2012年06月15日

権力の行方A

「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」


東電の責任者や官邸の首脳陣が参考人として招かれた、東京電力福島第一原発事故を検証する事故調査委員会で、最終的な報告書が提出されるようです。

まったくの茶番でしかありませんね。
東電寄りの東電に有利な見解がなされた報告になるのはやる前から想像できることであり、身内による身内の事故調が提出する報告書に信憑性を期待できるはずがありません。

これは「国会の」事故調査委員会ではなく、厳密には東電の「社内の」事故調査委員会といってもいいのではないかと思います。
また、委員長の黒川氏は東電が研究資金を出している東大の教授。

さも、まったくの第三者機関が調査しているかのごとく国会での参考人招致の茶番劇。

まだ記事の冒頭にカッコで「(東京電力の社内調)」と記述しているマスコミは良心的な方で、「国会の事故調査委員会」と表現している所がほとんどです。
(ただ一応、「法に基づき国会に設置された機関」ではありますから表現自体は間違ってはいません。また、内閣が設けた「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」とは少し主旨が異なります。)


内閣が設けた委員会も同様ですが、このような調査委員会は電力会社等の息が掛かっていない機関等の委員の選抜が不可欠のはずなのは子供でもわかることです。
口だけ公正な判断をしているなどと言っても、コンマ1パーセントも説得力がありません。


この委員会で、「全面撤退の意思はなかった」と当事者の東電トップは説明しています。

現場の人間は上層部から撤退の意思表示があったと言っていたとの情報もありましたが、そのことに関してマスコミを含め誰も徹底的な聞き取りや調査もせず、上層部の人間の意見しか聴こうとしません。

当事者はいくらでも嘘がつけます。裏付け調査なくして真実がわかるはずもない。ましてや身内を主体とした調査委員会など笑止千万。

また、清水社長(当時)トップ自ら体調不良を理由に雲隠れし、当の本人がしばらく「撤退」してたくせにまったく説得力がありませんし、都合の悪いことは「記憶にない」で終わりです。

東電の首脳陣の発言や事故調の報告から、当時の菅首相や枝野氏をここぞとばかりに批判しているマスコミも多いですが、騙されてはなりません。
全面撤退の件のみならず、事故・震災当時の東電の醜さを思い出してください。


菅前首相は確かに無能だったかもしれませんが(歴代の日本の総理大臣を見る限り、菅氏に限らないでしょう)、原発利権には絡んでいない政治家でもあります。(他はなにか絡んでいるかもしれませんが)

以前にもいいましたが、あの当時日本は菅政権で本当にラッキーだったのです。
(無能故にたとえ他に沢山の弊害があったにせよ)

これがもし、官僚や原発利権の権力者たちの操り人形ともいえる野田現首相や、自ら原発の歪んだ国家政策を遂行した自民党が事故当時の政権を握っていたといたら、東電とズブズブだったはずです。
また、東電や保安員、経産省からの適切な情報が上がってこなかった問題等もあったでしょう。

もちろん、事故当時の菅氏・枝野氏をはじめとした官邸に問題がなかったはずはありません。
指摘されている専門的なことへの介入を含め、他の判断ミスも当然あったでしょう。
それでもあの時あの政権でよかったと私は今でも思います。

最悪の場合、私もこのようにブログの記事など書いてはいられなかったでしょう。たぶん生きてはいなかったと思います。

皆が批判する「過剰介入」も現場の作業に関しては支障をきたすことは当然あるし、弊害になる確率のほうが高いのかもしれません。

しかし、菅前首相が東電幹部への「過剰介入」をしていなければ終わっていた。

これはべつに大袈裟なことでは決してありません。そして独断で海水の注入を続行し原子炉の冷却を続けた、あの吉田所長の現場での判断もなかったと思います。

(当時、海水注入の中断は菅首相の指示とも云われましたが、後に東電自らの判断によるものと訂正されました。
一方で、官邸に情報がうまく伝達されておらず、情報が錯綜していたことを明らかにしました。
何れにしても、菅前首相が「過剰介入」していなければ、そもそも現場の人間の多くは撤退し、吉田所長はたとえそこに残っていたと仮定しても、残された人員であの決断もなかったはずです。)


