が多く、給湯用が占める割合も多い)

建物の使用時間が長い病院やホテル等の原単位は大きく、2交代制や3交代制で稼動している製造業の工場等も当然大きいです。


そのため、省エネルギーの手法として様々な対策があり、あらゆる場面で施しされています。

機械設備を使用して太陽光を利用する「アクティブソーラー」

機械力を使用せず、太陽光を利用する「パッシブソーラー」

外気を地中埋設管を経由して、地中の恒温性を利用し外気の予熱・予冷を行う「クールチューブ」(ヒートチューブ)

発電の際の排熱を冷暖房や給湯の熱源としてエネルギーの有効利用を図る「コージェネレーションシステム」
(ひとつのエネルギー源から電気と熱の二つを同時に取り出す)

地域のプラントにおいて製造された「冷水」「蒸気」「温水」等の熱媒体を、その地域の他の複数の建築物へ供給する「地域冷暖房方式」
などなど


また、外壁をガラス面とし、ガラス面の内側に壁を設けて蓄熱体とする「トロンブウォール」。外壁をガラス面とし、ガラスを前後に2重(2層)に覆い、空間を季節に応じて利用する「ダブルスキン」という手法もあります。
これは宝石店等でも有効活用できる手法ですね。


さて、一般家庭ではどのような手法、あるいは暑さ対策をすることによる節電が考えられるでしょうか。
多くの家庭で取り入れているのが、「よしず」などをぶら下げて直射日光を遮ることですね。
これは大変有効で、且つ、手軽にできる好例です。

夏場(夏至)の太陽は高いため、水平面の日射量が一番多く、また、南側鉛直面より、東西の鉛直面の方が日射量が多くなります。
一応、学問的には南北を中心とした左右(東西)の日射量は均等にみますが、実際に体に感じる感覚は若干東側鉛直面の太陽の照りが酷い。

夏場は、この東西側鉛直面が受ける(つまり、主に東西側壁)と水平面(つまり、主に屋根と地面)が受ける日射量や熱量等がものすごいものとなります。

夏場はこの方面側の熱対策が重要となります。

なお、夏の太陽は高いため、南側の「鉛直面」の日射量は少ないです。
(たぶん、皆さんが想像する以上に少ない)

通常の日本家屋では、南側の夏の太陽は庇で日射を遮ることができますが、最近の家屋は南側に限らず、庇のない家が増えてきました。

庇は太陽を遮るだけでなく、雨の多い日本では雨仕舞いに都合がよいですし、窓からの延焼の防止(正確には抑制)の役目もするのです。
つまり、最近は自然を無視した建築、家造りが非常に多くなっていますね… いにしえの工人たちが築いた家造りには重要な意味があることを知っておいていただきたいと願います。


私は仕事を平屋建の事務所内でもしていますが、この事務所には「素屋根」というものを施しています。

これは、建物の上にさらに屋根を施しているもので、簡単に言えば、建物の周りに車庫(の屋根)をかぶせたようなものです。
柱と梁の骨組みに屋根だけを付けて、事務所の上にかぶせているのです。

これをすると、当然ですが水平面の日射が遮ることができ、この事務所の素屋根は屋根だけで、側は外壁等は何も張っていませんので、事務所の屋根と素屋根の間の空間の熱された空気も停滞しません。

大げさな施しと思うかも知れませんが、骨組みに中古資材と屋根材はホームセンターで売っている安いトタン(プラス、その他の部材)を利用したものなので、それにかかった費用はしれています。
掛かった費用は、はっきり覚えていませんが15万円ほどではなかったかと思います。
(新品の場合は倍プラスαの費用は掛かると思いますし、手間代は別途ですが。)

その素屋根の東側に「よしず」を垂らして日射対策はバッチリです(笑)
(西側は高い壁があり日陰となっていますので、よしずは垂らしていません)

これを施すと当然ですが全然違います。エアコンも高い温度設定でもよく効きますし、カンカン照りではない日の場合は、エアコンなしの通風だけでも(あるいは扇風機だけでも)まかなえる日もありますので、かなり消費電力を節約できます。

