2011年06月02日

ダイヤモンドの未来

「ダイヤが持つ特性と工業的な将来性」

私たちを魅了してやまない、ひときわ存在感を示すダイヤモンド。
そのダイヤモンドには様々な優れた特徴があります。

ダイヤの特徴のひとつに、以前にも少しだけ触れた「熱伝導率」の高さがあります。

単純にいえば熱を素早く移動させる能力があるということです。
感覚の鋭い肌の部分でダイヤに触れれば冷たく感じるはずです。これは、肌から素早く熱を奪うからです。

ダイヤの熱伝導率は鉄などよりはるかに凄く、その高い熱伝導率を利用すれば非常に効率的な「放熱効果」(ヒートシンク)が得られます。

様々な工業製品・機械などは、それを稼動させていると沢山の熱を溜め込みます。
製品の長期的で安定した性能を導き出すためには、その熱を効率よく逃がさなければなりません。
そのために、ダイヤの特性を活かした放熱機械・放熱技術の開発は盛んになってくるでしょう。

(半導体レーザーのサブマウントとして幅広く利用されていたのがすでに古くなったり、求められるものは時代と共にめまぐるしく変わってきており、新たな試み、新たな分野からの需要等、ダイヤをめぐる環境も刻一刻と変化しているようです)


また、不純物が多く含まれると熱伝導率は低下します。
天然ダイヤモンドの多くには窒素が含まれているので少し能力が低下していまいます。(それでも高い熱伝道率ですが)
現在では、ダイヤの中でも稀にある、窒素の含有率の低いダイヤと同等の性能を持った人工ダイヤモンドが工業製品に用いられています。

ちなみに、この「窒素」を多く含むものは黄色をしていて、ほとんどのダイヤがこれに分類されます。
他の多くのカラーダイヤは、このタイプに含まれますが、様々な窒素や炭素の原子の欠陥と組み合わせによって生まれるようです。

そして、窒素の含有量が少なく、ホウ素が含まれていないものは無色、わずかにホウ素が含まれているものが青色をしていて、これらの産出量は極稀です。
ですので、無色、そして特にブルーの天然ダイヤは大変貴重なものとなるのです。



また、金属等は熱伝導率が高く「熱膨張率」も高い。
たとえば、鉛・アルミニウム・銅・鉄などは真夏の炎天下の中ではかなり膨張します。

金属に限りませんがそのような特性や外的・内的な作用・応力等を考慮し、破壊やひずみ・降伏、追随防止等のために、製品や構造物のつなぎ目には「エキスパンションジョイント」(構造的に分割された接合)でクリアランスを取るか、あるいは目地・目地材(他にも目的があります)を施したりしています。

このような熱膨張率の高いものは精密機械のデバイス等の用途には向きません。
しかし、ダイヤモンドは「熱伝導率が高い」特徴を持ちながらもシリコン以上に「熱膨張率が少なく」温度差による変化が少ないので、今後益々精密機械等の用途に利用され、そのことによってさらにそのような製品の小型化や性能向上に役立って行くのではないかと思います。



類稀な素晴らしい特徴を持ったダイヤ。
クリーンエネルギーとして注目されている「太陽光発電」にもその性能向上のために、ダイヤ・人工合成ダイヤが注目され活用されて行くのではないでしょうか。

ドイツに抜かれ二番煎じ(シェアは世界一?)となった日本の「太陽電池技術」ですが、挽回する勝機はもしかしたらダイヤ(人工ダイヤ)が鍵となるかも知れません??
パネルを薄くする技術も難しいらしいですが…  

技術的なことは分かりませんが、実用に伴う沢山のエネルギーを得ようとするには莫大な面積のパネル(太陽電池)が必要となり、さらに1年の四季、あるいは1日の太陽光は大きく変動します。
変動するエネルギーの対策のためには、パネルで取り入れたエネルギーを蓄電・貯蔵する技術も不可欠で(パネル自体には蓄電能力はありません)、まだまだ多くの課題が残っています。

(太陽電池の主流はシリコンですが、人工ダイヤを使用したもの、あるいは併用したものが必要とされるかも?)