清水社長は「完全撤退を考えたことはない」を繰り返しています。私はまったく信じていませんが、この言葉を信じるか、信じないかも国民一人ひとりの判断です。

枝野氏も他のことに関しては反省の弁を述べたり意見が変わったりもしていますが、こと「完全撤退」のことに関しては、東電側の主張に対し、頑なに異を訴えています。

また、現場の人間・専門の人間に、首相の基礎的なつまらない質問等でよけいな労力を使っただとか、ぶざけたことを平然と言っています。

あの未曾有の大災害と大事故が起きたときに、いくら素人とはいえ電力会社が政府官邸に逐一情報を提供する・知らせる義務があるのは当然ですし、政府官邸が知りたがるのも当たり前の話です。
少なくとも、重い腰を上げようとしない人間の尻を叩くのは国の長ならば当然ではないでしょうか。

それとも、これが他の政権だったら、素人だからと何も聞こうともしないのでしょうか。
国民も政府官邸が何もせず東電にすべてを任せ、知らぬ存ぜぬの方がよかったとでも言うのでしょうか。
馬鹿なことを言ってはなりません。

また、政府への対応、並びに各方面への情報の伝達等を含めた東電側の危機管理体制は完璧だったとでもいうのでしょうか。
とてもそうだったとは思えませんね。それこそ危機管理にはまったくの素人だったのを事故当時露呈していたではないですか。

誰も経験したことがない未曾有の大災害時だったのです。事故調査委員会は、菅前首相をはじめとした官邸の不手際で結論付け、東電の不手際にはほとんど言及しないまま調査を終わらすつもりなのでしょうか。


事故後も原子力発電所の現場は、孫請け・曾孫請け・玄孫請け・来孫請け・昆孫請け・仍孫請けの赤の他人頼り。

もちろん、どの世界でも下請け業者の協力は不可欠となるもので曾孫・玄孫請けなどは珍しいことではありませんが、会社の規模と原子力発電というその職種の社会的重要度からすると、あまりに正社員の関与が少な過ぎる。


なお、吉田(元)所長は病気のこともありますが、今後メディアにはほとんど出てこないでしょうし、出されないでしょう…




菅前首相はあの浜岡原発停止要請の後、踏み込んではいけないタブー、「発送電分離」のタブーにも踏み込んだのだと思います。

元ライブドアの社長、堀江貴文氏が放送界のトラの尾を踏んでしまった状況に似ているともいえます。

このような場合、原子力村の権力者たち、並びに産業界から間違いなく吊るし上げを食らってしまうことを国民は理解しなければなりません。

このことは逆に言えば、菅氏はかなりの部分である意味クリーンだったとも言えますし、純粋に自分が考える政策を、たとえ浅はかだとしても素直に実行しようとしたということでもあるのです。

これは、まったく違う性格の人種からみれば、それこそ馬鹿で無能で浅はかな行為と思えるのでしょう。

「菅おろし」は「菅リスク」とも揶揄されながら、国民を上手く唆したまま、福島第一原発での事故の悪者にされたまま幕を閉じることになるのでしょうか…






強大な権力を持った者たちのプロパガンダやディスインフォメーションに惑わされてはなりません。

彼らはいつも「少しだけ真実をちりばめながら」もっともらしい情報を出したり、物事を上手く誤魔化しています。

大マスコミに限らず、一般の方々もブログやホームページ、あるいは掲示板・SNS等で当時の官邸の至らなさを叩いています。それは確かに真実を突いている部分もあるでしょうし、事実かもしれません。

しかし、一部の事実のみに惑わされていれば大局を見失ってしまいますし、それは権力者達につけいるスキを与えてしまうことにもなりかねません。


情報の元の元は誰か、その情報で得をするものは誰か。
誰が力を持ち、誰が得をし、誰が損をし、誰が犠牲になるのか。


私の考えや判断ももちろん間違っているのかもしれませんが、国民皆が溢れる情報にコントロールされないよう徹底的な検証をし、日々の研鑽を重ねた上で熟慮しなければなりません。