小規模で、1階建ての(平屋建ての)店舗や事務所などにはお勧めの対策なんですが、やっている所は他に見たことがありません。

この素屋根は見た目は気にしない考えで施したので、見栄えを考えると、もっと綺麗な仕上げで造ることになりますので当然もう少し費用が掛かりますし、確認申請等の面倒もかかってきますからね。
やり方・工法次第では、それでもかなり安価でできるのですが…


自宅の熱対策には通風、換気、並びに断熱が当然ながら重要ですね。

屋根から来る熱はものすごいです。瓦などと違い、最近多いカラーベストの屋根材ではまともに屋根裏・小屋裏に熱が伝わります。

昔からの工法は、、下地材に無垢の野地板を隙間を空けながら張って行き、杉皮などの上に土を葺き、瓦を葺く工法で、相当な日射を防ぐことができましたが、最近の工法は、コンパネにルーフィング、カラーベストの乾式が多くなりました。
資材も工業製品ばかりの材料で、熱もまともに伝わります。

断熱材は必須ですが断熱材のみならず、最近では棟換気という工法があります。文字通り棟の部分から換気をするのですが、最近はやりのカラーベストの屋根にかなり有効です。

空気は暖かくなると(温度が高くなると)軽くなり、冷たくなると重くなります。
棟換気はその特性を利用し、軒裏等から給気し、棟の天辺から排気を促す方法です。

また、室内の換気経路ですが、ある高さで室内外の圧力差がゼロになる部分があります。
これを中性帯といいますが、室温が外気より高ければ、中性帯より下の開口部から上方へ流れ、外気より低ければ、中性帯より上の開口部から下方へ流れます。

条件によりますが、地窓と呼ばれる床面に近い位置に窓を施した部屋で、すごく風通しのよい部屋もありますね。

(追記: 温度差による換気量は、流量係数、開口部面積に比例し、上下窓(開口部)の中心間距離の垂直方向の「平方根」、室内外の温度差の「平方根」に比例します。)

冷房のある建物は、当然ですが気密性が高い方が効率がよく、消費電力を抑えられます。

また、夏季の一日の日射量を考えると、建物は東西軸を長くしたほうが有利となります。通常の住宅はほとんどがそうなっていますよね。

窓からの日射熱流入を抑える対策は有効です。
庇は当然のことながら有効ですね。

ルーバーなどは外部側に設置するほうが効果的です。西側の窓は太陽高度が低くなりますので、可動式の縦型ルーバーが効果的とされていますが、通常の水平ルーバーでも可動式ならば有効でしょう。

先に記したように夏場は水平面での日射量が多いので、家の周りに施されている「犬走り」などのコンクリートの土間からの照り返しは酷いので、何かその上に敷物をする等の対策も必要です。

打ち水も有効でしょうが、熱されたコンクリートはすぐに乾いてしまうので根気が要りますし、ずっと濡らした状態でないと蒸発による湿気を生んで、よけい蒸し暑くなってしまいます。

長くなるので今回はこれくらいで…
熱対策を施すことにより、省エネ・消費電力の節約になりますので、一考してください。


昔から日本では、「家造りは夏を旨とすべし」、と云われています。

雨が多く高温多湿の日本という国の気候を考えて、夏季での生活環境を主体に考えた家造り、並びに自然環境が建物に与える影響を考慮した家造りは、人にも家にも好ましい家造りとなり、そのような家造りは人に優しく、家は長持ちするという先人たちの知恵です。





「原発再稼動要請」

海江田経済産業相が原発の再稼動の要請をしました。
狂っているとしか言いようがありません。あり得ない要請です。

福島第一原発もまだ収束できていないこの状況下で、「各原発の安全対策は適切と判断できた」とは、どういう神経を持っていたら言えるのでしょうか?
現時点で、たったひとつの原発すら手に負えない状態なのです。

