2011年01月04日

迎春 清水の舞台から

「新たに迎える2011年」

明けましておめでとうございます

2010年も終わり2011年となりました。クリスマスから年末、そしてお正月にかけては慌しかったでしょうが、どのように過しましたか?

お正月の三が日。私は京都の「清水寺」に行ってきました。
誰もがご存知な「清水の舞台」で有名な清水寺です。
今回、私が訪れた清水寺の本堂や伝統構法に関して少しだけ記述してみたいと思います。
(ご興味のない方、ごめんなさい。)

お正月休みのこの時期、やはりかなりの人出で、特に舞台の床はすべて人で埋まっているような状態でした。
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この国宝である本堂の舞台の下の柱は欅(ケヤキ)の大木です。(舞台の床は桧板張り)

欅はそれほど高くないところで枝分かれする堅木の広葉樹です。
すぐに枝分かれしてしまう欅をこれだけの長さの柱に製材しようとするのならば、もの凄い大木が必要とされます。本当に凄いですね。壮観です!

柱と柱は「貫」という部材で繋がれています。梁のような大きな「貫」です。
距離が長い場合は柱の中で貫同士が繋がれ、クサビが打ち込まれて貫ががっちりとし、筋交いがなくとも丈夫かつ、しなやかな構造体となり、揺れなどを吸収します。

貫の上に板で笠がしてありますが、横材は特に天端に水が停滞し易く、雨仕舞いのために屋根状の笠をかぶせて腐りにくいようにしているのだと思います。

P1040489.JPG
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また、舞台の床ですが、想像していた以上に「勾配」がつけられていました
もちろん「雨仕舞い」のためでしょうが思っていた以上でした。腐らせないためには、床といえど外気に晒されているわけで、確かにこれくらいの勾配はほしいですね!


清水寺本堂の屋根は、「寄棟」と翼廊の「入母屋」造りが合わさった複雑な構造で、これももちろん雨仕舞いの納まりは相当神経を使ったのではないかと思います。

また、たぶんこの本堂は地震にも強いように思います。地盤がどうなのかまでは知りませんが、舞台の柱のステージ状に組まれた構造は、骨組みの構造・形として極々単純には、強い「かたち・形状」ではあります。
素晴らしい知恵を備えた、古(いにしえ)の工人たちが造った建造物は、もちろん大工が手で刻み、「構造上主要な部分」は釘を使わず組み上げたもので、適度な「逃げ」もあります。

ゼネコンの鹿島の研究でも、想定した花折断層を震源とするM7.3の地震に対して、清水寺本堂が倒壊する可能性は低いという結果も出ているそうです。


また、伝統的な建築物は現在の建物のように、アンカーボルト等で足元をガチガチに固めてはいません。
現在の基礎の役目をする「礎石」の上に柱が乗っかっているだけです。

大きな地震があれば微妙に動いて揺れを吸収するのです。

現在のような足元を完全に固定した工法では、足元だけでなく上物もガチガチに固めなければ倒壊してしまう理屈となります。

人間で例えれば分かりやすいと思いますが、誰かに押された場合、足及び体を移動するか、あるいは体全体をしなやかに曲げれば(揺らせば)倒れませんが、足を掴まれていた場合は耐えられないはずです。

上記の例だと、構造物とは違い、自分の意思で動く人間の例なのでピンとこない方もいるでしょうが、実は建築学会が実物の家を使っての耐震実験を行った時に、基礎のアンカーボルトが揺れの弾みでたまたま外れてしまった実験体は倒壊しなかったのに対し、アンカーボルトが外れず、通常の状態であった実験体は見事に倒壊しました

しかし、学会のほうは繕ったような言い訳で、あくまでも足元の土台は、基礎にガッチリ固定されたほうが良いと、確か?結論付けていたように記憶しています。

今の決まり事は、足元を固定する工法でないと通らないようになっていますので、学会としてはそう言い訳するしかないからです。
その方が学会にとっても、そして国・行政にとっても、教授などの学者にとっても都合がいいからです。
自分達が決めたことですからね。「柔」の考えからくる工法は彼らにとって都合が悪いのです。

(もちろん、単純に「しなやか」であればいいという簡単な問題ではないですし、難しい技術的な問題やコストの問題、さらにそのような工法は数字で計れない・示せない部分があり、法としての取り決めが作りにくいなど、その他様々な課題があるものなので、万人にとって、ある程度の強度をある程度のコスト、ある程度の時間で確保できるであろう、今の決め事も一概に悪いとはいえませんし、現在のような時代でのそのような決め事は仕方のないことであろうとも思います。)

ちなみに、あの「スカイツリー」は、五重の塔などの心柱を使った工法からヒントを得ているんですよ。


今回記述した事だけでなく、あらゆる面で昔の人の知恵は本当に大したものです。機械が発達した現在の技術を過信せず、行政や優秀な学者さんを含め、皆が素直に昔の人の知恵と共存したいですね。

清水寺は他にも重要文化財が沢山ありますので、まだ行ったことのない方は是非行ってみてください!


