2010年12月09日

インターネット と ジャーナリズムの行方

最近、明らかにブログのテーマから外れた投稿ばかりとなっていますが、たまには宝石の話しも勿論したいと思っていますので、何卒御了承下さい。



「ウィキリークスの脅威」

アメリカをはじめ世界各国の政府関係者や軍事関係者等に脅威を与えている「ウィキリークス」の創設者「アサンジ」氏がロンドンで逮捕されました。

「告発サイト ウィキリークス」によって外交公電などの内容が暴露されたこの問題は、アメリカのみならず世界の各国々の安全保障やパワーバランス等にどのような影響を及ぼすのか。その影響の度合いは計り知れません。

このような告発サイトは、公益性に疑問符が付く明らかに行き過ぎた秘密の暴露となる大変な危険性をはらんでいるいっぽう、報道に対するジャーナリズムとしての基本的な理念に則る部分もあるわけで、情報・報道の規制、並びに国民の知る権利等の是非も問われる非常に難しい問題でもあります。


「クリントン国務長官」の公電では、国務省が国連事務総長や常任理事国の国連大使らも情報収集の対象にし、個人情報の情報収集を指示していたことなども暴露されていました。

これに関しては他国も同じようなもので、今さら騒ぎ立てるような真新しい情報ではありませんし、上面の情報でしかありませんが、もっとセンシティブで機密性の高い情報が暴露された場合の安全保障に懸念が残ります。


各国々が様々な危険を冒して、インテリジェンス・ウォー(諜報戦争)を行っているのは事実であり、何らかの重要な情報が意図せぬ場所から漏れた場合、その内容と出所如何では、その情報を得るための最前線にいる人間のカバーが割れ、その人物の生命が危険にさらされる可能性もあります。

もしその人物が、常にトリプルAクラスの情報をもたらす「切り札的存在」だった場合のダメージは計り知れません。
(さすがに徹底的にセル化された諜報活動の情報が、告発サイトに漏れる可能性は低いでしょうが・・・・・)

国民の知る権利等も大事ですが、そのことにより各国々が国家の安全と発展のために行っている国家間の様々な戦略と、まったなしの現実の活動での障害になるならば、その国の外交戦略のレベルは著しく低下してしまうことになり、困るのはその国の国民です。

ただ、情報とジャーナリズム、並びに国民の権利などのバランス感覚は非常にセンシティブなものであって、白黒つけれるものではありませんし、「ウィキリークス」の活動も、善・悪と決め付けられるような「丁半」の判断ができるものでもありません。


また、ジャーナリズムと少し関係してくるのですが、議会制民主主義の政治(間接民主制)と世論との距離は一定の距離を保つことが必要で、国民・世論との距離が近づき過ぎてしまうと「衆愚政治」となります。

例えば、世論が望む政策を政府が優先した場合、そのことは国民が気付いていない問題を先送りすることにもなり、国民が気付いた時には相当大きな問題に発展してしまい、もっと早く政府が対策を取るべきだったとの矛盾のある批判となる場合も多々あるはずです。

世論の意向及び、選挙用のマニフェストに対する世論の固持、並びに、マスメディアにコントロールされた世論感覚を優先させた政策を行った場合、間違った方向、あるいはピントのずれた政治となってしまいます。

逆に世論との距離が離れすぎてしまった場合は、「独裁政治」となりえます。

このバランス感覚は非常に大切、且つ、大変難しい問題で、例のひとつとして、マニフェストの修正も堅実な政治を行う上で多少は仕方のないことであり、国民のみならず、政治家もマニフェストにこだわり過ぎたり、世論の意向を気にし他の重要な政策を疎かにしてしまうと取り返しのつかない事態に陥ってしまう可能性があり、突き詰めれば、そのバランス感覚と、時の政府・政治家の政治手法とその資質は、国民の質とレベルに帰結することを示すことになるのではないかと思います。