本物の詐欺師でもそのようなあからさまな嘘はつけない。
完全に国民を舐めて馬鹿にしているのでしょうね。どうしようもない。


しかし、彼のような政治家を生んだのは国民です。
このような政治家を生んだ国民も彼と同じレベルなのです。


日本経済のために原発を動かしたいのならば、「安全対策はまだ整っておらず、もしもの大災害が起きれば未曾有の被害を覚悟しなければなりませんが、経済の建て直しのために、死を覚悟した究極のリスクを背負っていただきたい。」と国民にお願いすべきなのです。

理解を得られる・得られないは別として、それが真剣に生きている責任ある人の行動と覚悟です。

日本国と日本人の将来のことを本気で必死に考え、その結論として、彼の頭の中で往きついた先の最善と思う考えが原発の再稼動なのならば言えるはずです。

子供騙しのような呆れた言葉でしか要請できないのは、真に国と国民のことなど何も考えていないので自分の考えに信念が持てないからです。

政治家として命を懸ける覚悟のない人はなるべきではない。
安易な志しで務められる仕事ではありません。






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元祖歌姫? シーナ・イーストンの曲をいくつか よろしければ…

化粧品メーカーのCMで使われ、日本でヒットした「リトル・テンダネス」は、なぜかフルバージョンがユーチューブにはありませんでした。
(CMの動画のみでした)


Just Another Broken Heart
http://youtu.be/ifBRP3p6nx4


Telephone Lines
http://youtu.be/izkWyWE9GCo


Morning Train
http://youtu.be/huNejF17gzg

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2011年07月12日

電力供給と情報と個々の責任

「正念場の今年の夏」

数年前から節電や省エネは皆の心の中に重要なテーマのひとつとして根付いてきました。

ただ、普段の心掛けとしての節電はとても意味のあることですし、よいことなのは確かでしょうが、日本人にありがちなどこでも右に倣えの節電には少々疑問があります。


この前、休みができた日に図書館に行った時の事。その図書館でも冷房等の明らかな節電がなされていました。

もちろん暑いというほどではないのですが、明らかに温度設定が高く設定されていました。
個人的な意見としては、読書をするような施設においてまでそのようなことをするのはどうかと思ってしまいます。

汗が滴るほどではないにしろ、温度が若干高ければ手のひらから汗の分泌も起こりやすいですし、それは書物にとってよい環境ではありません。

図書館を利用して勉学に励んでいる方もなかにはいますし、図書館や、あるいは美術館のような温湿等の管理が重要といえる施設、知識や文化を学び感じ取る施設まで一律に同じようなことをするのは間違っています。

それと同じく、老人の方たちのいる施設、あるいは老人の方が無理に冷房等の節電をする必要もありません。


そもそも、まずそんなことはしなくとも電力は足りるはずです。

電力会社のプロパガンダやディスインフォメーションに踊らされてはだめです。

電力会社が経産省に届けている電力量から、原発がなくとも電力は足りる計算となりますし、大きな企業が若干の節電対策を施すことにより、他の施設、一般家庭は節電なしでも電力は足りるはずです。

それが足りないというのならば、明確な根拠と資料を持って詳しく国民に説明する義務があるはずですが、それをしようとしない。


夏場の消費電力のピーク時に電力が足りなくなる理由として、施設・機械等の定期点検のために一部稼動をとめなければならないことを挙げているようですが、そんなことは理由にならない。

電力会社に限らず、大きな施設、機械等は定期的な点検・メンテナンス等は必須事項ですが、そのようなことは年間、あるいは数年の事業計画として、稼動に対する必要量・要求量・生産量が少ない時期に行うのは事業者として至極当然の計画のはずです。