日々の積み重ねられた研鑽なしでの判断は、否応にして誤ってしまう確率が高くなるでしょう。





以前にも話しましたように、世論の意向が原発の増設(新設)を許さないものならば、耐用年数が限られている以上、近い将来確実にすべての原発は廃炉の方向に向かいます。

その意味は、次期代替エネルギーを「必然的に」考えなければならないということです。もちろん「今すぐに」です。

それはもちろん国益となるものでもあります。
国家戦略室は一応原発なしでのエネルギー戦略を導こうとしているようですが、他の勢力、つまり経産省の官僚を含めた原発利権に絡んだ勢力はことごとくそれを潰して行っています。


他の国々は、メタン・ハイドレート等の新たなエネルギーの産出を含め、環境エネルギー・自然エネルギーも大きく視野に入れて、全世界に対し、次期代替エネルギーのイニシアチブを握ろうと考えているはずです。

他国、特に大国は、単に自国内のエネルギー事情に限らず、原発やあるいは化石燃料のことなどと平行しながら、国家戦略としてそのようなエネルギーの効果的で先進的な技術の開発に予算を与え力を注ぎ、国益のため未来を見据えていると考えるのが、至極当たり前な分析といえるのではないでしょうか。


原子力だけに頼らない新しいエネルギー戦略は、国内の切実な電力事情のことに関する国民の生活の直接的な利益はいうに及ばず、このようなエネルギーの開発と販売・輸出戦略等に他国より一歩抜き出ることができれば、とてつもない国益となるのは容易に想像できます。

中国はだから日本の海域に眠る宝の山ともなるかもしれないエネルギーに魅力を感じているのですし、尖閣を含め自国の権利をたとえ強引だろうが主張しているのです。

化石燃料に頼らない路面交通技術、大容量送電技術、代替石油技術、そしてメタン・ハイドレートの探査・採掘・産出技術、風力発電、太陽エネルギー、バイオマス、等々。

中国は一次エネルギーのなかで石炭の需要がまだ非常に多い国ですが、今後は日本・韓国・アメリカ・ドイツ等の消費構成に近づいてくるでしょうし、先進的技術の開発にも力を注いでくるはずです。


注: なお、原発の廃炉は、これもとてつもないコストと途方もない時間が掛かります。これも国民に課せられた大きな負担とリスクだということも同時に認識していなければなりません。そして、未来の子孫・子供達のために受け入れなければならない負担とリスクでもあるのです。
また、ここにも廃炉ビジネスの大きな利権が絡むリスクがあります。100%間違いなく大きな利権が必ずからんで来ます。このことも、国民がしっかり認識し、監視して行かなければなりません。)



各エネルギー開発費のなかで、日本の原発関連の開発費・予算はとてつもなく巨大で他国と比べても飛び抜けて多い。
それに比べて再生可能エネルギー等の他のエネルギー開発費は驚くほど少ない。

この原発関連の予算を他のエネルギー開発費に回せば、日本が元々持っている技術の高さと相まって、飛躍的に効率的且つ革新的な環境エネルギーの開発、並びにその設備・施設等の推進が可能となるはずです。

原発関連の予算を半分にしたとしても、まだまだ他の国々より割合がはるかに多いのです。あまりに異常です。

いかにこの利権が強大で恐ろしいものかということに、あまりそのようなことに関心のないタイプの人々も、いい加減に気付かなければなりません。
(少しでも多くそういうタイプの人達も関心を抱かない限りは世論は動きません)

また、この研究開発費は原発の運営コストのなかに含まれていなければならないはずです。
この事だけに限らず、原発の発電コストなど全然安くはない。



原子力村の忠犬と化している野田首相の行いと考えでは時代の流れに逆行してしまいます。それは子供達の未来と国家の長期的な展望として将来を見据えた場合、国賊ともいえる行為です。

大飯原発の再稼動は序章に過ぎません。これらの行いを彼らの望む通り許しておけば、肥大化した「怪物」は再びすべてを飲み込んで行ってしまうでしょう。
あの恐ろしい津波のように…



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2012年06月02日

権力の行方

迷走する権力者達

「消費税増税案」、「原発停止による電力問題」、「尖閣買取」、「名張毒ぶどう酒事件裁判」 等その他、様々な出来事がメディアから発信されていますが、重要な物事に決定権や裁量権、決まり事を作り出す力を持つ各機関の首脳陣・権力者達は首を傾げるような迷走を繰り返しています。