超高価なダイヤは別として、毎年産出されるダイヤは価格統制のタガが緩み始めたことからも、小さなダイヤの価格的価値等は若干衰えてきています。
しかし、工業的な価値は今後も上がる一方でしょうし、宝飾品としての価値もダイヤモンドほどの様々な特徴と魅力に溢れたもの、かつ、その特徴からくる美しさは他の追随を許さず、ある一定の水準を保ったまま今後も特別な地位と輝きを保ち続けることと思います。
posted by マーキス at 01:23| Comment(0) | TrackBack(0) | ダイヤモンド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月03日

歴史の重み 真の信念と主張

「君が代訴訟」


先に行われた裁判で、最高裁は、「卒業式などの君が代斉唱の際、学校長が起立を命じることは思想、良心の自由を保障する憲法19条に違反するとはいえない」 との判決を下しました。

学校長の起立・斉唱の職務命令は合憲とする初の最高裁判断です。

まず、当然の判決だと思います。
ただ、この判決が間違った解釈で一人歩きしないよう気を付けて行かなければなりません。


君が代に関して、軍国主義を連想させることが、反対している教師たちの主な理由だと思われます。

君が代の由来、歌詞の意味等に関しては、その道の研究者・歴史の専門家たちの間でさえ様々な研究成果・意見があり、つまり、はっきりしないというのが本当のところなのでしょう。

歌詞の「君が代は」の部分を二人称で捉えるならば、ある特定の誰かに対しての意味を持ちます。

本来、仮にそのような意味だったとしても、戦時中の士気を高めるためにそれを天皇に置き換えることを、当時の権力者たちがそれとはなしに促したことも否定できません。


「君が代は」の部分は、古今和歌集には「わが君は」となっているようです。和漢朗詠集でも「わが君は」となっており、これに関しては大方の研究者が一致することであると思います。

そうすると、天皇よりももっと身近な特定の人物に対して詠われているようにも思え、詠まれる流れから本来の意味は天皇を示すものではない可能性が高いようにも思いますが、結局は大変古い歴史のある詩の意味を、およその特定をするのならばまだしも完全に解釈・決定付けするのは不可能に近いでしょう。

また、この詩は、「題知らず」「詩人知らず」となっています。このことからも解明はやはり不可能に近い。
「わが君は」が天皇を示すのならば、何らかの示しがあるのではとも思いますが、それがない。


ただ、このような解明や解釈は別にして、本来どのような意味があったのせよ、違った意味があったにせよ、この詩が軍国主義の意を汲むのに意図的かどうか解りませんが、少なくとも歪んだ考えで使われた可能性があるわけで、反対する教師にとっては意味を紐解くことより、軍国主義を連想させる・させた「国歌」であることがそもそも納得が行かないのでしょう。


思想や考えは自由です。反対する教師たちの考えはたぶん少数派かも知れませんが、それは尊重しなければなりません。
そのような方々に、ある種のレッテルをはるのも間違っていると思いますし、彼らを含めた多くの議論が必要です。


しかし、私個人の主張としては、私は彼ら教師の考えは間違っていると思います。

歴史というのは負の部分も含めて受け入れなければならないものです。
負の部分、負の歴史を含め、その上で今の私たちが存在するのです。

現在の私たちの姿。繁栄・衰退・幸せ・不幸、暮らし・環境等、すべての物事は過去の正と負両方が先人達の歴史と行動の元に存在するのであり、負の部分も当然あろうが、先人達が大変な苦労や、あるいは命をかけて守ってきたことの延長線上に私たちがいるのです。

それは、受け入れなければなりませんし、すべてにおいて感謝しなければならないことでもあります。

「君が代」も「日の丸」も、歴史的つながりのなかで、正と負すべてを受け入れながら母国と自らのルーツに対するアイデンティティとして皆が育んできたものではないでしょうか。

負の部分も「君が代」「日の丸」そのものなのであり、それを受け入れた上での敬愛すべき「国歌・国旗」なのです。


「負の遺産だけは断固として拒絶する」 それはあまりに御都合主義で身勝手な考えではないでしょうか。

間違っていたなら、それをよい方向に向かわすよう国民皆で努力し、議論をするのです。

戦争は間違った行為だからそれを象徴するものは排除する。負の部分は気に入らないから拒絶する。というようなやり方はあまりに短絡であり稚拙過ぎます。

その教師達はそれをすることによって、議論をするための問題提起としての行いだと信じているのでしょうが、歴史の重みを軽く見ていると言わざるを得ない。

また、子供達・生徒達の門出を祝う卒業式の祭典の中で、自らの主張のためにそのような行動を起こすということは、生徒達・卒業生達の存在も軽くみていることに他なりません。
そのような行動を起こすことにより、門出を祝う大事な卒業式の進行に支障をきたすのです。