なぜ、わざわざ必要電力がピークとなる真夏の時期を選んでやらなければならないのか。
原子力発電所が必要だと思わせるための工作というのがミエミエです。


大きな企業や権力者たちがこのようなことをしても裁かれることはありません。

少し強引かもしれませんが、これは欺罔(ぎもう)行為によって錯誤(さくご)に陥れようとすること(詐欺・詐術)とも考えられ、経済の秩序に反する行為ともいえ、公序良俗違反であり、また、権力者たちが「危険だと分かっていて」放射能の許容値を上げたり、「危険だと分かっていて」原発周辺地域の放射線量や放射能は安全だと言う行為は、意思の欠缺であり、心裡留保という違反行為であると言えなくもありません。

但し、これ(心裡留保)は相手方が知っていたり、知ることができたのに知らなかった場合(過失)は無効となりますし、証明も難しいので、まず、そのことに関しては問われませんし、知ることができるのに政府の言うことを鵜呑みにし、それを知ろうともしなかった人は政府に対して責任や違反等を問える立場も権利もないといえるでしょう。

この事は重要な意味があることが分かりますね。
極端に言うことが許されるのならば、無知なことや最低限の知識を得る努力を怠った人間に、相手方を責める(罪に問う)権利は認められない「可能性がある」ということです。

(ちょっと上記のことは法律に無理矢理はめ込んだと言えるでしょうが、社会の現実の厳しさの一部を表現してみたいと思い、あえてこのような記述をしてみました。)

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※追記です:【心裡留保】− 厳密には「意思の欠缺」というのは違反行為という種のものではありませんし、この心裡留保とよばれる表意者の「意思表示」も原則的に無効ではありません。
ただ、たとえ相手側の過失であろうが状況により誰かが被害を被る可能性があるもので、このことに限らず、意思表示にはさらに多方面からの視点・観点で考えなければならず、すべてが重要な意味を持ちます。上記の表現の方が意味がつかみ易い?と思いますが適切な表現ではありません。また、強迫のような瑕疵ある意思表示とは違います。

この「意思表示」ひとつ取ってみても、効力の問題や受領能力、その他諸々、様々な事を説明しだしたら膨大な文章となりますが、「意思表示」は法律行為の最初の柱ともなる極めて重要なものです。
ご興味のある方は基本的なことだけでも調べてみてください。
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また、社会人なら誰でも理解していることでしょうが、詐欺に遭った方を法律では強く保護していません。

このことは善意の第三者には主張できないことからも明らかです。
関係のない人を詐欺にあった人のために犠牲にすることはできないからですね。

さらに、本人に錯誤がある場合も至極当然ですが法律は(強く)保護しません。

詐欺にあった人にしろ、本人自身に錯誤がある場合にしろ、強迫等による意思表示に比べたら、本人にも明らかに過失があるからです。

(錯誤による意思表示は「一応」無効となりますが、本人に重大な過失があると認められる場合は、自らの無効を主張することはできません。)



自分自身の身は自分自身で守るしかありません。

法律の基本原則は、 誰でも権利の主体になれる(個人の平等の原則)、自分のものは自由にできる(所有権絶対の原則)、誰かと取引することの自由(私的自治の原則)等がありますが、自由には責任が伴うことを忘れてはなりません。

権利を行使するには、公共の福祉の原則等があり、個人の権利の行使は社会全体の利益との調和がなされていなければなりません。
(このことは、先の記事で取り上げた「君が代裁判」の教師の行為などが該当しますね。)

権利を主張するのならば義務と責任を果たさなければなりませんし、自由にも大きな責任が伴います。
政府や電力会社やマスコミの言葉を鵜呑みにするのも信じるのも自由です。しかし、その自由は自分の責任において対処しなければなりません。ケガは自分持ちなのです。

自分の責任において取った行動を他人のせいにすることはできませんし、仮にそのことを起因として病気等になった場合、これに関しては自分自身の体の問題ですから物理的にも他人に責任を取ってもらうことは不可能となります。

(その代わり、金銭等での保障等になってくると思いますが、病気になった体は…何もなかった元の体に戻すことは不可能です…)