では、今年も幸多い年でありますように
posted by マーキス at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月31日

エジプトの選択

「チュニジア発!エジプトの反政府デモ」

北アフリカの「チュニジア」で起きたベンアリ独裁政権崩壊の影響を受けて、周辺諸国にも反政府デモが拡大しています。

各国々で大規模なデモが行われ、エジプトでも若者を中心としたデモでの治安部隊との衝突等で死者も多数出ており、近年にない大変な騒ぎとなっています。

ヨルダンやイエメン、サウジアラビアなどでも大規模なデモが起きていますが、注目すべきはやはり、地域大国であり西側と中東・アラブ諸国の橋渡し的存在であるともいえる「エジプト」の動向です。



1977年、当時のエジプト大統領である「アンワル・サダト」(ムハンマド・アンワル・アッ=サーダート)は、アラブ首脳としてはイスラエルのエルサレムに初めて公式訪問し、翌年の9月にアメリカの大統領山荘、「キャンプ・デービッド」で、「サダト、ベギン(イスラエル首相)、カーター(アメリカ大統領)」の三者会談を行いました。
(前年にソ連との友好条約を破棄)

1979年、「キャンプ・デービッド合意」に基づき、ついに歴史的ともいえる、イスラエルとの平和条約を結ぶことになるのです。


この一連の大きな出来事のポイントは、エジプトの「サダト」が全てのシナリオを描いていた事でした。

イスラエルに大きな打撃を加えましたが、最終的に勝てると思わなかった、あるいは勝つつもりがなかった?第四次中東戦争を行い、アメリカを交渉の場に引き寄せ、そしてついにホワイトハウスの芝の上で調印式を行い、イスラエルと西側諸国の文字通りの架け橋となったのです。

もちろん、他のアラブ諸国が激怒したのは言うまでもありません。
1981年、「裏切り者」の烙印を押された「サダト」は、イスラム過激派ジハードのメンバーに暗殺されることになります。

あの時代にあれだけの事をやってのけたサダト自身も、暗殺される危険性は十分承知していたことでしょう。
まさに命を掛けての平和条約の締結でした。

アメリカの諜報機関との連携などによって、西側諸国の安全保障に多大なる貢献をしてきたエジプトに対するアメリカの経済援助等の恩恵は大きかったはずです。


一説によると、サダトの目的は石油取引にあったとも云われていますが、決してそれだけではないはずです。
当時、冷戦状態にあったソ連とアメリカの二大スーパーパワーに対し、遠い将来をみすえた場合に、エジプトとアラブの将来をアメリカを含めた西側自由主義国家の未来に託す決断だったのかも知れません。

アラブ諸国を支援していた東側の大国であるソビエト連邦との蜜月を絶ち、第四次中東戦争で共に戦ったアラブ諸国から裏切り者の烙印を押されてまでした決断は、よほどの長期的視野と大いなるビジョンから導かれる戦略的判断だったはずで、いかに将来的にも大きな利益が見込まれる石油であろうが、サダトの最終目的が石油取引だったとは、私にはどうしても思えません。
(それも目的の一つではあるのでしょうが)

もちろん、サダトのビジョンは彼本人にしか分かりません。

アメリカとイスラエルの力を借り体制と権力の維持、そのことを強固にすることによりアラブの盟主としての君臨。
何が彼を突き動かしていたのか分かりませんが、サダトのみならず、当時の他の中東の大物、シリアの「アサド大統領」やヨルダンの「フセイン国王」など、日本の政治家とは比ぶべくもありません。


さて、一連のデモではイスラム原理主義組織、及び過激派のメンバーも加わっています。
エジプトの民主化がイスラム原理主義組織の勢力拡大となる可能性が大きく、現時点では反イスラエル勢力となるであろう組織の台頭をアメリカは望んではいないでしょう。
それでは真の民主化と言えるべきものではなく、中東和平から限りなく遠のいてしまいかねません。

また、もしそうなれば、それまでエジプトがテロ容疑者の尋問等で西側諸国に与えていた恩恵と活動がストップしてしまうことに他なりません。

アメリカも慎重に事の成り行きを見守っていることでしょうが、アメリカ政府首脳陣に出来る手立てはそれほどないでしょう。
ただ、エジプト庶民のガス抜きと現政権の更なる民主化を促すため、経済支援の見直しをほのめかすと共に、抗議デモを武力統制せず容認するよう求めています。


さまざまな勢力のあるイスラム原理主義組織ですが、その在り方は複雑であり、政治活動や社会奉仕活動等を展開している一方、テロ活動も平行して行っている訳であり、その二面性は自由主義諸国には到底受け入れられないものです。

エジプトの最大の野党でもあるイスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」は比較的穏健派といわれていますが、お互いが歩み寄るには多くの代償を受け入れる覚悟が必要です。



このチュニジア、並びにエジプトでのデモの発端はインターネットからであるといいます。
あらためて時代の変化を感じます。

中国は反日デモが反政府デモに変わるのを恐れて都市部でのデモを規制しています。

そして我が国日本では、憲法で認められているにもかかわらず、昔からデモに関する報道規制をマスメディア自ら行っています。

このことは、ある意味中国以上に醜い自由に対する弾圧だといえ、中国共産党政府の在り方とは違い、日本の政府だけでなく、日本人そのものの独特のこの感覚が、国際情勢においてのピントのずれた対応の根源のひとつと言えるのかも知れません。


さて、サダトの後を継ぎ、長期安定政権を築いてきたムバラク政権ですが、大統領の退陣を求めるこのデモの今後の動向は、アメリカ・イスラエルのみならず世界中が注目していることでしょう。

宗教政党は禁止されているエジプトにおいて、非合法組織となりながらも最大の野党勢力を誇る同胞団。
中東和平と世界平和に今後どのような影響を及ぼすのか、エジプトに求められる課題はとてつもなく大きいといえるでしょう。
posted by マーキス at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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