最高裁が下した判断は至極当然のことで、校長が教師に国歌斉唱や起立を求めたとしても、それはあくまでも教師の「職務としての行為」に対してであって、思想・信条まで問題にしているわけではありません。

「保全される」思想も、それが外的な行為として現れる場合には「公共の福祉による制約」を受けるのです。
思想や考え等の自由の侵害とは根本的違いますし、訴えた元教論は法の解釈というものを理解していないのではないか。

[憲法が「侵してはならない」とする内心の自由は、最大限に保障されるべきである] という意見はその通りですが、この裁判の内容とその主旨は微妙に相容れないことであることを、元教諭側は理解しなければなりません。

ただ、その裁量がどの範囲まで行われることが許されるのか(命令に従わない場合、どれくらいの罰則等が適当か)の大きな課題はまだ残されたままです。
この裁判の件での処分については一応の裁定が下されましたが、そのことに関してはまだまだ多くの議論が必要です。


どちらにしろ、どれだけの信念を持っているのか知りませんが、その信念は子供達の門出を蔑ろにしてでも貫かなければならないほど大きなものなのでしょうか?

戦いを憂い、戦争やそれを行った行為を拒絶する気持ちはもちろん分かります。しかし、そのことと、公共の場や祝う場での職務としての行動は切り離して考えるのが大人の行動ですし、最低限のマナーと秩序を守らなければならない国民の「義務」なのです。

たとえば、宗教的な儀式が違い、誰かのお葬式で自分たちの儀式とは異なるし考えも違うからといって、亡くなった方の葬儀の儀式に逆らうような行動は明からなルール違反です。

ほとんどの方がまず、そのような無礼なことはしないはずです。
当然ですね。亡くなった方の人権、並びに遺族の方の人権を尊重しているからです。

自分の主張と信念があろうが、卒業式の門出でのそのような教師達の行動は、上記のことで葬儀をぶち壊す行為となんら変わりません。

生徒達・卒業生達の人権を本気で尊重するならとてもできない行為です。生徒・子供達を軽く見ていることに気づいてもいない。

信念を貫くことと卒業式での振舞いを同じ土俵で考えるのはあまりに世間知らず、且つ幼稚でしかないのではないでしょうか。

そのような場でそのような行動を取り、校長に起立等の命令を厳しく諭されたとしても、そのことで信念や個々の思想が保全されないわけではありません。
まず、これが保全されないと考える時点で他の方との意見の擦れ違い、並びに法解釈の隔たりが起きます。

『真の信念と真の自信を持った人、真に強い人はどのような行動と態度を示すのであろうか』

教育者ならば、法を含めた社会での常識的な物事、ルール・在り方、実社会での物事の捉え方をもっと学ぶべきでしょう。
昔から揶揄されていることですが、「教師は世間知らず」と言われてもこれでは仕方がない。



たぶん、銃弾が飛び交う中、敵地・激戦の戦地に乗り込み、実際に命を懸けて戦った英霊の方々は、そのような行動は取らないように思います。
それは、真に国を愛し家族を愛し、本気で命をかけることができたからです。

だれでも愛する我が子のことは、いい部分・悪い部分、すべてを含めて受け入れているはずです。
まずそこに真の愛情がある。だから受け入れられる。

皆、君が代に反対している教師たちの気持ち自体は理解していると思います。
それでも、多くの人がその行動に疑問を投げかけていることの意味を、心を真っさらにして考えてほしい。

私は少数派の人の意見のほうが間違っているなどと考えたことはありません。
むしろ、その逆である場合も多いのではないかと思います。

しかしこの件に関しては、卒業式等で起立を拒否したりする教師たちの考えと行動にどうしても疑問を持ってしまいます。


「日の丸を愛することが国を愛することという思考は短絡的」と教論側は述べたらしいですが、そもそも誰もそのような考えを主張しているのではないということにすら気づいていないようです。

そのような意見こそが短絡的であり、彼らこそ表面的にしか物事を捉えていないようです。
一見するとそのように彼らは思うのでしょうが、本質はそこではありません。




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追伸: 雑談です

記事とはまったく関係のない雑談ですが、最近、たまにですが昔のレコードなどを引っ張り出してきて聴いてみたりしています。
(年かな?)