もちろん、私が電力は足りるはずだと思っていることも私自身が自己の責任として対処しなければならないことです。




さて、今年の夏はほとんどの原発が止まります。本当に電力は足りないのか。原子力なしでは電力の供給は一時的にストップしてしまうのか。原子力なしでは本当に庶民の生活と企業の正常な稼動はストップしてしまい、経済的、社会的大混乱に陥ってしまうのか。

そのことを見極めるためには、電力会社等の嘘のない情報開示と偽りの操作のない電力供給計画が不可欠です。

そのことが成された上で、この夏の電力消費量がピークの時になんとかなるのであれば、脱原発の意義はさらに加速して行くはずです。








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1970年代〜80年代にかけて、ディスコミュージックが流行りました。

「ボニーM」は、当時全世界で?大ヒットし、私の世代や数年上の先輩達には懐かしいはずです。
(若い世代の方はディスコミュージックは馴染まないかな?ごめんなさい。)

私はディスコに行くような性格ではなかったので、誘われてもディスコには行きませんでしたが、ミュージックはよく聴いていました。
軽快で魅力的なディスコミュージックが目白押しの時代でしたから。

街にはエネルギーが溢れていました。元気があった時代なのでしょうか?



「ボニーM」
ダンス担当の唯一の男性メンバー、ボビー・ファレルは亡くなっていました…合掌


「Sunny」
http://youtu.be/dhudMc0jfsc

「Ma Baker 」
http://youtu.be/TdNG0yNiKRg

「怪僧ラスプーチン」
http://youtu.be/kvDMlk3kSYg




「アラベスク」


「Keep The Wolf From The Door 」
http://youtu.be/CpWGUqhsiqc

「Nights In The Harbour 」
http://youtu.be/TzSV3O3cei8

「フライデーナイト」
http://youtu.be/pwzlZ3DRiHc

「Make Love 」
http://youtu.be/HZOXTkHuRw0



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ラベル:節電 電力
posted by マーキス at 15:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月27日

狂った果実

「電力が足りない?」

26日の新聞によると、電力会社の発表では特に西日本の5社、九州や中国、四国、北陸、関西電力等の来年度の電力や五年後の電力が足りないという試算となっているようです。

その記事の中で、電力会社は電力供給量の内訳を公表していないとされています。
相変わらず事のすべてを話す気、発表する気はないらしく、小出しにしてお茶を濁しています。


供給力の増加対策を施した場合の供給力で足りないのは関西、九州、中国、四国電力となっているようです。
これも数日前に経産省から出された内容と少し食い違っていますね。どれが本当の数値なんでしょうか。

西日本は60Hzの送電エリアですので、比較的予備率の高い中部電力(中部も60Hzエリア)からの融通や、そのときの状況により他の電力会社同士融通し合うことで補うことができるのではないでしょうか?

また、火力発電所だけで全国に95ヶ所ほどと関連会社9ヶ所、その他、内燃力発電所(コージェネレーションシステム)が58ヶ所ほどあり、火力発電及び水力発電だけでかなりの電力は賄えるはずです。

火力発電所のかなりの数は止まっているといわれます。点検で停止中のものは除いても、なぜ沢山あるのにそれほどの数をわざわざ止めているのか。

理由はひとつしかありません。止めても十分電力が賄えてきたからです。

東北の震災以前からトラブル続きであった原発の電力供給量はせいぜい23〜26%ほどでしかありません。
それくらいなら他の発電所でカバーできるようにも思います。

もちろん化石燃料を燃やす火力発電が完全にクリーンとは言えませんし(二酸化炭素の放出等)、古くなった施設も当然あります。長く止まっていた機械物を再び動かすには少々の時間と多少のコストも掛かります。

大型の火力発電所も止まっているようであり、稼動しえる発電所がフル稼働しても、現在の状況ではもしかしたら足りないのかも知れません。

しかし、原発施設も20〜30年以上経った古い施設も沢山ありますし、原発の寿命も当初謳われていた耐用年数よりはるかに短いことも露呈しました。

そして原子力のとてつもない危険性に比べたら火力発電のマイナスの部分は微々たるものに思えるほどです。

また、コストが安く済むとの謳い文句も化けの皮が剥がされてきています。そして原発はトラブルが起きれば天文学的なコストの支出ともなります。
使用済み核燃料の処理や高濃度放射性廃棄物の処理コストも物凄く高いはずです。