先日「名張毒ぶどう酒事件」の差し戻し審が名古屋高裁でありましたが、再審開始を取り消す決定を下しました。

呆れてものが言えないような判決であって、あまりに稚拙な審理であり、検察ですら主張していない独自の理由、科学調査にまったくの素人であるはずの「裁判長独自の勝手な憶測」からくる理由を持って新証拠の証拠価値を否定した決定でした。


「推定無罪」とされなければならない事件であり、当時の強要を含めた自白による証拠に驕り、それに頼り切った捜査側の不手際からくる証拠不十分な事件であるのは明白であり、疑わしきは罰せずの基本原則に則り、「無罪」とならなければおかしい。

自白の強要で様々な冤罪事件が浮き彫りになり大きな社会問題となってきたなかで時代に明らかに逆行する判決であり、司法は「推定有罪」「疑わしきは罰する」の決定を下したことになります。

信じられない司法の決定と在り方であり、これでは「完全に」法治国家ではなくなってしまいます。社会秩序が保てない。
もしこのままで終わってしまうのならば、司法の存在の意義・意味がなくなってしまいます。

奥西被告(死刑囚)が犯人なのかそうではないのか、今となっては誰にも判らないでしょう。
もし冤罪だったらどうするのか。

仮にもし真実は奥西被告が犯人だったのかもしれないと仮定してみても、司法というものが神様のみが知りえる真実において、「疑わしきは罰する」の判断は決してしてはなりません。

あり得ない名古屋高裁の裁判長の判断は国家犯罪でしかない。
この判決理由は法治国家であることと社会秩序の保全を放棄した誠に身勝手な理由と決定であり、社会と国民全体に不利益を与える重大な犯罪と言えるもので、逆に彼らこそが厳しく裁かれて然るべきことのはずです。



なお、このような科学調査が重要視される事件をはじめとして、専門性のある事件等は、暫し裁判官の偏見や独自の考えからくる判決が下されることは、実は珍しいことではありません。

法律の専門家は法律の知識には当然のこととして明るいですが、他の専門性のあることなど、いくら彼らの頭脳が優秀だからといって裁判官も弁護士も専門外のことまで知りませんし、専門外の知識のなさは他の一般人となんら変わりはありません。

まあ、当たり前の話ですよね。いくら彼らでも何でもかんでも知っている訳がありません。

しかし、物事の善し悪しを判断するためには、その専門性のある特殊な事項に関して当事者の専門家なりから内容を聞き出し、最終的には判断・判決を下すしかありません。

そして裁判の中での短い陳述や裁判所に提供された資料等のなかで、裁判官や弁護士等の法律家がその専門性からくる内容や、あるいは特殊性をすべて把握できる訳がないのです。

そのため、裁判官によっては偏見が消えずに専門家の意見がほとんど無視される場合も実際あるでしょうし、専門家の説明等が上手く伝わらない場合も当然あるでしょう。裁判官も人の子ですから。


私も一度、自分のことではないのですが、ある裁判のことで専門家による調査、並びに見解資料の作成を弁護士事務所から依頼されたことがあります。

もちろん、その裁判所の裁判官も双方の弁護士もその分野の専門的な知識は持ち合わせていませんでしたので、参考資料として(弁護士が裁判所に提出する資料として)私に依頼がなされ、相手側弁護士とも立会いをして、後に資料を提出した訳です。

上記の私が経験した例では、まず問題が起こる可能性は低い事例でした。問題が起こるとしたら逆に私自身に何か降りかかった時ではないかと思います。

つまり、仮にですが、例えば私が誰かから訴えられ、私の専門の分野に事件の担当裁判官がたまたま強い偏見を持っていた場合などの例です。

数ある裁判の中では、「名張毒ぶどう酒事件」に限らず、非常に理不尽な判決が下されることも決して珍しくはないのです。





「原発再稼動」

大飯原発の再稼動が事実上決定される見込みのようです。

技術的安全の確認、容認・決定までの期間があまりに短く、専門家による十分な検討と精査はほとんどされなかったはずです。

経産省が取りあえず出してきた曖昧な資料を基に政府が政治的決定を下したということだと思いますが、専門家による技術的確認の徹底的な検討なし、並びに重大事故が起きた場合に影響を受けるであろう範囲の地域内の住民・庶民の合意なしでの政治判断はするべきではないのは言うまでもないことです。

またストレステストをはじめとした、各機器等の安全に関するプラントの専門家等の検証みならず、建屋、原子炉等の耐震そのものの精査・検討は今後も十分に行われない可能性は大きい。(ストレステストはもちろんそれも含まれてはいるのですが)


地質地盤の再調査や杭を含めた基礎等の耐震性の検討は十分に行われるのでしょうか?