ふと、若い頃好んで聞いていた歌い手の方々の近況などをパソコンで検索してみたら、お亡くなりになられていた方がいました… 合掌

その歌手は、「松原みき」さんですが、2004年に亡くなられていました… 
ご存知だった方も多いと思いますが、私はぜんぜん知りませんでした。
(若い方は彼女自身を知らないかな?)


松原みきさんのヒット曲、「真夜中のドア 〜 Stay With Me」は、当時、なぜかとても好きな歌でした。

彼女のご冥福をお祈りしますとともに、追悼の意味でリンクを貼っておきます。

懐かしいと思う人も、若いのでその時代の歌手はあまり知らないという人も、よろしかったら聞いてみてください。

http://youtu.be/k-KAY_Glmn4


↓素晴らしい国歌独唱
http://youtu.be/_ORh8TKxsMU


ブログ右サイドバーのリンクバーにも、今後テーマを気にせずランダムに動画や昔聞いていた歌等も載せてみようかなとも思っています。
いよいよ、なんのブログか分からなくなってきましたね(笑)

まあ、お店・会社等のブログではなく、他愛のない個人ブログなのでご了承ください。
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posted by マーキス at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月12日

光と色の演出

「照明の妙」

様々な特徴を持ちながら、その個性的な輝きを楽しませてくれる宝石。

自然の鉱物を繊細なカットや研磨技術等で磨きあげ、宝石の商品として出荷され店頭に並びますが、宝石は光の反射によって、よりいっそう輝きますので、店頭のディスプレイも様々なモデリングを催して飾られます。

ユーザー自身も光にかざして眺めたりして楽しんだりしていると思います。

特にお店側にとっては、お客さんに商品をより綺麗にみせるために店内、あるいは店外に工夫を凝らし、お客さんの購買欲を促すことができるよう努力しています。


商品にライトを照らし、明るくみせるのは当然ですが、これは宝石をより輝くようにする効果のみならず様々な理由があります。

宝石に限らず、たとえば、町の歩道沿いなどに立ち並ぶお店のショーウィンドウなどは、店内と分離している場合も多い。
つまり、展示しているスペースの店内側にボード等を貼り、そこからは店内が見えず、その部分は完全にディスプレイスペースとなっている場合などです。

これはそのディスプレイされた商品を、外から見た人によりはっきりと見せるためです。

明るい場所から暗い店内を見た場合は、ウィンドウのガラス面が鏡面となり内部が見えにくくなります。これを「反射グレア」といいます。
その現象の特徴から、特に昼間は見えにくくなります。

そこで、ショーウィンドウのバックにボード等の壁を造り、店内とは分離し、すぐ後ろに壁を擁する展示物を照明することによって、視覚の盲点を補っているのです。

また、バックにボード等を施さない場合(ショーウィンドウからもお店の中が見える構造)は、照明の明るさ強さを外部より明るくしたり、あるいはお店によってはガラスに若干の傾斜を施すことにより、グレアを防止したりしています。

外壁面のショーウィンドウ等でディスプレイを施さない場合も、お店の方針や職種により、外部からも店内がよく見えるようにしたり、あるいは同じようにガラス張りの店舗であろうが、逆に外部からは見えにくくしているお店もあります。

これも照明の加減や照射角度、光の入射角度、あるいはガラスへの施し等により、工夫・調整していますし、できます。

ちなみに、南側に面した店舗は、直射日光を遮る庇がある店舗や奥まった店舗でない場合は、自然採光の変化が激しく、北側採光の店舗は安定した採光が得られます。(たとえば、美術館等は北側採光が望ましいと言えます。建物の形・構造等にもよりますが。)

ショーウィンドウ等の照度は750[lx]以上(750〜1500くらい)にしている場合が多いと思います。
(外壁面のショーウィンドウ、店内のショーケース等の種類の違い、あるいは目的の違いにより変わってきますし、それ以下の照度の場合もあると思います。)

また、照明によって展示物の陰影をつけるためには、方向性の強い照明を施すことによって立体感のある演出ができます。
逆に拡散性の強い光は柔らかさを演出できます。

照明は、その方式を大きく分けると、部屋全体を一様に明るくするための「全般照明」と、必要箇所のみ照らす「局部照明」、並びに、その併用の方式として「タスクアンビエント照明」があり、用途によってそれらを使い分けします。