また、水力発電所・火力発電所の中には、東電や関電、中電等のいわゆる「一般電気事業者」ではない電力供給会社で「電源開発株式会社」というものが存在します。

元々国策としての性格を持って設立された事業所で、その発電能力はひとつの電力会社に匹敵する能力を持ち、四国電力の発電供給能力を上回るほどです。

26日の新聞での発表は「一般電気事業者」に関しての記事であって、「電源開発株式会社」の存在は隅に置かれている数字ではないですか?
これも内訳が分からない事には判断ができません。まあ、含まれていないでしょうが…

この「電源開発株式会社」は、「一般電気事業者」に対し、「卸電気事業者」に属し呼ばれているもので、他の「特定電気事業者」、「特定規模電気事業者」等の事業所の発電力も足せば、特定の地域・特定の場所に限られたりもしますがさらに供給可能電力量が増えます。

電力事情を少しでも調べた人ならば誰でも知っていることでしょうが、マスメディアはこの事に関してあまり触れませんね。




さて、わかりきっていたことですが、肉、野菜、魚、すべての食品の汚染とその汚染された食物の出荷が行われています。
一般庶民には到底食品の汚染の判断など無理な話です。

しかし、あくまでも自分自身の身は自分自身で守るしかありません。


たとえば富裕層が食品をどう調達しているのか。

今現在、高性能のガイガーカウンターその他の機器を駆使し、産地等を含めあらゆる角度から徹底的に事前検査して、安全だと確認された食品だけを宅配サービスする事業が展開されています。

私のところにもパンプレットが送られてきました。(あ、私は富裕層ではありません(笑))

料金は当然のことながら通常スーパー等で買うものより高いです。
ここにも当然の如く「生活格差」が現れます。

東電幹部や政府関係者たちの家庭は、このような事業制度を活用している人も多いでしょうね。言わないでしょうが…

富裕層には間違いなくこのような事業者からのパンフレット、DM、電話・FAX等の連絡が来ます。
事業を展開する会社も商売ですから、富裕層は徹底的に調べているはずですからね。


だからといって、富裕層ではない方々も出来る限りの自己防衛はしなければなりません。

政府・東電・マスコミ等の言う言葉を鵜呑みにして、例えば許容値を上げた等によって放射線量の多い地域で放射線をあびることにより、もし病気になった場合どうなるのか。

建前上は置いといて、金銭的な面でも国は補償してくれないと見るべきです。
症状が出る、病気になるのはもっと後の話になりますし、数年後、十数年後の病状と放射線、放射性物質との因果関係の証明は困難を極めます。

また、その証明の立証責任はたぶん被害者本人になります。

そう、被害者がその医学的根拠に基づいた因果関係を自分で調べ、証明が可能となるデータ・資料等を添付し立証しなければならないのです。

まず証明は不可能です。なんとか国が認める方向に被害者及び世論が持って行くしかありません。

以前、薬害の問題などでもどれだけ被害者が長い間戦って苦労したか思い出してください。

そして、長い裁判を戦い、仮に国が過失を認めてくれたとしても、もう生きてはいないかもしれませんし、たとえ生きていても、病気とも長い間戦ったあげくの残りの人生は短いはずです。

裁判自体困難を極めます。間違いなく国は払わない方針、因果関係を認めない方針で来ます。

過去の事例からも難しい。地裁・高裁に限りませんが、裁判官、裁判長は過去の判例から大きくずれた判決はしない場合が多いと見るべきです。

それは出世がかかっているからです。極端に言えば、そのような判決を下した人は、判決が間違っていると判断されることと同時に、厳格なる過去の裁判と司法そのものに喧嘩を売っていることと同じになります。