さて、一連の「ウィキリークス」の告発問題で特に重要視しなければならないのは、政府の情報漏洩対策システムの脆弱性であり、日本の政府と日本のジャーナリズムは終始一貫単なる暴露サイトとの考えで批判しているだけであり、マスコミはジャーナリズムの基本理念を放棄していますし、政府も情報と報道や言論の自由の判断の難しさ等を考えず、批判だけの対応に終始し、本音は別としても単純に批判だけでは済ますことの出来ない難しさを理解しているアメリカを含めた他国が、批判的な発言だけでなく、微妙な言いまわしも含まれた発言も首脳陣から何度か聞かされたのとは明らかに対応が違います。


インターネットの普及により、良い意味でも悪い意味でも、建前や思惑等の何らかのフィルターが施されていない可視化された状態で、且つ、リアルタイムに様々な情報が氾濫することにより、今までにない多様化した議論と意見が展開する、新たな違った形のデモクラシーが生まれようとしています。

その在り方は、とても便利な部分と様々なブラックボックスの浄化等が期待される部分があるいっぽう、プライバシーの侵害や過度な誹謗中傷、犯罪の温床、歪んだコミュニケーションの形成の懸念、奥ゆかしさや侘び寂びの感性の衰退の懸念、物へのありがたみの欠如、手間が掛かる・掛けることで果たせる有益な部分の衰退、リアルの世界では敬遠されるような行為が常態化してしまう感覚の麻痺、紙媒体の必要以上の排除とそのことによる弊害、その他諸々。
普及がさらに進むことにより、非常に危険でマイナスになりそうな部分も多々はらんでいます。


米国の情報漏洩に関して、インターネットが普及した現代の時代とは違いますし比べるのはナンセンスでしょうが、アレン・ダレスなどが居た時代では許されないようなミスをしたともいえるのではないでしょうか?

ヒューマンリソースの重要性と機密性から導き出させるインテリジェンス(諜報)の大切さを最も重要視していた時代と違い、衛星や機械・コンピュータに頼った現在の在り方は、米国の各機関とシステムの弱体化を招いているといわざるを得ず、人的戦略の重要性を理解しているのならば、その人的部分からの漏洩の危険性も認識していなければならないのは当然の事で、それを怠っていた上層部の責任は重い。

確かに、いつの時代でも情報の漏洩はありましたが、それは情報を知りえる内部の極一部の人間が何らかの理由で寝返るか罠に嵌るか、あるいは外部から侵入したカバーエージェントの諜報活動等が要因だったのに対し、今回の件のように通常知り得ることのない下級職員が簡単に様々な情報を知り得たことは、米国の各機関並びに政府関係者もショックだったに違いありません。

急速にインターネットとコンピュータが発展している現状では、セキュリティー上の整備が追いつかないのは確かに致しかたない部分もあるのでしょう。


その現代の時代の情勢のスキマを衝いてきているのが、クラッカー(悪意を持ったハッキングを行う者)と呼ばれる人間達なのでしょうが、完全に時代がしかも急速に変わってしまった現在では、第二・第三の「ウィキリークス」が登場してくるやもしれません。

正義感に則った純粋な「告発」を意図する行動のみならず、「反体制」の強い意志からくる行動や (たぶん、アサンジ氏の生い立ちから考えるに至って、ウィキリークスはこれに近いのでは?)、 あるいは愉快犯や過度な野次馬根性からくる行動だった場合は歯止めが効かなくなってしまいます。


ウィキリークス創設者のアサンジ氏は、コンピュータ、パソコンに最初に興味を持った頃、不正にサーバーに侵入する行為に喜びと楽しさ・興味が湧いたといいます。

少なくとも、そのような犯罪行為に喜びを感じる人間に正義はありませんし、大義もない。
もちろん、本人達は正当な「告発」を主張するでしょうが・・・

このような問題は、不正の告発、言論の自由、知る権利、ジャーナリズムの基本理念から来る行動等の様々な事柄が交差し、単純に彼らの行動を批判することは出来ませんし、公益性のある部分ももちろん存在します。

人間が発明した機械の技術、その扱い方の健全な発展を願いますが、急激な変化にたぶん誰もが色んな意味で対処できないのでしょう。
とても一筋縄ではいかなそうな大きな課題ですが、コンピュータの時代だとはいえ、もし、人間が長い年月と歴史の中で培ってきた大切なものを蔑ろにした場合は、悪い方向にしか向かわないのではないでしょうか。
posted by マーキス at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。