ちなみに、視線から30°以内に高輝度のものがあるとまぶしく感じ、視対象物が見えにくくなります。これを「直接グレア」といいますが、そのような角度からの光源がほしい場合は、カバーを付けることにより対処していると思います。



展示対象物のバックとなる壁等のボード類やショーケースを上から覗く場合のパッド・ボード等の敷物類、あるいは店舗内全体で、宝石店の店舗は白等のシックな色合いを基調としている場合がほとんどです。

アパレルなどの派手な?色合いで様々な演出をしているのとは対照的ですね。

宝石店では、扱っている商品が宝石ですから、高級感や清楚感等の清らかでリッチな?イメージをかもし出さなければならないので、どうしても派手で軽い感じのする演出はできません。


また、室内で展示対象物を見るとき、「視作業」をするときは、視対象に入射する輝度と周りの輝度に差がありすぎる場合は、疲れが生じます。特に小さなものはよけい疲れます。

アパレル商品などと違い、宝石店の対象商品はもっと小さなものとなりますし、お客さんもその小さな対象物の「視作業」が、お店での主な行為となりますので、さすがにあまり凝りまくった演出はできません。

なので、宝石店などは単に高級感を出すという目的だけでなく他のことも考慮して、どちらかというと通り一遍のお店の施し様になるのです。


ただ、お店全体の雰囲気としてはそのような施しになりますが、部分的には様々なディスプレイとボード等、並びに特定の商品を対象にやや小さめの独立したショーウィンドウ等を使ったりの演出もしていますね。




「主役を引き立たせる色」

さて、宝石のように透明感のある石、特にダイヤモンドなどのカラーレス、あるいはそれに近いそれほど色が濃くない宝石等を演出するために、バックとなるものは、どのような色合いのものがより引き立たせるものとなるでしょうか?

透明感のある宝石は、かなり極端に言えばどんな色合いのものでもそれなりに?引き立たせることはできるともいえますが、あえて言えば、「青」 「緑」 「赤」 そして「黒」ではないかと思います。

これらの色の対比色(引き立たせる効果色)が「白」だからです。

「白」はもちろん、クリア色とは違いますが、これらの色をバックにすると映えるように個人的には思います。

特に「青」は「寒色系」ですので、低明度であり、「赤」のような「暖色系」の高明度のものより、対象物をより引き立たせやすいともいえます。

また、以前にもふれた、青〜青緑の色は低照度の場所で最も強く感じられる「プルキンエ現象」(視感度のずれ)というものが生じますので、対象物を引き立たせつつ、バックの色にも独特の印象を与え、視覚的に微妙で魅力溢れる演出ができるようにも思います。

皆さんも、ダイヤのリングやネックレスなどの商品のディスプレイ、あるいはルースなどを撮影したもので、青系の色のボードや布・生地等をバックにしたものも結構見掛けるのではないでしょうか?

綺麗ですよね。これに局部的な照明を当てるとさらに鮮やかに映える演出効果が見込めると思います。
もちろん、青系以外の色も、青とはまた違った魅力のある演出色となります。
(黒や少し濃い目のグレーなども、カラーレスの石だけでなく、カラーストーンも映えますね。)

また、「赤色」も紅白が映えるように、プラチナを基調とした宝石類は映えます。
但し、赤は高明度なので、映えるのは映えるのですが、バックがあまりにも目立ちすぎるように思いますし、少し派手です。
もちろん、ケースバイケースですが、もっと薄めのピンク色のほうが柔らかい印象を与えます。

Pd-vv3335.JPG以前ネットで見た、青系がバックの綺麗な写真の真似をしてみようと、厚みの薄いボードをダイソーで買ってきて、局部照明を当てて撮影してみたものです。

青の色が少し薄めのボードです。クラリティーのよいルースが被写体なので、もう少しバックの素材がよくてプロのカメラマンの方が撮れば、とても綺麗な写真が撮れると思います。



元々が透明感のある美しい輝きを放つ宝石ですが、この魅力的な石たちの煌めきがさらに倍増するよう、常に様々な「光と色の演出」が行われています。





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※ Marty Balin - Hearts
「マーティ・バリン」/ ハート悲しく

http://youtu.be/dIF74lH4KPM

いい曲です。よろしかったら…


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posted by マーキス at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ダイヤモンド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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