つまり、過去に判決をした最高裁の歴代の「偉い人たち」を否定することになるからであり、厳格で間違いがあってはならない司法判断を否定する行為となるからです。

過去の判例を覆し、判例を覆す難しさに毅然とした態度で挑み、新たな視点からの判決を下した人は、出世街道から転がり落ちることになります。
大きな力に抹殺されるわけです。決して新たな風は吹かないようになっている現実だけでも、皆が知り、認識しなければなりません。
(もちろん、下級裁判所が下した判断が明らかに間違っている場合も当然あります)


殺人事件における「永山基準」が長い間判決の基準・参考にされていたのも、一人だけを殺害した犯人が極刑を回避してきたのも上記のことが理由なのです。

注: 判例というのは、重大事件にかかわらず司法判断において最も重要なもののひとつとなるもので、また、「そうしなければならない」ものでもあります。
決して、判例を軽く見るべきではないことは言うまでもありません。
その意味でも「永山基準」が長く参考にされていたのも当然だろうとも思います。)


このような「圧倒的な力」を変えることができるのは、世論の力、及び、政治に超特大の台風が吹き、とてつもない指導者が現れるしかありません。
それを生み出すのはもちろん国民です。

少なくとも許容値を上げた数値などは鵜呑みにしてはなりません。
何度も言ってしまいますが、ケガは自分持ちです。



また、フジ・メディア・ホールディングスの監査役に、東京電力の元社長が留任することが少し前に話題になりましたね。
この事実はどういうことなのか説明するまでもありませんし、このようなことは氷山の一角なのも説明するまでもありません。

逆に、この期に及んで政府、電力会社、マスコミ、各省庁等のいうことを信じる人、あるいは支持する人の神経がわかりません。

もちろん私も報道をすべて否定するような単細胞ではありません。電力供給量に関しても知識の浅い私には確かに想像の域をでないものです。足りるのか足りないのか。専門家の中でも様々な意見があるようですね。

一般の方でも、日本の経済事情等から原発を稼動させるべきだと思っている人も沢山いるでしょうし、データを顕示し、やっぱり足りないよと訴えている方も沢山いるのではと思います。

しかし、そのような方は「足りる足りない」「日本経済」以前の問題なのだということに、誰がどう言おうが、どうしても思考がその方向には動かないようです。

ある意味、そのような意見を言う人には賢い人が多いような気もします。しかし、怒られるでしょうが典型的なマニュアル人間であり、秀才の弊害です。日本にはこのようなタイプも多いのでしょうね。


「原子力は人類には制御できない」 この極めて当たり前のことを認識しなければなりませんし、世界はその方向に向かっています。

それとも「原発が収束できなくなる時はまだ来ない」ことを前提とした考えこそが日本人の代表的なメンタリティーなのでしょうか。
予測・希望通りとなる保証はどこにもないはずです。


日本だけでなく、現在の世論は脱原発に向かっています。少なくとも日本では、もう原発の「増設」はあり得ない。
そうであれば、古くなった原発は近い将来に必然的にも廃炉の方向に向かうことになります。

「増設があり得ない」ことの意味は大きい。
このことはマスコミも現時点では認めているはずなのに誰も指摘しませんが、これは原発施設が徐々になくなって行くことを意味し、「必然として」原発ぬきでの電力の供給方法をこれからの課題として考えて行かなければならないと言う事です。

「増設があり得ない」のならば、脱原発は希望ではなく、リアリスティックな課題とすでになっていなければならないはずです。

逆にもし、増設が今後もあり得ることとなるのならば、権力への完全なる敗北を意味します。
それがどういうことを意味するかは、説明するまでもないはずです。


物の使用の対価として受けるべき金銭その他のものを、果実(法廷果実)といいます。
電力会社から多額の資金が流れているマスコミは、原発増設に向かう希望を失ってはいないからこそ、上記のことを誰も指摘しないし気にもしないのでしょう。

今後、国民はどう判断するのでしょうか?
狂った果実と運命を共にするほど愚かではないことを信じています。
posted by マーキス at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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