すでに浜岡原発などは地盤が緩く、耐震性に関する設計基準が満たされないまま原発の建設にゴーサインが出されたのを当時の設計者が暴露しています。

あの耐震偽装事件、姉歯事件レベルの話ではありません。
一介の一個人事務所の下請けの構造設計者でしかない(もちろん重要ではありますが)姉歯氏ですら国会にまで呼び出されたのです。

浜岡原発の建設に係わった人間、特に決定を下し命令を出した人間は厳しい刑事処罰を受けなければならない極めて重大で悪質な犯罪です。

マスコミは一介の民間人たちは徹底的に叩いたのに、この事実にはほとんど触れず話が消えてしまいましたね。


他の原発はどうなのか?
あらゆる利権が絡み歪んだ国家政策といえる原発の建造が、正常なプロセスと技術的検討が十分に行われずに建設された公算が大きいのは容易に想像できます。

また、原子力等の専門家達はまだしも、政治家や各省庁の官僚等は、東日本大震災と福島第一原発の被害を基に、至極極端に言えば津波による被害等の検討を重視しているようにも見受けられ(特に政治家は)、地震そのものの揺れによる被害や耐震そのものに対する意識が薄いように思えます。

確率論からいえば、津波などよりも地震による「強い揺れ」の被害を第一に検討しなければならないのは当たり前の話であり、地震大国である日本でも、年数千回はあるといわれる数多くの地震のなかで、大きな地震だけを比べてみたとしても東北のあのような大津波の被害の例は、「地震の強い揺れ」による被害の例と比べれば稀な例であるはずです。

もちろん、津波による被害の検討も十分に行わなければならないのは当然ですが、すべてが疎かにならないよう、各専門家を交えた徹底的な議論と検討・検証が必要です。
そしてそれには多大な時間が掛かるはずです。こんな短期間でこれほど重要なことを決めたということは、まったく検討が行われていないことの証左であり、あまりに愚かです。




原発は地震による被害だけでなく、普段からナトリウム漏れ等様々な重大な事故が起きているのはご存知の通りです。

配管等の技術は難しいものであり、また、末端の技術者への単価は下げ続けられています。

配管、配管の製作そのもの、及び配管の計画と配置計画、設置・建て込みの技術等が、溶接のみならず非常に高度な技術と経験を要求されるものであり、プラント建設を含めた建設全体のなかでの職人という職業は、時代の流れで有能な人物が離れ、あるいは廃業し、不況の時代に若い職人の育成はままならず、職人全体の質は下がってきています。

原発のように利権が絡み裏では潤沢な資金がある仕事は、元は金額がでているのかもしれませんが、少なくとも現場で実際に仕事をする職人には回ってはきません。

足元から支える人たちを疎かにしていて、果たして安全は確保できるのでしょうか。






電力会社というのは、「総括原価方式」で、コストが掛かった分は電気料金に上乗せできるようになっています。
また、固定された「公正報酬率」により利益が決められているのです。

つまり、利益が確実に出ることを保証されているということです。
誰もが絶対に必要とし間違いなく利用する公益事業といえるものであり、独占企業であるため、上記の計算方法による運営は100%の利益確保を保証されているということです。

現実に丁半博打ともいえる、常に様々なリスクが存在する通常の商売、普通の民間企業ではあり得ない運営方式ですが、公共的・公益的な要素が大きいための措置なのでしょう。

すぐにお気づきの方も多いと思いますが、この運営方式には大きなデメリットがあります。
コストに対する意識が希薄になってしまうということです。費用削減の意識に乏しくなり、不必要な設備投資を行わせる誘因となってしまいます。


さらにそれどころか、コストを掛けるほど儲かるシステムだということでもあります。

これは大変恐ろしいことなのです。
単に無駄遣いが消費者への価格(電気料金)に上乗せられるという単純な問題ではありません。

コストが掛けられるということは、それに絡むすべての企業を牛耳ることもできる力を持つことができるということです。
当然ですね。関連企業からみれば、とてもいい単価でお金が回ってくるのですから。

これは広告費なども含まれます。この意味はすぐにわかりますね。マスメディアは電力会社には逆らえない構造になってしまうということです。

そう、電力会社は公共的且つ独占的企業であるがゆえに、政府・国に守られながら巨大な力を持ってしまった怪物なのです。

当然のこととしてそれだけの力と経済力を持てば、各省庁の天下りから政治家の息がかかった人物や身内の就職、企業間の癒着、その他諸々。もうとても手が付けられないような超大な利権構造となってしまっています。

権力を持った人間達がすべて群がっているのです。この強固な牙城を崩すのは容易なことではありません。現時代では不可能に近いといってもいいかも知れません。

ただ、人間が造ったシステムを人間が変えて行くことに不可能はありません。

それには官僚の中にこのシステムにメスを入れる勇気と気骨がある人物が複数人いることが不可欠でしょう。そして世論の強力で大きな後押しがなされなければなりません。

また、鍵のひとつは、「発送電分離」です。 そして、自然エネルギーとスマートグリッドです。(長くなるのでこの事に関しては今回は割愛します)



欲が人間を愚かにしてしまうのでしょうか?
欲自体は人間に必要なものですが、物事はすべて良いこと・悪いことが表裏一体です。

迷走する権力者達にブレーキをかけるには、国民一人ひとりの意識を高めることしか術はありません。







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【話題】
個人的な話題です。悪しからず…



「挑戦し続ける日本のサムライ」


アメリカで行われた自動車レースの話題です。
ご興味のない方は閉じてください。ごめんなさい。


この前の日曜日に、世界の三大レースのひとつであるアメリカのインディ500レースが行われました。

今季、レイホール・レターマン・ラニガン・レーシングというチームから出場している日本の「佐藤琢磨選手」

ラスト2周で前を走っていたディクソン選手を見事に追い抜き2番手になって、この世界の三大レースで日本人として初の制覇という偉業を成し遂げるため、トップを走るダリオ・フランキッティ選手に対し、最終ラップに時速約370kmのバトルの中で献身のアタックを挑みましたが、残念ながらスピン・クラッシュしてしまいました。


琢磨選手は高校時代たった一人で自転車競技のクラブを立ち上げて、さらにインターハイ、全日本学生選手権で優勝することを成し遂げ、その後レーサーへの道を歩むため早稲田大学を休学し、「鈴鹿サーキット・レーシング・スクール・フォーミュラ(SRS-F)」への入門基準に満たされないと知るや、責任者に手紙を書き直談判し、直接自ら面接の機会を作ってもらって責任者を熱意で説得して選抜方法を変えさせてまでして入門し、いわゆるレーサーの卵達の中でも各地方で子供の頃からレーシングカート等で名の売れたエリート達の中に、他のライバル達に比べて明らかに経験の少なかった無名の人間が無理矢理スクールに入り込み、レーサーへの道を自らの努力で切り開いて行きました。(「SRS-F」は首席で卒業!)

その信念と行動力と絶対に諦めない精神には敬服してしまいます。
レースという枠だけでなく、人生において常にチャレンジとアタックをし続ける琢磨選手に賞賛をおしみません。

自動車レース並びにレーサーという職業はヨーロッパ発祥のスポーツだからなのか、日本での地位と知名度は低すぎますが、スポーツの世界で個人的には琢磨選手は日本の至宝だと思っています。

モータースポーツが好きな人間だからというのもありますが、常に挑戦し続ける彼の走りを観ていると、眠っている熱い心が呼び出され魂がふるえます。

ご興味のない方には申し訳ありませんが、生粋のレーサー佐藤琢磨選手のチャレンジングスピリットをぜひ観ていただきたいと思います。





「ラストラップ」
http://www.youtube.com/watch?v=GnXsRffhDXI&feature=colike
↑ぜひ音量を大きくして(笑)観客の大歓声も聞いてみてください


「インディ500表彰セレモニーでの琢磨選手のスピーチ」

画面上側のタイトル名をクリックすれば、ニコニコ動画で大きな画面で観ることができると思います。(ニコニコ動画でのログインが必要です)




「ラスト4ラップ」
http://www.youtube.com/watch?v=GB_sXxdLLvQ&feature=colike


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